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民俗学に関するgitanezのブックマーク (10)

  • 古代研究―2.祝詞の発生/折口信夫: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 折口信夫さんのおもしろくてたまりません。 先日、このブログ上でも紹介した『古代研究―1.祭りの発生』に続けて、『古代研究―2.祝詞の発生』を読み終わりました。いまはさらに続けて、『古代研究―3.国文学の発生』を読んでいます。 折口さん自身が、このに所収の「神道に現れた民族論理」に「日人の物の考へ方が、永久性を持つ様になつたのは、勿論、文章が出来てからであるが、今日の処で、最も古い文章だ、と思はれるのは、祝詞の型をつくった、呪詞であつて、其が、日人の思考の法則を、種々に展開させて来てゐるのである。私は此意味で、凡日民族の古代生活を知らうと思ふ者は、文芸家でも、宗教家でも、又倫理学者・歴史家でも皆、呪詞の研究から出発せねばならぬ、と思ふ」書かれていますが、僕も折口さ

  • 古代研究―1.祭りの発生/折口信夫: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 世の中、お盆休みの真っ只中でしょうか。僕自身は普通に働いていますが。 そういうタイミングだからこそ、このを紹介しておこうと思います。こういうタイミングにでも乗っておかない限り、いつまでたってもこののことを書けなさそうな気もしたので。 紹介するのは、折口信夫さんの『古代研究―1.祭りの発生』です。 さて、時期的にはいまは夏祭りの時期でもあるでしょう。 ただ、この夏祭り、実は四季の祭りのうちでは一番遅れてできたものだそうです。 もともと古代においては四季の祭りといえば、秋祭り・冬祭り・春祭りしかなかったといいます。 しかも、その秋祭り・冬祭り・春祭りは、なんと最初は一晩のうちにすべて行われていました。大晦日の宵から秋祭りをはじめ、続けて冬祭りを行い、次の元旦の朝が明けると春

  • 死者の書/折口信夫: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 先日、藍染めの体験をしてみてあらためて感じたこと、それは一枚の布をつくるという一見単純に思える工程も実は複雑な工程の積み重ねなんだなということでした(「2009-07-26:藍染めをする」参照)。 糸を紡ぎ、その糸を織って布にする。その一方で糸や布を染めるための染料をつくる。 柳宗悦さんが『手仕事の日』で、「もし歴史が後に控えていかなかったら、あの簡単に見える草履一つだって作るのに難儀するでありましょう。一枚の紙だとて、どうして作るか、途方にくれるでありましょう」と書いていますが、糸や布、そして、それらを染める染料も、長い歴史のなかで生み出された技術がなかったら「どうして作るか、途方にくれる」くらい実は複雑なものだと思うのです。 今日は、そんな紡績や染織に関わる方面から、

  • 2009-08-02:『字統』と『字訓』: DESIGN IT! w/LOVE

    そう。白川静さんの字書三部作のうちの『新訂 字統』と『新訂 字訓』を(ちなみにもう1冊は『字通』ですが、こちらは普及版がなく¥23,000もするので今回は断念)。 白川静さんのはこれまで書評を書いたものだけでも、 詩経―中国の古代歌謡/白川静初期万葉論/白川静漢字―生い立ちとその背景/白川静漢字百話/白川静呪の思想―神と人との間/白川静、梅原猛 などを読んできました。 読んでいて、ずっと『字統』と『字訓』に関してはほしいなと思い、Amazonのショッピングカートに半年近くはいっていたのですが、今回ようやく購入したわけです。

  • 民俗学の旅/宮本常一: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 おもしろかった。すごく。 これは必読でしょう。 特に、いままで会社を一度も辞めたことがない人、生きていくためにはビジネスの場に身を投じるしかないと信じて疑わない人、あるいは、将来の職をどうしようかと頭の片隅でぼんやり思いつつ学校に通う学生などには。 この『民俗学の旅』を読んではじめて知ったんですが、宮常一さんという人はずっと定職につかなかった人であったらしい。師である渋沢敬三さんの家で54歳になるまで23年も客生活をしていたという。武蔵野美術大学で講義をするようになってはじめて定職についたのは、その客生活を終えたあとです。つまり60近くになるまで定職をもたなかった。 定職をもたずに何をしていたかというと、とにかく日中を歩いてまわった。そして、さまざまな土地で生きる人

