《ラジオ・アート》という言葉をよく耳にするようになったのは一九八〇年代の終りごろからだった。それ以前にも、「アートとしてのラジオ」という言い方はあったし、歴史をさかのぼれば、未来派のマリネッティらは、一九三三年に「ラディオフォニック未来派演劇」というマニフェストを発表し、ラジオをアートの装置として使用することを提起している。 しかし、さまざまなアート・フォームのなかの一つのフォームとしてラジオが使われるのではなく、もっとトータルな〈アンブレラ・コンセプト〉として《ラジオ・アート》というコンセプトが使われるようになったのは、わたしの知るかぎりでは、近年のことではないかと思う。 一九九〇年八月一二~一八日にアイルランドのダブリンでAMARC (Association Mondiale des Radiodiffuserus Communautaires、コミュニティ・ラジオ放送世界連盟) の呼