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historyに関するgitanezのブックマーク (84)

  • 形態的類似|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    カルロ・ギンズブルグの『闇の歴史』がおもしろい。 中世から17世紀にかけてのヨーロッパにおいて、無数の人々が参加者として告発され、裁判にかけられて刑に処された、魔女崇拝の集会であるサバトという、実際には行われたかが定かではない集会が、それなのに、何故さまざまな地域や時代において、ほぼ定型の内容のものとして罪人の告白として裁判記録に残っているのか? また、その内容はどこでどうやって定型化されたのか? 主に、罪を裁く側の視点での記録しか残されておらず、裁かれた側からの記録が残されていないがゆえに、ことの真実を明らかにするのがむずかしい歴史の謎を、歴史学的な手続きのみならず、文化人類学的な構造主義による比較も用いながら紐解いていく著者の情報の扱い方、そこから導かれる仮説の出てくる様に、読めば読むほど惹きつけられる。 →カルロ・ギンズブルグ『闇の歴史』 1つ前の「思考の土台」というnoteで、「情

    形態的類似|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
  • 鉄道が標準時をつくった: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 びっくりした。 知らないことを突然知るのは驚きである。 いまヴォルフガング・シヴェルブシュの『鉄道旅行歴史』というを読んでいるが、その中にこんな一節がある。 地方は、具体的にその時間を失う。鉄道により、その地方的な時間が奪われてしまう。地方が個々に孤立しているかぎり、地方にはそれ固有の時間があった。ロンドンの時間はリーディングより4分、サヤレンセスタより7.5分、ブリッジウォーターよりも14分早かった。 最初読んでもピンとこなかった。その前に鉄道によって空間の間を移動する時間が大幅に短縮され、空間同士の距離が小さくなるといった話があったので、その流れで地方が同じ生活時間圏内になるといった話かと思った。 それにしては「ロンドンの時間はリーディングより4分…」のくだりの意味

  • 思考の歴史というものを考えてみたい(前編:中世、そして、15-16世紀): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 何のためかはひとまず置いておいて、先日、ふと思い立って、15世紀から19世紀にかけての芸術や科学にまつわる歴史的な出来事を中心に気になるトピックをポストイットに書き出し、並べてみるという1人ワークをやってみた。 やってみると、やはり面白いものでいくつか時代の変換点といえる地点が見えたり見えなかったりしたので、今回はそれをざくっとまとめてみる。 中世まではまずは、対象外としての中世から。 「15世紀から19世紀にかけて」という視点では対象外なので、ほんと、思いつくまま、こんな特徴をあげてみた 中世の部屋はほとんど家具がなかった印刷以前、オリジナルの著作はなく、をつくることはモザイクの作成だった人は旅をするようになった このリストの最初にあげた「家具がなかった」という話はマク

    思考の歴史というものを考えてみたい(前編:中世、そして、15-16世紀): DESIGN IT! w/LOVE
  • レンブラントの目/サイモン・シャーマ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 17世紀の中頃、いよいよデザインという思考の形が人々の頭を支配しはじめたのがその時代であったと僕は考えています。 後に18世紀に入れなテーブル(表)にデータを並べる操作により、リンネにはじまる近代分類学という科学的な物の見方が生まれたり、さらにその1世紀後の19世紀には同じく品物をあるルールに基づき陳列することで、万国博覧会や百貨店という物の価値=意味を提示するための方法の創出にもつながっていくデザイン的思考によるさまざまな発明。 そんな風にさまざまなものを収集しレイアウトすることで意味=価値を生みだす視覚的イリュージョンが、17世紀の中頃から、それを行う人の思考さえもそれ以前とは大きく変えはじめます。その新たな思考の技法を駆使して、世界の見方を整え、理解を促そうという思考

    レンブラントの目/サイモン・シャーマ: DESIGN IT! w/LOVE
  • ヴィクトリア朝の宝部屋/ピーター・コンラッド: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 技術とその応用が人間というものを大きく変えます。 マクルーハンが「すべてのメディアは身体の拡張である」と語ったのと同じ意味で、あらゆる技術は単に人間の生活スタイルを変えるだけでなく、人間の思考や物事の捉え方自体を革新してしまいます。 ようするに、常に僕らの思考や価値観はいま現在用いられている技術の影響なしにはありえない、そういうことになります。また、過去に同じように人々の思考を変えた技術の影響に僕らの思考は囚われたままということでもあると思います。 ほとほと困ってしまうのは、僕ら自身がそのことをすっかり忘れがちだというでしょう。 僕らは、あたかも自分たちが自由に考えているように信じているし、普遍的な仕方で考えていると勘違いしています。それゆえに思考や価値観に関してはきわめて

