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historyとartに関するgitanezのブックマーク (13)

  • レンブラントの目/サイモン・シャーマ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 17世紀の中頃、いよいよデザインという思考の形が人々の頭を支配しはじめたのがその時代であったと僕は考えています。 後に18世紀に入れなテーブル(表)にデータを並べる操作により、リンネにはじまる近代分類学という科学的な物の見方が生まれたり、さらにその1世紀後の19世紀には同じく品物をあるルールに基づき陳列することで、万国博覧会や百貨店という物の価値=意味を提示するための方法の創出にもつながっていくデザイン的思考によるさまざまな発明。 そんな風にさまざまなものを収集しレイアウトすることで意味=価値を生みだす視覚的イリュージョンが、17世紀の中頃から、それを行う人の思考さえもそれ以前とは大きく変えはじめます。その新たな思考の技法を駆使して、世界の見方を整え、理解を促そうという思考

    レンブラントの目/サイモン・シャーマ: DESIGN IT! w/LOVE
  • ヴィクトリア朝の宝部屋/ピーター・コンラッド: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 技術とその応用が人間というものを大きく変えます。 マクルーハンが「すべてのメディアは身体の拡張である」と語ったのと同じ意味で、あらゆる技術は単に人間の生活スタイルを変えるだけでなく、人間の思考や物事の捉え方自体を革新してしまいます。 ようするに、常に僕らの思考や価値観はいま現在用いられている技術の影響なしにはありえない、そういうことになります。また、過去に同じように人々の思考を変えた技術の影響に僕らの思考は囚われたままということでもあると思います。 ほとほと困ってしまうのは、僕ら自身がそのことをすっかり忘れがちだというでしょう。 僕らは、あたかも自分たちが自由に考えているように信じているし、普遍的な仕方で考えていると勘違いしています。それゆえに思考や価値観に関してはきわめて

    ヴィクトリア朝の宝部屋/ピーター・コンラッド: DESIGN IT! w/LOVE
  • デザインの体幹 Vol1&2 のスライドをシェア: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 5月から「デザインの体幹」というトークセッションイベントをやってます。 前にこの記事で紹介した「デザインの深い森」というイベントの続編です。 ▲昨夜の「Vol2.物語編集力」のスライドの一部。物語編集力を実践で示すためにつくった15世紀東西の歴史年表 「デザインのための4つの領域を鍛える連続トーク講座」と銘打って、ファシリテーション/物語編集/リフレーミング/構想の4つのテーマを1回ずつ、僕と千葉工業大学の山崎先生にプラス、テーマに応じたゲストを迎えてトークを行うイベントです。 昨日は、Vol2.ということで「物語編集力」をテーマに話しましたが、結構、ディープでカオスで参加者の頭を悩ませるトークが繰り広げられました。 ゲストの方を含めて3人それぞれが三者三様の形でテーマを噛

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  • 木を見て、森をみない「ディテール執着症」のはじまり: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 前回の「19世紀後半の芸術の残骸としてのわかりやすさとリアリティ」では、現代の「やらせ映像」にもつながる、ある側からみれば非常にわかりやすいリアリティをもった、また別の意味からいえば紋切り型のそうした表現に関する実践的研究が行われたのが19世紀後半の自然主義・写実主義芸術の時代であったことを紹介しました。 その19世紀の半ば以降に生まれたのが、ショールームや百貨店などの販売システムであったことは、前々回の「見せる空間から参加する空間へ」という記事で紹介しています。 世界最古の百貨店といわれるボン・マルシェがいまにつながる百貨店のシステムを確立したのは1852年。それに先立ち、世界最初期のショールームというべき、鉄骨とガラスで作られた巨大な建造物である「水晶宮」で知られる世界

