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identityに関するgitanezのブックマーク (8)

  • 名と自由: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「写真=意味無シの図像」で紹介したタイモン・スクリーチの『定信お見通し―寛政視覚改革の治世学』に続いて、田中優子さんの『江戸はネットワーク』というを読んでいます。これがまた面白くて結構はまってます。 『ペルソナ作って、それからどうするの?』でも日文化の特徴として取り上げ、「みんなで手を動かしながら考える」ワークショップベースのデザインに発展させた「連」という場。 従来ドキュメントベースで進められていた作業のプロセスを「みんなで手を使って考える」ワークショップベースのデザインプロセスへと変換します。従来、日の伝統文化においては、連歌会や茶会、香道における聞香など、少人数のグループの寄り合いによる「遊び」の会が催されましたが、ワークショップベースのデザインプロセスのお手

  • そもそも自分を規定する意味は社会的な理由以外にありえない: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 DESIGN IT!ではなく、DESIGN IT! w/LOVEですけど、それはまぁいいとして。 DESIGN IT! では「他人に自分の存在を知ってもらうためには日々自分を外部・社会に向かってアピールしていく必要性を書きましたが、そんなしち面倒くさいこと(僕にとってはもはや面倒なことじゃないけど)をし続けなきゃいけないのは、そうする以外に社会に対して自己を固定化する方法がないからです」と書かれてますけど、私にしてみると「社会に対して自己を固定化する必要なんて無いぢゃん」と感じられてしまうわけです。他人が自分の存在を知ろうと知るまいと、自分が自分であることは揺るがないからね。 「他人が自分の存在を知ろうと知るまいと、自分が自分であることは揺るがない」。 残念ながら、そうだと

  • アイデンティティ - raurublock on Hatena

    たまたま今日、個人とか自分、自分探しについての話をいくつも読んだので、思ったことを書いてみる。 「自分っていったい何なんだろう?」っていう問いの立て方自体が間違ってる (DESIGN IT! w/LOVE) 強い個人の誕生-世間の死 (id:iammg) 前者は「自分とか個人なんてものは一定せずに変遷するものだから、それを固定しようと言うのが間違ってる」という毎度おなじみ養老節。対して後者はある意味この対極で、個人というものを強く出していこうと言う話。 じゃあ私自身はどうなのかと考えてみる。私はどうも、「自分が自分であること」に絶対の自信を持ってるみたいです。 アイデンティティって言葉ありますよね。日語で「自分のアイデンティティ」とか言うと「自分が他人と差別化できるところ」的な意味で使われることが多いんですが、もともとの意味は正反対と言ってもいいくらい違います。前に duke から教わっ

    アイデンティティ - raurublock on Hatena
  • 「自分っていったい何なんだろう?」っていう問いの立て方自体が間違ってる?: DESIGN IT! w/LOVE

    あー、なるほどなー、と思いました。 江戸が鎖国から始ったことも、これと深く関係している。鎖国は人の出入りを禁じたが、その理由は人が「情報のかたまり」だからである。情報は幕府が独占するものだったが、それは情報こそが社会制度だったからである。 ここでいう「これと深く関係している」の「これ」は、江戸期の封建制度が、農民は農民、武士武士という風に人を社会的に固定したことを指しています。農民は農民としてのイメージを、武士武士としてのイメージを社会における固定点として確立することで、それさえ守っていればあとの行動はどうでもいいという風にしたということです。 農民らしさ、武士らしささえ守れば社会的な役目は果たせるので、そうした社会においては自分らしさを問う必要はなくなる。自分探しもとうぜん必要ないわけです。 だって農民だもん。武士だもん。で社会的に十分通用するわけです。 個々人のなかで中身が日々変わ

  • わかるコンセプト: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 前回のエントリーでは「コンセプトはユーザー視点で描いたサイトの目的」と書きました。 それは言い換えると、新たにつくる商品をデザインする際、ユーザーが実際にできたものを見て、あっ、この商品は冷蔵庫(自転車、入浴剤などなど)なんだ!とわかるための概要をデザインをはじめる最初の段階でまとめておくということです。 冷蔵庫をつくるのに、あたかも自転車のようなコンセプトを立ててしまったら、まともな冷蔵庫はできません(まともな自転車ならできますが)。冷蔵庫をつくるなら、最低でもこれからデザインする対象は「冷蔵庫である」ということがコンセプトに含まれていないと話になりません。 そして、それには「わかる」言葉で表現されることが必要です。 一言でいえば「わかるコンセプト」が必要なのです。 冷蔵

  • 2007年はコミュニティ復権元年? : 大西 宏のマーケティング・エッセンス

    2007年01月04日23:22 2007年はコミュニティ復権元年? カテゴリ変化への視点 kinkiboy Comment(2)Trackback(6) 匿名という問題は結構複雑ですね。会社に勤めている人たちが2ちゃんねるやブログ、またSNSなどで匿名で意見をネットにあげることは、しかたないことであり、しかもそれだから自由にネットに主体的に参加できると言われます。しかし、よくよくよく考えてみれば、それも奇妙な話であり、道義的にも法的にも秘匿しなければならない問題を暴くというのならいざしらず、名で書いて会社や身の回りでトラブルが起こる、あるいはその危険を感じるというのは、企業や社会のほうが病気と感じるのですがいかがですか。 企業も含め病気である社会からの自衛手段としての匿名を使うということは当然のことでしょうし、さらにペンネームを持つと言うこと自由でしょう。しかし問題は、匿名であるために

    2007年はコミュニティ復権元年? : 大西 宏のマーケティング・エッセンス
  • 不可視な結びつき、匿名のアイデンティティ: DESIGN IT! w/LOVE

    そもそもアイデンティティというのは、自身と誰かほかの相手との相互関係のなかで生まれてくるもので、一般に信じられているように、個のなかに存在するものではありません。 ヒトの意識が脳の中に閉じ込められたことはいまだかつて一度もないその意味でちささんが引いてらっしゃる梅田さんの次のような言葉にも実は盲点があるんです。 これまでは人間の脳という物理的な制約の中に閉じ込められてきた個人の経験や思考が、これからは他の人たちとゆるやかに結びつき始めるのである。 個人の経験や思考が完全に「脳の中に閉じ込められた」ことなんて、いまだかつて一度もないということがここでは語られていません。 梅田さんはおそらくわかって書いてらっしゃるのでしょうけど、「これからは他の人たちとゆるやかに結びつき始める」というのは、実は当に「結びつき始める」わけではなくて「元々結びついていたものがあらためて結びつき始めたように見える

  • Wisdom of Crouwds こそがコミュニティ (What's inspire me ?)

    コミュニティの復権と匿名性の問題を一緒に語ってしまうのは、少し難しい気がしました。 人はコミュニティのなかでしか自分の顔を確かめることができないわけで、匿名であるということは個人としてのアイデンティティを持てないということであり、それを貫いて生きていくというのは辛いことです。コミュニティの復権は、個人のアイデンティティの復権の問題でもあり、いったん失われたコミュニティを社会が取り戻すには時間がかかるとはいえ、きっと社会的なニーズとして大きなトレンドとなってくるものと思います。 確かに、コミュニティというのがキーワードであり、その力を生かす、またはその活動の場を提供することが既存ビジネスに求められてくるとは思います。シリコンバレーがあそこまで社会的インパクトのある企業を排出できるのも「シリコンバレー」という地域のコミュニティの力があるからです。しかし、コミュニティ内でのアイデンティティがない

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