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communityに関するgitanezのブックマーク (10)

  • バズ・ワールドを肯定的に生きる: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 バズワードという言葉が意味をなさなくなるくらい、あらゆる言葉の意味が流動化して、日々どんどん意味を変えていくのがいまという時代なのかなと感じます。 そして、その不安定さは単に言葉の問題だけじゃありません。 モノや人や組織などの価値=意味も、バズワードのようにあるとき価値をもったものが次の瞬間には意味を失うという非常に不安定なうつろいがごく普通に起こっています。 その様は、もはやバズワードというよりバズ・ワールドと呼んだ方がよいでしょう。 休む暇もなく、終わりのない活動ができることをポジティブに捉える市場をリードしている商品やブランドがあっという間にコモディティ化してしまうのもそうした1つの例でしょう。 ヘンリー・チェスブロウが『オープン・サービス・イノベーション』の冒頭で、

  • 作ったモノを提供するのではなく、いっしょに作りあげる機会を提供する - Think Social Blog

    Tweet ここ最近のブログ記事やFacebookページの投稿でも繰り返し述べてきていことですが、これからの社会課題の解決は、企業中心に行なわれていた従来型のソリューションのようにモノやサービスを提供することで問題解決を目指すやり方ではなく、問題を抱える人やその地域に暮らす人びとが積極的に参加して問題解決のための活動を行いながら、持続的に問題解決のための活動を行えるようなコミュニティを生み出していく方法が求められてきているということを強く感じます。 今回は、アメリカで子供の遊び場である公園造りを通じて地域コミュニティの再生に取り組んでいる事例を紹介しながら、問題解決の方法が「モノの提供」から「解決の場の提供」に変化している傾向を見ていくことにします。 公園を造ることで子供たちに遊び場を提供する非営利法人Kaboom!(カブーム) 全米各地に公園を造ることで子供たちに遊び場を提供する非営利法

  • ソーシャルメディアという寄合空間: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 今日、会社のほうのブログの「逆パノプティコンから寄合方式へ」という記事にも書きましたが、現在、そして、これからのソーシャルな時代における企業と顧客あるいは企業と従業員の関係は、かつての村の寄合方式で見られたような「互角な立場での話し合い」ができる「同じ共同体の成員」という意味合いを色濃くしていかないと互いにうまくいかないだろうなということを強く感じています。 顧客がすでにどの企業と付き合うかをカンタンに選べ、かつ不満をもつ企業にこれまたカンタンに物申すことができるようになっているのと同様に、そのうち、企業と従業員、企業とその取引先の関係性においても間違いなくこれまでのような企業優位の形は崩れて、従業員も取引先も企業に対して対等に物申せる状況が訪れる流れになっています。 つま

  • なんでもかんでも「仕事」に頼るのもどうか?と: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 どうして「自分の暮らしに興味がないんだから、人の暮らしの提案なんか、そりゃできないよなという話」にリンクが張られているのか、また、トラックバックされているのかわからないんですけど、それ以上にわからないのは、この部分。 最後の意味において「生活」と「仕事」の主格は逆転し、主役は「仕事」になっています。この点で、「なぜなら仕事のために人生があるのではなく、人生のために仕事があるのだから」の人とは真逆です。仕事が「糧を得る手段」だけでなく「自己表現の場」である人にとっては。 文中の「主格」は「主客」だと思いますがママ。 わからないのは、なんで「自己表現の場」が仕事になるという話がすんなりスルーされちゃうのかという点。それが昨日のエントリーの主旨でもあり、「仕事」に重きをおきすぎな

  • Amazon.co.jp: Ralph Lauren Deluxe: Lauren, Ralph: 本

  • 目に見えないものの重要性 (What's inspire me ?)

    niceなトラバをいただきました。 そもそもアイデンティティというのは、自身と誰かほかの相手との相互関係のなかで生まれてくるもので、一般に信じられているように、個のなかに存在するものではありません。 <中略> アイデンティティそのものが社会的コミュニティを前提とした機能である以上、そこに別のコミュニティやアイデンティティを想起する必要はないと思います。 そうですね、確かに。そして自身と他者があり、そしてその相互関係のなかではじめて「自分」をリアルに感じられる。それはアイデンティティとは自分が思い考える範囲よりも広く、時には受け入れがたいほどの「タギング」もあるのですね。大事なのは自身と他者とを俯瞰するような第三者の目であったり、さらにもっと大きなCrowdsと呼ばれるものを感じることなのかもしれない。そして、自身と他者を分裂させることで「共感」の意味もわかりはじめる。(私的インフォメー

  • 2007年はコミュニティ復権元年? : 大西 宏のマーケティング・エッセンス

    2007年01月04日23:22 2007年はコミュニティ復権元年? カテゴリ変化への視点 kinkiboy Comment(2)Trackback(6) 匿名という問題は結構複雑ですね。会社に勤めている人たちが2ちゃんねるやブログ、またSNSなどで匿名で意見をネットにあげることは、しかたないことであり、しかもそれだから自由にネットに主体的に参加できると言われます。しかし、よくよくよく考えてみれば、それも奇妙な話であり、道義的にも法的にも秘匿しなければならない問題を暴くというのならいざしらず、名で書いて会社や身の回りでトラブルが起こる、あるいはその危険を感じるというのは、企業や社会のほうが病気と感じるのですがいかがですか。 企業も含め病気である社会からの自衛手段としての匿名を使うということは当然のことでしょうし、さらにペンネームを持つと言うこと自由でしょう。しかし問題は、匿名であるために

    2007年はコミュニティ復権元年? : 大西 宏のマーケティング・エッセンス
  • 不可視な結びつき、匿名のアイデンティティ: DESIGN IT! w/LOVE

    そもそもアイデンティティというのは、自身と誰かほかの相手との相互関係のなかで生まれてくるもので、一般に信じられているように、個のなかに存在するものではありません。 ヒトの意識が脳の中に閉じ込められたことはいまだかつて一度もないその意味でちささんが引いてらっしゃる梅田さんの次のような言葉にも実は盲点があるんです。 これまでは人間の脳という物理的な制約の中に閉じ込められてきた個人の経験や思考が、これからは他の人たちとゆるやかに結びつき始めるのである。 個人の経験や思考が完全に「脳の中に閉じ込められた」ことなんて、いまだかつて一度もないということがここでは語られていません。 梅田さんはおそらくわかって書いてらっしゃるのでしょうけど、「これからは他の人たちとゆるやかに結びつき始める」というのは、実は当に「結びつき始める」わけではなくて「元々結びついていたものがあらためて結びつき始めたように見える

  • Wisdom of Crouwds こそがコミュニティ (What's inspire me ?)

    コミュニティの復権と匿名性の問題を一緒に語ってしまうのは、少し難しい気がしました。 人はコミュニティのなかでしか自分の顔を確かめることができないわけで、匿名であるということは個人としてのアイデンティティを持てないということであり、それを貫いて生きていくというのは辛いことです。コミュニティの復権は、個人のアイデンティティの復権の問題でもあり、いったん失われたコミュニティを社会が取り戻すには時間がかかるとはいえ、きっと社会的なニーズとして大きなトレンドとなってくるものと思います。 確かに、コミュニティというのがキーワードであり、その力を生かす、またはその活動の場を提供することが既存ビジネスに求められてくるとは思います。シリコンバレーがあそこまで社会的インパクトのある企業を排出できるのも「シリコンバレー」という地域のコミュニティの力があるからです。しかし、コミュニティ内でのアイデンティティがない

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