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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/using_pleasure (10)

  • 逃げろや逃げろ - 記識の外

    承前(http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20061110/p1) 子どものいじめや自殺について取材をつづけている渋井哲也さんもロブ大月さんも、いじめられる側の子どもに対して「死なないで」なんて言いません。ふたりとも「逃げろ!」といっています。いまいる場所から、学校から、人間関係から、ただちに逃げよう。とりあえず逃げてから、あとのことを考えればいいじゃん。 http://d.hatena.ne.jp/lelele/20061113/1163395260 たとえばフリースペースとかフリースクールとか、そういうものの存在を熟知していて「逃げ場所」として機能してるのならともかく、そうではない状況で、学校でも家庭でも塾でも……ない「逃げ場所」を探そうとしたら、それは「あの世」しかないんじゃなかろうか。 「あの世」にしか逃げ道を見出せない状況で自殺するというのは

  • 宣伝。 - 記識の外

    先日以文社から発売された『VOL』ですが、今回第二特集「アヴァン・ガーデニング」の冒頭論文でもある、ピーター・ランボーン・ウィルソン(ハキム・ベイ)の「アヴァン・ガーデニング」という論考をわたくしめが訳出しております。書店で見かけましたら、どうぞよろしくお願いします。結構大きめで、厚く、ボリュームのあるです。 ハキム・ベイといえばイカれた爺さんという印象が強いし、書いてることも抽象的というよりかは幻想的な記述―まるで幻想文学を読んでいるかのような―が多いわけですが、この「アヴァン・ガーデニング」においてもそうしたハキム・ベイの文章の特徴が見られます。でも、その一方で一種の庭園史としても読むことができる内容になっています。特集全体としては、ニューヨークにおけるジェントリフィケーション(宅地開発を目的とした都市の再開発計画)に対する「抵抗」という点に焦点が当てられているようですが、「アヴァン

    宣伝。 - 記識の外
    gnarly
    gnarly 2006/05/19
    発刊成った"VOL"より "アヴァン・ガーデニング"の抜粋
  • デモを構築しているのは、いったい誰なのか。 - 記識の外

    猿虎さんのここ数日のエントリを読んでの感想。 猿虎日記 - 勉強とヒマとデモ 猿虎日記 - デモの行き方1 猿虎日記 - デモなんか行かない方がいい。むしろジョギングを。 たとえば、デモに参加しようとして集合場所に行ったとする。 大抵の場合は主催者側による集会かなんかが行われていて、旗やノボリが立ち並び、仰々しい字や奇妙なほどに媚びた字で書かれた「可愛い」横断幕が貼られていたりする。集会の中心にはスピーチする人と主なデモの参加者たる聴衆がいて、遠巻きに十数人の規模の公安警察が集会を眺めている。――これが典型的な「デモ前の集会」の情景だろう。 で、デモが始まってみると、どこから沸いたのか知らないが、いつの間にかデモの隊列の外側を、まるで薄いラバーのようにピッタリと警官が寄り添い、見張られてるのか護送されてるのかよく分からない様相を見せて、一つの粘菌の群体のようにうねうねと通りを移動していくこ

  • ネット時代の左翼クロニクル。 - 記識の外

    http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/kanose/20060330/tonioのコメントから。 2006年03月31日 brainparasite はてな, blog レフトの人に閉鎖→移転を繰り返す人が多いのはなんでだろう。それが保守に対する革新の証なのだろうか(考えすぎ)。 かつては、僕も含めて「左翼」と言われるような人々にとって、webとは基的に運動や活動なんかの「手段」だった。 僕が学部時代師事していた上野俊哉なんかがよく用いた言葉として「メディア・アクティヴィズム」というのがあったのだけれど、これは海賊ラジオやビラ、ポスター、小規模出版といったメディアの使用を第一に考えて運動を展開するアクティヴィズムなのだと言える。地域によってはラジオでのアクティヴィズムが有効であるところもあれば、ビラ配りやポスターを張ったりした

  • 奥田天皇の暴走は無視できない問題。 - 記識の外

    via 成城トラカレ(http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060312) 日経団連の奥田会長は8日の記者会見で、残虐シーンが含まれるゲームソフトが原因で社会に適応できない若者が増え「ニート」増大の一つの要因になっていると指摘。 チェック体制の確立に向け検討を始めたことを明らかにした。 経団連は「ニート」が日の若者に増加していることを問題視。具体的な対応策を検討しているという。奥田会長は記者会見で「ゲームで残虐なシーンを見て、社会に適応できなくなったのなら、そのようなソフトをつくるのは問題」との認識を示した。その上で「ニートは社会的弱者で、国家的なセーフティーネットが必要」との考えを示した。 若者や子供が夢中になっているゲームソフトについては、のめり込みすぎることで仕事や勉強の意欲をそぐ原因になっているとの指摘もある。残虐な描写などを含むゲームソフトは、十八