    ヴィクトリア朝の宝部屋/ピーター・コンラッド: DESIGN IT! w/LOVE
  • デザインの体幹 Vol1&2 のスライドをシェア: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 5月から「デザインの体幹」というトークセッションイベントをやってます。 前にこの記事で紹介した「デザインの深い森」というイベントの続編です。 ▲昨夜の「Vol2.物語編集力」のスライドの一部。物語編集力を実践で示すためにつくった15世紀東西の歴史年表 「デザインのための4つの領域を鍛える連続トーク講座」と銘打って、ファシリテーション/物語編集/リフレーミング/構想の4つのテーマを1回ずつ、僕と千葉工業大学の山崎先生にプラス、テーマに応じたゲストを迎えてトークを行うイベントです。 昨日は、Vol2.ということで「物語編集力」をテーマに話しましたが、結構、ディープでカオスで参加者の頭を悩ませるトークが繰り広げられました。 ゲストの方を含めて3人それぞれが三者三様の形でテーマを噛

    デザインの体幹 Vol1&2 のスライドをシェア: DESIGN IT! w/LOVE
  • 木を見て、森をみない「ディテール執着症」のはじまり: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 前回の「19世紀後半の芸術の残骸としてのわかりやすさとリアリティ」では、現代の「やらせ映像」にもつながる、ある側からみれば非常にわかりやすいリアリティをもった、また別の意味からいえば紋切り型のそうした表現に関する実践的研究が行われたのが19世紀後半の自然主義・写実主義芸術の時代であったことを紹介しました。 その19世紀の半ば以降に生まれたのが、ショールームや百貨店などの販売システムであったことは、前々回の「見せる空間から参加する空間へ」という記事で紹介しています。 世界最古の百貨店といわれるボン・マルシェがいまにつながる百貨店のシステムを確立したのは1852年。それに先立ち、世界最初期のショールームというべき、鉄骨とガラスで作られた巨大な建造物である「水晶宮」で知られる世界

    木を見て、森をみない「ディテール執着症」のはじまり: DESIGN IT! w/LOVE
  • デザインという思考の型から逃れる術があるのか?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近、デザインとは「思考の型そのものである」と考えるようにしています。 しかも、その思考の型は決して特別なものではなく、むしろ、現代に生きる僕たちはデザインという思考の型以外で考えられなくなっている。僕はそう考えるようになりました。 昨今、「デザイン」という概念の重要性が増し、誰もがその力を身につけようと方法論や事例をかき集める風潮がみられますが、この僕の観点からいえば、�むしろ僕らはデザインという型を使わずに考えることができないのだから、当に願うべきはデザイン力を身につけることではなく、いかにしてデザインという思考の型に無意識のうちに縛られている自分を自覚するか、デザインという思考を当の意味で認識対象にするかということではないかと思うのです。� 僕らはみな、デザイン力

    デザインという思考の型から逃れる術があるのか?: DESIGN IT! w/LOVE
  • バズ・ワールドを肯定的に生きる: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 バズワードという言葉が意味をなさなくなるくらい、あらゆる言葉の意味が流動化して、日々どんどん意味を変えていくのがいまという時代なのかなと感じます。 そして、その不安定さは単に言葉の問題だけじゃありません。 モノや人や組織などの価値=意味も、バズワードのようにあるとき価値をもったものが次の瞬間には意味を失うという非常に不安定なうつろいがごく普通に起こっています。 その様は、もはやバズワードというよりバズ・ワールドと呼んだ方がよいでしょう。 休む暇もなく、終わりのない活動ができることをポジティブに捉える市場をリードしている商品やブランドがあっという間にコモディティ化してしまうのもそうした1つの例でしょう。 ヘンリー・チェスブロウが『オープン・サービス・イノベーション』の冒頭で、

  • 過去についての知識は馬鹿や間抜けや敵が書いたものに由来している: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 今、『薔薇の名前』や『フーコの振り子』などの小説でも知られるイタリアの中世学者・記号学者であるウンベルト・エーコと、フランスの劇作家・脚家であるジャン=クロード・カリエールという、いずれも勝るとも劣らぬ大読書家にして蔵書家の2人による対談集『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』を読んでいます。 いや、正確には「今読んでいる」というより、思い出したときに手に取ってはすこしずつ読み進めているという感じでしょうか。 その意味では、って、自分が好きな時にゆっくりしたペースで読めばいいのだというのをあらためて思い出させてくれるです。 さて、そののなかでウンベルト・エーコがこんなことを言っています。 「じっさい、過去を再構築するとき、ただ1つの情報源に依拠するのは望ましくあ

