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ソセゴン中毒のこと 当直あけて、朝も早くからソセゴン中毒の人に怒鳴られた。 麻薬系鎮痛薬の依存になってしまって、いろんな病院を転々とする人はけっこういて、外来でトラブルの種になる。 パターンはだいたい決まっている。外来では診断不可能で、実際痛くて、 入院中は、たしかに痛み止めとして、麻薬系の鎮痛薬を使うような病気。 「慢性膵炎で東京の病院にかかっている」 「今出張中で、紹介状も薬もない」 「痛みが強かったらソセゴンをうってもらえと主治医に言われている」 このあたりがキーワードになる。痛くて車いすに乗ってくるとか、 しわくちゃの、なぜか電話番号だけ入っていない、大学病院の紹介状を一緒に持ってくる人もいる。 痛みというのは患者さんの言葉を信じるしかないから、こういうのは実質診断不可能なんだけれど、 今はそもそも、「外来で麻薬をうってもらいなさい」なんて指示を出す同業者はいないはずだから、 「麻
しかしこうして考えてくると、メディアとして新聞、雑誌、ラジオ、テレビ、インターネットという分類そのものに一考の余地があるかもしれない。例えばインターネットの元ネタは新聞であることが多い。つまり新聞がつぶれて元ネタを書く人がいなくなったらインターネットのニュースも消えるのである。韓国で一般読者が身の回りの出来事を書いて、それでニュースサイトを構成するというWebサイトがあった。日本でも「オーマイニュース」というプロジェクトがあったが、うまく機能しなかったようだ。結局、ニュースの発信元の信憑性(しんぴょうせい)や記事の不慣れがあって、とてもWebサイトとして構成できなかったのだろうと想像する。 ■ 新聞、テレビ、ネット……メディアを分類することに意味はあるのか? (Business Media 誠) 新聞がつぶれたらインターネットのニュースも消える。この意見を新聞ではなく、まさか ITmedi
若いサラリーマン風の男の隣に年配の男が腰を下ろす。 なんやニイちゃんそれオモロイんか、マンガとか読んで、え、おれにはよう解からんけどな、恥ずかしないんか、人前でそれ、マンガ、別にかめへんけどな、おれの感覚やったらアホちゃうかと思うわ、ほんま、アホちゃうか、そのマンガのどこがおもろいんや、いうてみいや、ん、ニイちゃんもええ歳してそれなりに給料ももろてるんやろ、いくらもろてるか知らんけど、人前でマンガ広げてるようなやつやて知ったら、おれ仕事相手やったらもうアホちゃうか思うけどな、だいたい、そんなもん読んで何の意味があるんや、ニイちゃん、どんな人生観持って生きとんねん、え? もっと勉強することあるやろ、意味ある本もぎょうさんあるわ、おれがニイちゃんくらいんときはちゃんとした本読んで勉強しとったで、マンガみたいなアホなもんは隠れてこっそり読むもんやろ、ほんまに不思議でしゃあないわ、アホちゃうかとし
元増田です。ブコメを見ていると、前回のもの、今回のもの、どちらもやはり非コミュとストーカーを同列に語るな、という人がいらっしゃるようですね。確かにこの人を基準にして考えるのは間違っているのかもしれませんが、持っている属性に結び付けられたイメージから判断される人物像というものを否定するのは不可能です。例えば、児童誘拐、致傷、致死、といった事件があったときに、マスコミの報道でその犯人の所持していたものに児童ポルノ関連のものがあった場合、大々的に取り上げられる例をよく目にするかと思います。それが「起こした問題と共通点をもつ、あるいは原因の一端と結び付けられやすいもの」であり「納得できる材料」として存在し与えられる以上、結び付けられるイメージとして、判断材料として共有されるのを避けることなどできません。情報を受け取る側は、自分が同じ危険に遭遇しないよう、それを避けるための判断材料が欲しいのですから
2009年2月27日 弱者の足跡 二〇〇九年二月二二日の日曜から泊まり込みで遊んでいて、翌日の月曜にはそのまま朝の電車に乗って病院へ行った。ここのところ症状が悪化していると主張するが特に処方箋に変化は無く、いつも通りの薬をもらい、それを飲んでから再び電車に乗り会社の最寄り駅で降りた。薬が効いていないのかそのまま会社へ行くのが不安になって、逃避のために近くのコンビニエンスストアで新しく出た雑誌を数冊立ち読みしていると突如、俺の精神の中へ恐怖がやってきて、肋骨の裏側で小さな虫が無数に這い回る感触があらわれた。右手は震えて止まらず、周囲の状況を徐々に認識できなくなり、俺は雑誌を放り出して店の外へ出た。息が上がって眼球が忙しなく動き続けている。そのまま無理をして、なんとか会社に着いた。 一度悪化した精神は簡単には元に戻らず、俺は臓腑に小さな虫を這わせながら会社にいなければならなかった。現実は再び狭
ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…
それでね、おじ様、私も社会主義者になるつもりですの。よろしいでしょう? 無政府主義なんかとは全然ちがいます。爆弾を投げて人を吹きとばしたりするようなやり方には賛成しないのです。たぶん私は生まれながらにして社会主義者の一員なんでしょうと思います。私は無産階級ですもの。でもまだ何主義者になるか、はっきりきめていません。日曜日によく研究した上で、次の手紙に私の主義を発表することにいたします。 (ジーン・ウェブスター『あしながおじさん』) 「少女マルクス」っていうのは確かリオタールが新左翼だか何かを馬鹿にして言った言葉だ。 つまり、クラスのホームワークで「社会から貧困をなくすためにはどうするべきか」について、ナイーブで可愛らしい意見を書くような女の子みたいだってことだ。 大塚英志がどこかで村上春樹(今話題の!)を引いてクラスの女子の健全さについて語っていた文章があったと思う。村上春樹が、内容は覚え
ミャンマー軍事政権による差別や迫害を受け、周辺各国への流出が続いている「ロヒンギャ族」。ミャンマーは自国民と認めず、タイやマレーシアなども受け入れに難色を示す。日本国内でも約200人が暮らすが、日本政府は大半を難民認定せず、一方でミャンマーが自国民と認めないため強制送還もできない「宙に浮いた」存在だ。経済危機で生活困窮に拍車がかかり、正式に就労が可能になる難民認定を強く求めている。【鵜塚健】 「食費を減らしても、もうお金がない。(マレーシアで暮らす)家族に電話できるのは週1回だけ。心が痛い」。約160人のロヒンギャ族が集まって暮らす群馬県館林市。05年12月に来日したモハマド・アユーブさん(35)は肩を落とす。 就労禁止の「仮滞在」の身分だが、生活に困り派遣会社に登録。工場で溶接の仕事をしていたが、不況で08年11月「もう来なくていい」と突然解雇された。妻と2人の子供への仕送りも途絶えた。
この不景気でなかなか就職も安定せず、自分が予期しないところで職を失ってしまう人、収入が著しく減ってしまう人も出てきています。生活していくために収入は必要不可欠ですし、最低限の衣食住をキープするためには必ずお金がかかってきます。そんなときには生活保護を申請することも検討しなければならない状態にもなってきますよね。 しかし、生活保護を申請する以前にサラ金の利用をしていることもあるでしょう。生活費などが必要になってサラ金を利用することは悪い事ではありません。しかし、生活保護を検討しなければならなくなるまで生活がひっぱくしてくれば、サラ金を利用した金額なんてとてもじゃないけど返済できませんよね。サラ金で利用した借金がまだ残っている状態で生活保護を申請することはできるのでしょうか。また、生活保護を受けることになった場合、サラ金への借金が減ったり払わなくて良くなったりするのでしょうか。 まず、サラ金に
何かについて批判的なことを言うと、すぐさま「だったら、どうするんだ、対案を出せ」などと恫喝される。これは不当だ。しかし、私たちは、ある瞬間を空白にしておくことはできないのであり、そこに何かがなければならないなら、やはり対案は必要なのである。とすれば、先の不当さは何に由来するのか。ここにあるズレをきちんと見ておかなければならない。*1 「対案を出せ」論法批判 批判は、あくまでも問題の所在を示す。その解決が可能かどうかは分からない。大抵、示せない。しかし、それが問題であるならば、明らかに問題なのだ。たとえば、必ずしも死ななければならない理由がないのに、人が死ななければならなくなっているとき、それは問題だ。そのような状況は、「あってはならない」こととして認識されなければならない。そのようなことが「現実に起こらない」ために、何かをしなければならない。私たちは現にある現実を、そのどこかを、変更しなけ
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