    木を見て、森をみない「ディテール執着症」のはじまり: DESIGN IT! w/LOVE
  • 官能の庭/マリオ・プラーツ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 分厚い。 がではない。自体もそうだが、何よりここに描き出されたヨーロッパの歴史の厚みがだ。しかも、その厚みある歴史というものも、単なる一道の直線的道のりではなく、マニエリスム芸術の蛇状曲線(フィギューラ・セルペンティナータ)のようにうねり錯綜しているし、そもそも、それが未知であるかどうかでさえ定かではない。むしろ、はっきりと刻まれた道ではないところにこそ、実は隠された厚みがある。 確かにそのものの物理的な厚さも読み終えるのに苦労する程度には分厚いのだが、それよりもこのを成す基盤としての知識の厚みに、まず唸る。ヨーロッパの積層した知識の厚みを、この1冊から感じずにはいられないのだ。 そして、何より、その分厚く積層した知識を、物理的にも分厚い1冊として編み上げ、展開す

  • イデア―美と芸術の理論のために/エルヴィン・パノフスキー: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 イデア。 強引に簡略化してしまえば、個別の事物の背後に潜む質であるイデア。 プラトンの哲学に端をなすイデアは、17世紀の初頭のマニエリスムの時代において、芸術家の精神のなかに形成された内的素描として、実際の作品の原型と捉えられるようになる。芸術家は自身の精神のなかであらかじめ形成された内的素描としてのイデアを自身の技術を用いて絵画や彫刻などの外的素描へと移し変える。 このような理論化を最初に行ったのが、マニエリスムの画家であり芸術理論家でもあったフェデリコ・ツッカーリであり、それは1607年の『絵画、彫刻、建築のイデア』という書物のうちにおいてなされたものであることは、すでに「ディゼーニョ・インテルノ(デザインの誕生1)」で述べておいた。 ところが、書の著者、パノフスキ

  • サブジェクトからプロジェクトへ(デザインの誕生4): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ルネサンスが主観と客観を発見し、マニエリスムが両者の裂け目を発見した。 前回の「主観と客観の裂け目の発見」では、その主観と客観の裂け目に対する自覚とその裂け目を埋めるために、はじめて各々が芸術的規則の創造者であろうとする人間の精神的態度がマニエリスム期に芽生えたことを指摘しました。 僕はここに「デザインの誕生」の瞬間を見ます。 客観的な世界と自分との裂け目を超えて、自らの内的構図によって外的世界を変えようとする意思とその具体的な実践。そこに僕自身が『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』で「いま自分たちが置かれた状況をすこしでも良くしようと思って仕事をしているのなら、その仕事はデザインなのです。あえて定義するならデザインとは、人間自身の生活、生き方、そして、生命

  • 主観と客観の裂け目の発見(デザインの誕生3): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 前回の「ルネサンスの背景(デザインの誕生2)」の最後に、ルネサンスの中世からの変革の背景を支えた思想に、ネオプラトニズムがあったと書きました。 ネオプラトニズム(新プラトン主義)は、はじめ紀元3世紀頃にプロティノスによって開始され、ルネサンス期に再び盛んになった思想です。古代ローマ帝国の流れをくむ東ローマ帝国が1453年に滅亡にした際、多くの知識人が携えてきた古代ギリシャ・ローマの書物や知識がイタリアにもたらされます。中世のスコラ哲学ではアリストテレスの思想が重視されたこともあり、プラトンの思想(もしくはその思想は背景としたネオプラトニズム)はいわば忘れられた存在でした。それが東ローマ帝国からの古代の知の流入をきっかけにプラトンへの注目が集まることになる。 1463年にはマ

  • ルネサンス様式の四段階―1400年~1700年における文学・美術の変貌/ワイリー・サイファー: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 狭義のルネサンスからマニエリスムへ、そして、バロックを経て後期バロックへ。 15世紀から17世紀にかけてのルネサンスの流れを、このような4つの段階に分けて考察するのが今回紹介するアメリカ文化史家、ワイリー・サイファーの『ルネサンス様式の四段階―1400年~1700年における文学・美術の変貌』です。 このを読んであらためて日人って西洋のことをほとんど理解しないまま、西洋が生み出しグローバルに展開した近代のしくみに乗っかってしまっているんだなと感じました。 それがどういった状況で何を目指して生み出され、その結果、何がどう変わったのか。 さらにいえば、そうした近代のしくみが自分たち自身のいまの生活にどういう影響を与えているのか。 またその影響を認識して、それを嫌うにしても、

