そう、君たちが見たあの株価の搭とは、社会の光と影が織りなす幻が、人々の欲望の映し鏡のような喜び、怒り、悲しみ、諦めを飲み込んだ瞬間を記すために作られた時代の象徴だったんだよ。 さらに、また新たな搭が倒されるごとに、人は慄き、罵り、嘆いて問題の所在を探して回るけど、それはすべて人が人として社会の中で生きるために避けられない人の性質という多様性がもたらす揺らぎ、それもすべての人の心の中にあるものが、集合したに過ぎないってわけだ。 そんで、真実を知らない者ではなく、知ろうとしなかった者に、罰は下されると。それも、人々の顔をした、意識の集合体としての神らしきものによって。 決して、堀江さんが悪だったわけじゃないってことですよ。むしろ、人間としては善であり、己の気持ちに正直な人格が、その独特なセンスと相俟っていろんなものを呼び寄せる具として介在したに過ぎないんじゃないかと思うわけですけどね。