  • 大学に住む人。 - 記識の外

    猿虎さんのダイアリから。 昔、私の大学では、サークルの部室に文字通り「住んでいる」人がけっこういたんですよね。ていうか、上のエントリで触れたKさんという人がまさにそうでした。部室にベッドをもちこんでいて、彼にとって某部室は完全な生活の拠点となっていました。そういう人は他にもいたように思います。つまり、言ってみれば大学の中に「ホームレス」がいたのです(Kさんはれっきとした学生でしたが)。今でも理系なんかでは実験が忙しくて大学に泊まり込み、というケースならあるのでしょうが、それは、「職場」に「居残る」という意味であって、Kさんのように、大学を〈居場所〉としてそこに「住む」というのとは違うと思います。でも、Kさんのような人は当時からすでにちょっと白い目で見られていたような気もします。 http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20060217 そういえば、僕の出身大学にもこの

  • こんな話が美談みたいに語られるのは、なんかおかしい。 - 記識の外

    引きこもりがちな青年の就労を支援する東広島市の「翼の会」の取り組みが実を結んできた。スタートして一年半、これまでに九人を受け入れ、うち四人が自立の道を歩み始めた。仕事に就かず学校にも行かない「ニート」が社会問題化する中、会の活動は解決に向けたヒントを与えてくれる。(治徳貴子) 同市高屋町杵原の高屋福祉センターにある三十五平方メートルの一室。三十歳代の男性二人が、市内の車の部品工場から請け負った部品の不要物をニッパーで取り除く作業を黙々と五時間こなす。翼の会が毎週月、木曜の午前九時から開く「仕事体験講座」だ。 工賃は一個一円。一人が一日に仕上げるのは約六百個という。「一カ月でわずか四、五千円。ただ、収入よりも一つの作業を根気強く長く続けることを学ぶのが狙い」。指導する妹尾敏昭さん(71)は説明する。 中国新聞・地域ニュース 「部品の不要物をニッパーで取り除く作業を黙々と五時間こなす」ことが、

    gnarly
    gnarly 2006/01/31
    あとで
  • レイザーラモンHGについていろいろ。 - 記識の外

    ''<HG玩具>同性愛者差別を助長と発売中止要請'' 人気お笑い芸人、レイザーラモンHGさん(30)をキャラクターに使った玩具を発売する「トミー」(社・東京都)などに対し、同性愛者など性的少数者の教職員でつくる「セクシュアルマイノリティ教職員ネットワーク」(STN21、部・京都市)が、同性愛者差別を助長するとして、発売中止を申し入れた。 この玩具は、樽(たる)に剣を突き刺し、中の海賊が飛び出したら負けという人気玩具「黒ひげ危機一発」のHG版。「爆笑問題のバク天! 黒ひゲイ危機一発」という商品名で今月30日に発売を予定し、レイザーラモンHGさんの人形が「フォーッ」と叫びながら、飛び出す仕組み。 STN21は、同性愛者やそれを連想させる人物を樽に入れて剣を突き刺して楽しむ玩具は差別で、子どもたちに「同性愛者は差別して良い」との意識を植え込む恐れがある――と指摘。「社会や学校で孤立しがちな性

  • おっぱい都市宣言。 - 記識の外

    山口県光市が採択したものらしい。山谷えり子のサイトで発見。 山口県・光市「おっぱい都市宣言」 私たちは、おっぱいをとおして、“母と子と父そして人にやさしいまち光”をつくります。 私たちは、おっぱいという胸のぬくもりの中で、子どもをしっかりと抱き、愛しみ、心豊かで健やかな輝く光っ子を育てます。 私たちは、すべての母親のおっぱいが、より豊かに赤ちゃんに与えられるよう皆で手助けします。 私たちは、おっぱいを尊び、偉大なる母を皆で守ります。 「おっぱい」何と温かく、優しい言葉なんでしょう。「おっぱい」をとおした母と子の穏やかなふれあいは、真に生きる力を持つ、心豊かでたくましい若者を育ててくれることでしょう。 そして、この若者たちが“母と子と父そして人にやさしいまち”での子育てを楽しみながら、このまちに住み、まちとともに輝くことを夢みて、ここ光市を「おっぱい都市」とすることを宣言いたします。 おっぱ

    gnarly
    gnarly 2005/07/30
    VIPPERの俺から見ても流石にこれはちょっとヒドス
  • 多少時間に余裕ができたので。 - 記識の外

    グラフィティについての僕の立場は、「グラフィティは芸術だから保護しろ」などというものなのではまったくなく、単に「グラフィティはある一定の社会的機能を果たしているのだから、そのことをとりあえずは認識しよう」というもの(というか、グラフィティが芸術かどうか、なんて議論はかなりどうでもいい)。ちなみにグラフィティの「精神論」なるものにもあまり興味はない。というか、彼/女らがどのような個別的なエートスに基づいてグラフィティに携わっているのか、という点については興味があるけれど、グラフィティ「一般」がどのような「精神論」を内包しているのか、ということは僕の興味の対象ではない。 グラフィティをめぐる議論において時たま「不毛だなぁ」と思うのは、多くの人がグラフィティそのものに対して価値判断を下すものの、「ではどうしたらグラフィティの「被害」から免れることができるのか?」という議論が出てこないところ。「グ

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