  • 塩の道/宮本常一: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 人間の生活やその環境・文化とデザインの関わり合いに関して、民俗学者の宮常一さんは『塩の道』のなかで、こう書いています。 日人は独自な美をわれわれの生活の中から見つけてきておりますが、それはじつは生活の立て方の中にあるのだといってよいのではないかと思います。生活を立てるというのは、どういうことなのだろうかというと、自分らの周囲にある環境に対して、どう対応していったか。また、対決していったか。さらにはそれを思案と行動のうえで、どのようにとらえていったか。つまり自然や環境のかかわりあいのしかたの中に生まれでてきたものが、われわれにとっての生活のためのデザインではないだろうかと、こう考えております。 「残念なデザイン。」から「デザインをする人に求められる資質」まで、yusuke

  • 喜びも悲しみも大家に集まる: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 宮常一さんのはこれまで読んだ『忘れられた日人』も『日文化の形成/宮常一』もおもしろかったんですが、これがまた、住まいのかたちから日人のかつての暮らしや社会がわかって、非常におもしろく感じます。 日人の暮らしというと畳の生活を思い浮かべたりしますが、実は明治の初め頃までは土間にもみ殻や藁を敷き、その上にむしろを敷いて暮らしていた家が多かったとか、主人は納戸に寝ていて、窓のない納戸は寝床も敷いたままの万年床だったとか。意外と僕らがイメージしている日人の昔の生活というのは、根拠のない想像であることがわかります。 大きな土間をもつ大きな家ほかにおもしろなと感じたのは、大きな民家についての話です。 東日や能登半島には非常に大きな家が多かったそうです。どのくらい大きい

  • 日本文化の形成/宮本常一: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近、は相変わらずのペースで呼んでいますが、なんとなく書評を書く気にはなれなかったのですが、ひさしぶりに。 紹介するのは、すこし前に『忘れられた日人』という日民俗学における名著を紹介させてもらった宮常一さんの遺稿を死後編集し出版したもの。 『忘れられた日人』を読めば感じられるとおり、日列島を徹底的に歩き回った宮さんが、『古事記』や『日書紀』、『万葉集』、『風土記』などの古代の文献を読み返しながら日文化論がこの一冊です。 フィールドワークと文献研究網野善彦さんによる解説のなかの次の一文がまさにそのとおりだと感じたので、まずそれを引用しておきます。 私は書を読んで、民俗学者としての姿勢を徹底的に貫き、広い調査、フィールドワークを積み重ね、民俗・民具資料につい

  • 日本芸能史六講/折口信夫: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 民俗学者の折口信夫さんは日藝能の歴史を発生学的に論じた『日芸能史六講』において、<藝能はおほよそ「祭り」から起つてゐるものゝやうに思はれます>と述べています。また、この「祭り」は饗宴といったほうが適当かもしれないとも言っている。かつては祭りそのものが宴会の形をなし、客人(マレビト)を饗応の御馳走で招くものだったからです。 このまれびとに対して対蹠の位置にある人があるじです。このあるじといふ語は、吾々は主人といふ風に考へ易いが、もとは饗応の御馳走のことを言うた語です。つまり来客の為に準備しておいた御馳走を、その客にすゝめることをばあるじすと言うてゐますが、御馳走をすゝめる役が、主人だつたのでせう。そしてこのことから、主人をあるじと言うやうになつたのです。 そして、このある

  • 忘れられた日本人/宮本常一: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 宮常一(1907-1981)さんは、昭和14年以来、日全国を歩き回るフィールド調査により、各地の民間伝承を収集した民俗学者です。こので宮さんはみずから訪ね歩いた辺境の地で聞き取りした古老たちが語るライフヒストリーをまじえながら、日の村々の民衆の暮らしを鮮やかに浮かび上がらせています。その老人たちの話はどれも個性豊かで、それぞれが小説か民話の主人公のように活気に満ちていて、これが普通の村に暮らす民衆の姿なのかと驚かされます。 村里生活者は個性的でなかったというけれども、今日のように口では論理的に自我を云々しつつ、私生活や私行の上でむしろ類型的なものがつよく見られるのに比して、行動的にはむしろ強烈なものをもった人が年寄りたちの中に多い。これを今日の人々は頑固だと言って

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