タグ

affordanceに関するgitanezのブックマーク (26)

  • 空気は目線で読む: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 あっ、空気って目線とかで読むんだなー。 今日はそんなことを感じました。 ある会議で進行役をやらせてもらったんですが、その場自体がはじめてだったことと出席者があまりに積極的な発言をしてくれたので、まったく仕切れなかったんですね。出席者の数も多かったし、話してるテーマが得意分野じゃなかったというのもありました。 でも、それだけの要因だけなら、普段ならもうちょっと仕切れたはずだったんですよね。それなのに、それができなかった。 どうして? なんでだろ?と思って気づいたのが、座る位置。 普段なら割って入れたはずのタイミングを何度か逃してしまったのは、発言者すべての顔が見えなかったからだと気づいたんです。よく思い出してみると、割って入るタイミングがつかめなかった人はすべて自分からは表情

  • 物と行為(動作)のつながり具合

    わかりやすいです、棚橋さん。 ということで、 棚橋さんからエントリーを頂きました。ありがとうございます。 途中からの方は参考までに、ここまでに「アフォーダンス」について考えていたメモのエントリーは以下です。 アフォーダンスは差しのべられた手座れるというメッセージもあれば座れないというメッセージもあるなぜ、イスからメッセージを感じとれるのか?アフォーダンスとは記号のようにそれが何かわかること? 棚橋さんから頂いた内容は以下のエントリーを見ていただければと思います。 説明としては、こういう例の方がわかりやすいのかなって思います。 アフォーダンスとは(DESIGN IT! w/LOVE) 写真がわかりやすいです。 自分はアフォーダンスという入り口をきっかけに物と行為(動作)の両者がなぜつながるのか?つながりかたがちがうのはなぜか?なにが行動に影響を与えるのか?を考えていたようです。 ブログなので

    物と行為(動作)のつながり具合
  • アフォーダンスとは: DESIGN IT! w/LOVE

    椅子は座ることをアフォードする。 アフォーダンスの説明によく使われます。でも、それって椅子は座るものだという知識がすでにあるからじゃないの?といわれると返答に困ります。 説明としては、こういう例の方がわかりやすいのかなって思います。 ペンのように細いものを取ろうとするとき、ペンケースのようにある程度厚みのあるものを取ろうとするとき、手(指)の形は異なる。それもペンやぺーンケースに触れてから異なるのではなく、それらに触れる手前からすでに手(指)はペンやペンケースの形をなぞらえている。それぞれの形が、手(指)の形をアフォードする。 これが何か熱そうなものだとしたら、また、それは違う手の形をアフォードするし、蝶々をつかもうとしたら手は自然とやわらかな形をつくります。 アフォーダンスも専門家じゃない僕らのような人には、まずはこのレベルの理解からはじめるといいかなと思います。 どう、藤井君? 僕らは

  • 漢字百話/白川静: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「形のないものは当は語ではありえない」 このことばを目にしたとき、僕は自分がどうして白川静さんのにこんなに惹かれるのか、わかったような気がしました。人間にとっての形と意味あるいは価値。そして、その形を操る人間の日々の行為。僕はそのことにすごく関心がある。それは僕がデザインなんてものにずっとこだわっている理由とも関係しているのだろうと思います。 このことはまたあとで書くとして、まず、このの内容に触れておくことにします。 ことばを保持する形カナやローマ字は文字だろうかと白川さんは言います。ことばを記すのが文字なら、それはことばを記すものではないと言っています。やbookはことばだけれど、ホンやhonは単に音をあらわしただけで、具体的な""を想起させるに足る単語性をもっ

  • されば地と隔たる器はなく、人を離るる器はない: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 人間が使う道具をデザインするのに、それを使う人間のことを考えようとせず、いきなり完成形の形ばかりを気にする人がいます。ユーザー調査をすればそれで満足するのか、ろくに自分の頭で分析しようともしないで、ただひたすら答えを求めたり。 先日の土曜日に行った「ユーザー中心のWebサイト設計・ワークショップ2日目」の参加者がはからずとも言っていましたが、大事なことはユーザーの視点でデザインを考えていく過程です。その意味で昨日のワークショップに参加してくださった皆さんは、それぞれがあの場でユーザーの視点から考えるデザインの方法を学びとろうという意欲が感じられ、僕の方がいろんな勉強をさせてもらったくらいです。 一方で、そういう熱い気持ちを感じさせてくれる人はまれで、なんとなく仕事だからやっ