  • 去勢された美的技術としてのファイン・アート: DESIGN IT! w/LOVE

    よく知られているように。そう。よく知られているのです。 よく知られているように、いわば実利的な技術と区別して美的技術fine artという概念が出現したのは18世紀のことだ。しかし実利的技術としてのapplied artがより明確な領域として示されるようになったのは、19世紀の前半、産業革命を背景にしていた。 こういう「よく知られたこと」も知らずに、アートとデザインの区別をどっちが上だとか下だとか言う無知はいったいなんなんでしょう。ものを知らなすぎです。 去勢うんぬんをいうのであれば、まさに18世紀に実利的な技術と区別された時点でアートは去勢されているわけです。その純粋さ(fineさ)こそ去勢の結果だということを知らないというのはどうなんでしょうか? 去勢された美術当初、産業革命が起こった頃、産業による製品は著しく美的な質に劣っていた。伝統的な製品のデザインを近代以前として捨て去ってはみた

  • 対決-巨匠たちの日本美術: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 大分書くのが遅くなりましたが、先週の日曜日に上野の東京国立博物館で開催されている「対決-巨匠たちの日美術」展を見てきました。 「対決-巨匠たちの日美術」公式サイト:http://www.asahi.com/kokka/index.html 中世から近代までの日美術史に名を刻む著名な絵師、彫師同士を2人ずつ組み合わせ、対決という形でのそれぞれの作品を並べて展示してみせるという趣向の展覧会。 運慶VS快慶、狩野永徳VS長谷川等伯、楽長次郎VS阿弥光悦、伊藤若冲VS曽我蕭白、富岡鉄斎VS横山大観など、総勢24人12組の対決がみられ、まさに日における中世から近代の時代の流れのなかで、人がものをどう見るか、また何を見るか、かつ、どう描くか、何を描くか、そして描くための方法の

  • 表象の芸術工学/高山宏: DESIGN IT! w/LOVE

    まさに、高山宏さんはこののなかで膨大なサイン(表象)を相手にしています。そして、これまで人類が様々な時代において、サイン(表象)を相手にどう対処してきたかを紹介してくれています。 この講義が大学で行われていたなんて、なんともうらやましい。 デザインとは「サイン」を相手にどう対処するかという意味の哲学と手法しかも、いまの「デザイン」なんて領域をははるかに飛び越えて、来「デザイン」がどんな文脈でどのように用いられていたかを丁寧に紐解いてくれます。 例えば、エドガー・アラン・ポーの例としてはこんな風に。 ポーはこれを『詩作の哲学(Philosophy of Composition)』(1846)や『詩作の原理』といったエッセイにまとめ、詩は神から霊感を受けたある特殊な天才による特権的な仕事ではなく、音韻の持つ機能的な構造をしっかりと分析した技術者であれば誰でも作れるとまでいう。文学もデザイナ

  • 天才論―ダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣/茂木健一郎: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 茂木さんがレオナルド・ダ・ヴィンチについて考察しながら、天才とは何か?ということや、天才と総合力の関係について、ご自身の考えを述べた。 今日、屋で見つけて気になったので買いましたが、なかなか興味深くてすぐに読み終わりました。 レオナルドは「万能の天才」だったか?茂木さんはまずこので、『モナ・リザ』や『最後の晩餐』をはじめとする有名な絵画を多数残したことのみならず、「ヘリコプター」や「人工翼」などの設計図を残したことにより、「万能の天才」として知られるレオナルド(通常、略称とされるダ・ヴィンチは「ヴィンチ村の」という意味であり固有名として用いるのは適さないと思えるので、ここではレオナルドと記すことにします)が、やはり「何よりも画家であった」と見るのが妥当であることを指摘

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