  • 人間や社会にどんな知的ソフトウェアがインストールされているかを知り、それが変更されると何が変わるかを想像できるようにすることの必要性: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 はい。今までで一番長い記事タイトルじゃないでしょうか? 最近、読み始めたウンベルト・エーコとジャン=クロード・カリエールという2人の博覧強記の愛書家の対談『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』の序文はこんな文章ではじまっています。 「これがあれを滅ぼすだろう。書物が建物を」 ヴィクトル・ユゴーのこの名言は、『ノートルダム・ド・パリ』に出てくるパリのノートルダム大聖堂の司教補佐クロード・フロロの言葉です。おそらく建築物は死にませんが、変貌するある文化の象徴という役割を失うでしょう。「それに比べて、思想が書物になるのには、わずかの紙とわずかのインクとペンが一あれば充分だということを思えば、人間の知性が建築を捨てて印刷術を選んだからといって、どうして驚くことがあるだろう」。

  • 中世の覚醒/リチャード・E・ルーベンスタイン: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 長い間、西ヨーロッパから失われていたアリストテレスの著作は、レコンキスタでムスリムの支配から脱した12世紀のスペインで再発見されます。実に1000年近く、西欧の人々に忘れられていたギリシアの哲学者の思想は、当時のキリスト教者にとっては異教の敵であったはずのムスリムの人々の手で守られてきたおかげで、西欧の人々の視線のうちに復活したのです。 それが中世スコラ学を生む原動力ともなり、さらには近代の科学革命にもつながる西欧思想の源流ともなった「アリストテレス革命」のはじまりでした。同時に、それは古代と近代のはざまで実現した「信仰と理性が手を結んだ希少な時代」でもあったのです。 ヨーロッパ中世の歴史に疎い僕らはつい、ヨーロッパの中世というと「暗黒の時代」だと思い込みがちです。 しかし

  • 官能の庭/マリオ・プラーツ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 分厚い。 がではない。自体もそうだが、何よりここに描き出されたヨーロッパの歴史の厚みがだ。しかも、その厚みある歴史というものも、単なる一道の直線的道のりではなく、マニエリスム芸術の蛇状曲線(フィギューラ・セルペンティナータ)のようにうねり錯綜しているし、そもそも、それが未知であるかどうかでさえ定かではない。むしろ、はっきりと刻まれた道ではないところにこそ、実は隠された厚みがある。 確かにそのものの物理的な厚さも読み終えるのに苦労する程度には分厚いのだが、それよりもこのを成す基盤としての知識の厚みに、まず唸る。ヨーロッパの積層した知識の厚みを、この1冊から感じずにはいられないのだ。 そして、何より、その分厚く積層した知識を、物理的にも分厚い1冊として編み上げ、展開す

  • イデア―美と芸術の理論のために/エルヴィン・パノフスキー: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 イデア。 強引に簡略化してしまえば、個別の事物の背後に潜む質であるイデア。 プラトンの哲学に端をなすイデアは、17世紀の初頭のマニエリスムの時代において、芸術家の精神のなかに形成された内的素描として、実際の作品の原型と捉えられるようになる。芸術家は自身の精神のなかであらかじめ形成された内的素描としてのイデアを自身の技術を用いて絵画や彫刻などの外的素描へと移し変える。 このような理論化を最初に行ったのが、マニエリスムの画家であり芸術理論家でもあったフェデリコ・ツッカーリであり、それは1607年の『絵画、彫刻、建築のイデア』という書物のうちにおいてなされたものであることは、すでに「ディゼーニョ・インテルノ(デザインの誕生1)」で述べておいた。 ところが、書の著者、パノフスキ

  • 民衆化とはなんだったのか?(デザインの誕生7): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 だいぶ間があいてしまいましたが、「デザインの誕生」シリーズを続けます。 前回の「下剋上と文化の平民化」では、西洋でのルネサンスとほぼ同時期に、雪舟がボッティチェルリやダ・ヴィンチの同時代人として、山水画の日化を果たした時代性に着目し、その時代が既存の社会システムを下から突き崩した時代であり、文化や経済が民衆化した時代でもあったことの確認をはじめました。 そのあと、この時代についてもうすこし詳しく理解しておかなくてはと思い、桜井英治さんの『室町人の精神』を読んだのですが、その時代の下克上という変化は僕が想像していた以上に劇的で、まさにルネサンスが西洋世界を近代に向けて一変させたのと同様、日社会をこれまた近代の土台をつくる方向に大きく変化させた時代であったことがわかり、僕は