  • ものがひとつ増えれば世界が変わりうるのだということを想像できているか: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ものがひとつ増えれば世界が変わりうるのだということを想像できているか。 それはものづくりやデザインに関わる人にとって非常に重要なことではないかと思います。 マーケティング的発想やユーザー中心のデザインというものを誤解していたりすると、ユーザーにはもともと不満やニーズというものがあると想定してしまいがちです。なるほど、調査をしたり、ちょっと話を聞いたりすれば、人は自分が使っているものや自分が置かれた環境に対する不満をいろいろ述べるかもしれません。時にはもっともらしい話で、ある時、○○をしようと思って××をつかったら、△△の問題があってうまくできなかったという話をあなたに聞かせてくれるかもしれません。それを聞いたあなたはなるほどユーザーには「○○をしよう」というニーズがあるんだ

  • 身体の一部としての道具という発想: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 先日、『木に学べ―法隆寺・薬師寺の美』を紹介した西岡常一さんは「わたしらにとって、道具は自分の肉体の先端や」と言っています。木のクセを知り、そのクセを活かすように木を切ったり削ったりする大工道具は、きっと自分の指先のように木の肌を感じたり、自分の腕のように自在に操れる必要があるのでしょう。斧で足を切らないためには服装もダボダボのものではだめで、足の形がはっきりわかるようなものでない「危のうてしようがないわ」と言っています。 この「道具は自分の肉体の先端」っていう考え、すごく大事だと思うんですよね。先端じゃなくてもいいんですけど、道具を身体の一部として感じ、扱うという感覚が。 身体から切り離された道具最近だと、落としたり、ぶつけたりしても、壊れない。そういう頑丈さを売りにして

  • アニミズムすぎるくらいがほんとうのアフォーダンスでは?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 僕もそれがほんとうだと思う。 松岡 かつて才能というものは日の場合、「才」が全部物質の中にあったんです。それを「才(ざえ)」と呼びましたけれど、石に才があり、木に才があり、花に才があり、釘に才がある。それをはたらかせるというのがモーメントとしての「能」という字なんです。それが、やがて能をはたらかせる人に才能があるというように、どこからか変わってしまった。でも、石に才能があるほうが、ほんとうだと思うんですよ。 さっき盆栽に水をやろうとして手を滑らせて鉢を割ってしまったような僕のような人間にとっては、どう考えても「才」が自分の側にあるとは思えない。それどころか、モーメントとしての「能」の力のかけ加減も間違えて鉢を割ってしまうんですから。 石に才があり、木に才があり鉢を割ってし

  • 「機を見るに敏」ってところが足りないよね: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 僕が他人を見ていて、よく感じるのは「反射神経が鈍いな」ということです。他人の話にパッと反応できないんですね。以前に「最初にパッと<映像がしっかり浮かばない>と」というエントリーも書いていますが、あまりに反応が鈍すぎて会話にならなかったりします。 反応が遅すぎない?会話の場面じゃなくてもそう。街を歩いていると、何か手に持っているのを落としても、「あっ」という、落ちた物をみる、しゃがむ、ひろう、というひとつひとつの動作がすごく緩慢な人をよく見かけます。電車やエレベーターの扉の出入りもそうだし、道を歩いてきた人をよけるのもそう。なんで、そんなに遅いの?って目を疑うことが少なくありません。 動きそのものが遅いというより反応が遅いんですね。他人や自分以外のものの反応が読めないというか

  • 変化と固定化:日本に期待されていること: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 変化する動きそのものを重視するか、固定化されたモノそのものを重視するか。 ここ最近のエントリー、 「自分探し」より大事なのは「もう一人の自分」をみつけること意味を超えたところにある何か不確実な世界の変化を受け入れる敏感さ庭と日人/上田篤 で書いてきた日古来のモノの見方には、そのことが大きく関わっていると思います。 「意味を超えたところにある何か」で引用した養老孟司さんの言葉にあるように「生き物は二度と同じ状態にあることはなく、反対に表現は決して変化しない」のであって、このいずれ-同じ状態にあることなく変化し続ける生物・自然か、人間によってコントロール可能な形に固定化された人工物か-に価値をおくか=畏れるかは、人びとの思想を形づくるうえで重要な岐路となりえます。 その岐路

  • 実践の動きのなかで: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 動きが意味を生成することに関して。 エスノメソドロジー方面の次のような記述と、 注意すべきなのは、行為を適切に理解することは、社会学方法論上の問題である前に、実践に参加するものにとっての課題でもある、ということです。 ガーフィンケルは、社会秩序の問題というものが、社会学者が解答を与えるべき問題ではなく、むしろ、人びとが日々、それぞれの状況において互いの振舞いを協調させ秩序だてていくなかで直面し解決している実践的な課題なのだと捉えます。

  • 動きが意味を生成することと茶の湯における作法の関係に関するメモ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 相変わらず風邪による発熱で頭がぼーっとしている状態なので手短にメモのみ。 運動が開始されることで、環境には差異が生まれ、その差異が生命の内部に新たな差異をつくりだしていく。運動することで遠近感が構成され、敵と見方が判別でき、探索と発見が可能になり、知覚に多様性が生まれ、言語が進化するというシナリオが考えられる。運動は意識と知覚の進化の原動力である。 こので著者はまた別のところで、"運動のスタイルの生成は、また「意味の獲得」でもある"と述べています。 前に「写真を揺らしながら見ると立体的に見える」なんてエントリーを書きましたが、運動のなかで「立体的に」も含めた意味を獲得しているということなのでしょうか? アフォーダンス的にいえば、情報は環境と人がそれを感知する動きの相互作用

  • 人は、4分の1インチの穴を欲するではなく、4分の1インチ・ドリルを欲する:DESIGN IT! w/LOVE

    といい、物そのものではなく、ベネフィットの重要性を訴えたのは有名な話です。 でもね、そう考える人たちがひとつ忘れてることがあります。 「決死の覚悟」か… 長く使い番をしておればよく耳にするつまらぬ台詞よ 口ではいえど 人間 生への執着はそう易々と捨てきれぬもの 「物」にかかわる執着は特にな 物理的なものから解放された情報、サービスは現実には存在しないということです。 紙幣や硬貨が電子マネーになろうとも、それは紙幣や硬貨という形態の物ではなくなっただけで、それは以前としてICカード、あるいは、おサイフケータイとしての物理性をとどめているように。 背景化した「物」手描きで書いた数字の「1」と、いま皆さんの目の前にあるモニターにキーボードで「1」のキーを押してあらわれる「1」とは違います。同じ手描きでも、ホワイトボードにマーカーで描いた「1」、自分のノートにボールペンで書いた「1」、あるいは他の

  • 生物から見た世界/ユクスキュル: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 『生物から見た世界』は1934年に、動物比較生理学者であったドイツ人のヤーコブ・フォン・ユクスキュルによって書かれた、科学の古典的な一冊です。 こので、ユクスキュルは、行動は生物にとって刺激に対する単なる反応ではなく、生物の主体的な知覚が生み出す「環世界」との相互作用であると主張しています。 生物をさまざまな「知覚道具」や「作業道具」のみが埋め込まれた機械のような構造体としてみるのではなく、すくなくともそれらの機械の操作系である主体性がともに埋め込まれたものであると見做すことで、ユクスキュルは独自の思想である「環世界」というものを生み出しました。 しかしそうなれば環世界に通じる門はすでに開かれていることになる。なぜなら、主体が知覚するものはすべてその知覚世界になり、作用す

  • 写真を揺らしながら見ると立体的に見える: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日携帯の写真を見てて気づいたんですけど、ふつうに見ると平面的にしか見えない写真も、前後に揺らしながら見ると立体的に見えるんですよ。 知ってました?動きがあるからこそモノを立体視できるアフォーダンス理論で知られるジェームス・ギブソンが提唱した生態学的認識論という理論があります。 生態学的認識論は、情報は人間の内部にではなく、人間の周囲にあると考える。知覚は情報を直接手に入れる活動であり、脳の中で情報を間接的につくり出すことではない。 この生態学的認識論では、人間って身体の動きがあるからこそ、モノを立体視できると言われてます。 地表面の上にある高さをもって立つ動物である人間には、ここから向こうへと奥行きをもって広がっている地表面が手前が荒く、遠くにいくほど細かくなる「きめ」を