  • 下剋上と文化の平民化(デザインの誕生6): DESIGN IT! w/LOVE

    侘び茶の祖といわれる村田珠光(1423-1502)は「此道の一大事ハ、和漢之さかいをまきらかす事、肝要肝要」といいました(「此道の一大事ハ、和漢之さかいをまきらかす事」参照)。それまで中国や朝鮮のものを名物としてきた茶の世界で、和物にも良さを見出し「和漢之さかいをまきらかす」ということで、唐物と和物を同じように使うことを大事にした。それが千利休の茶にも、その楽茶碗にもつながっていきます。 しかし、なぜ応仁の乱を境に、日文化の「中国離れ」が起こったのか。 それは具体的には、どのような「中国離れ」だったのか。 今回と次回にわたっては、そのあたりをすこしずつ紐解いていこうと思います。 内藤湖南さんは、一条禅閣兼良という人が応仁の乱について書いた書物から「左もこそ下剋上の世ならめ」という言葉を引き、「最下級の者があらゆる古来の秩序を破壊する、もっとも烈しい現象」が下剋上だと考える必要があると書い

  • コトをモノにした時代(デザインの誕生5): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 1週間ほど前、「明るすぎる世の中で」というエントリーを書こうと思ったのですが、なんとなく書くタイミングを逸して書くのを忘れていました。 書こうとしたきっかけは2つあります。 ひとつは田中優子さんが『未来のための江戸学』(書評)の第4章の「江戸の照明」という「照明は明るいほうがいいのだろうか?」の一文ではじまる節で、江戸の夜の暗さの美しさに触れていたのが印象深かったから。 田中さんは、その節で、上田秋成の『雨月物語』も、吉原の太夫の薄化粧も、浮世絵も、江戸の暗さや薄暗い行燈の灯りゆえに美しかったと書いています。 カラーの挿し絵や浮世絵を見ることに関しては、問題ないどころか夜になって行燈の下で見るほうがいい。それを意識して印刷していたのではないか、とさえ思えるほど、浮世絵が美し

  • サブジェクトからプロジェクトへ(デザインの誕生4): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ルネサンスが主観と客観を発見し、マニエリスムが両者の裂け目を発見した。 前回の「主観と客観の裂け目の発見」では、その主観と客観の裂け目に対する自覚とその裂け目を埋めるために、はじめて各々が芸術的規則の創造者であろうとする人間の精神的態度がマニエリスム期に芽生えたことを指摘しました。 僕はここに「デザインの誕生」の瞬間を見ます。 客観的な世界と自分との裂け目を超えて、自らの内的構図によって外的世界を変えようとする意思とその具体的な実践。そこに僕自身が『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』で「いま自分たちが置かれた状況をすこしでも良くしようと思って仕事をしているのなら、その仕事はデザインなのです。あえて定義するならデザインとは、人間自身の生活、生き方、そして、生命

  • 主観と客観の裂け目の発見(デザインの誕生3): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 前回の「ルネサンスの背景(デザインの誕生2)」の最後に、ルネサンスの中世からの変革の背景を支えた思想に、ネオプラトニズムがあったと書きました。 ネオプラトニズム(新プラトン主義)は、はじめ紀元3世紀頃にプロティノスによって開始され、ルネサンス期に再び盛んになった思想です。古代ローマ帝国の流れをくむ東ローマ帝国が1453年に滅亡にした際、多くの知識人が携えてきた古代ギリシャ・ローマの書物や知識がイタリアにもたらされます。中世のスコラ哲学ではアリストテレスの思想が重視されたこともあり、プラトンの思想(もしくはその思想は背景としたネオプラトニズム)はいわば忘れられた存在でした。それが東ローマ帝国からの古代の知の流入をきっかけにプラトンへの注目が集まることになる。 1463年にはマ

  • ディゼーニョ・インテルノ(デザインの誕生1): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 僕の最近の関心事の1つは「デザインの誕生」です。 昨日、僕が解説を書かせてもらった、ヘンリー・ペトロスキーの『フォークの歯はなぜ四になったか 実用品の進化論』(書評)が出版されましたが、そこで丁寧に描かれた近代のデザイン・エンジニアリングによるイノベーションの歴史やそのメカニズムよりも、僕自身はそもそもイノベーション=デザインということが歴史上、新しい観念として誕生した瞬間にこそ興味をもっています。 現代の僕らにとってはその存在が当たり前になってしまっているデザインというものが、ほかの多くの発明品同様に歴史上のある時点から観念として浮上し、利用可能になったものであるということ自体をきちんと整理、理解してみたいと思っています。 僕のなかには「生産力よりも消費力」で書いたよう