  • ユーザーエクスペリエンスを考える上でのおすすめの15冊:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 Web標準の日々のセッションでも何冊かご紹介しましたが、あらためてここでユーザーエクスペリエンスのデザインを考える上でのおすすめのをいくつか紹介しておきます。 さっき「ユーザーエクスペリエンスとイノベーションのデザイン」なんてエントリーも書きましたが、ユーザーエクスペリエンスだとか、デザインによるイノベーションなどを考えている方は、このあたりはいちおおさえておいたほうがよいかと。 ビジネス書まずはビジネスサイドで経験価値、ユーザーエクスペリエンスがどのように注目かを知るための3冊。 経験経済/B・J・パインII、 J・H・ギルモアコモディティ、製品、サービスに続く第四の経済価値としての経験について取り上げたビジネス書。顧客の体験を「演劇」というメタファーを用いて説明してい

  • フィードバックという情報をデザインする: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 さて、唐突ですが、下の3つの文章を読みくらべて何か感じることはありますか? 話しかけても答えてくれない道端の石ころに話しかける人はいないまともなアドバイスが返ってきたことのない上司に何度も相談をし続ける人はいない肌触りのよいぬいぐるみには用がなくても触れてしまったりする これってユーザビリティとか、ユーザーエクスペリエンスを考える上でのキモとなる要素の1つです。 まだ、ピンときませんか。じゃあ、こういうのはどう? ボタンを押してもなんの変化もないUIをいつまでも我慢して見続ける人はいないまともな検索結果を返してくれない検索システムをずっと使い続ける人はいないUIが最高なiPhoneには用がなくても触れてしまったりする 最後の「iPhoneうんぬん」だけは実際に僕自身触ったこ

  • ヒトが使う道具のデザイン:ドーキンスの「延長された表現型」: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 すこし前に「サーフェスの変形だけが人生である」というエントリーで、『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』からこんな文章を引用しました。 たとえば、化粧や料理はサーフェスにあるもともとの意味を残しながら、その意味を強調するというレイアウトの修正です。強調しすぎれば仮面のようになってしまったり、べられなくなってしまいます。創造というべきか発見というべきか、われわれは、サーフェスのレイアウトを変形しレイアウトの5種類の性質を使って、サーフェスに新しい意味を作っている。 ヒトは「平坦性」「閉じ具合」「引き延ばされ具合」「サーフェスの結合の仕方」「囲い方」という5種類のレイアウトの性質を使って、新しい意味をつくりだしています。新石器時代から何万年も。 おなじエントリーでは、ア

  • 周囲とともにあるデザイン: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「行動の痕跡を観察しインタラクションをリデザインする」で、プロダクトデザイナーの深澤直人さんの2つのデザインアプローチを紹介しました。 フィールドワーク的な観察で直接得た行為とそれが利用したモノのセットを見出す方法人々の行動の痕跡が残されたものを探す方法 いずれもFound Objectというアプローチを重要視している深澤さんならではの「すでにあるものを観察により発見する」ことからデザインをはじめる方法論です。 見た目のデザインではなく、身体がそれを使うことを重視したアプローチだからこそ、身体の動きの痕跡や行為とモノがセットになったものが重視されます。深澤さんの場合、身体の動きの軌跡をほんのすこしラインを変化させてあげればデザインが生まれる。いや、身体の動きの軌跡をちょっと

  • 3種の表面とユーザー・インターフェイスのデザイン: DESIGN IT! w/LOVE

    J・J・ギブソンの生態心理学においては、生物を取り囲む環境を構成している表面の性質やレイアウトの組み合わせに応じて、環境そのものがそれに取り囲まれた生物の特定の行動可能性を促進あるいは抑制する行動リソース(アフォーダンス)として考えられています。 生物は光学的情報、音響的情報、化学的情報などの生態学的情報から行動リソースを知覚することで環境の価値を特定します。その行動リソースは環境の側の動きによっても変化するし、生物自身の動きによっても変化します。環境の側、生物の側の動きによって表面のレイアウトが変化し、また、一部は変化しないことで、生物は環境のアフォーダンスを知覚することができます。 人間という生物にとって、この環境の表面のレイアウト変更のタイプ、そして、それによって生み出される表現のタイプは以下の3つに分類できると佐々木正人さんは言います。 未加工の表面修正された表面表現された表面 「