大類浩平 @woodbeeee 『日本国憲法』という本の表紙に「大きな活字と写真29枚を使って読みやすい」とあるから、憲法を写真入りの図で解説しているのかと思ったら、条文のページの合間に全く関係のないバカでかい写真が挿入されているだけで意図が分からなくてめちゃくちゃ怖い pic.twitter.com/Sn99jJ3xVV
そろそろ全国のSF研に新入生が入るころだろうし、思い出話として語ってもいいかなと思ってこのエントリを書いた。 そもそものはじまりとして、高校3年の春休みにスタージョンの「海を失った男」を読んでSFの凄さに感銘を受け、そこからSF棚に平積みされていた伊藤計劃、円城塔、飛浩隆といった面々を消化し、いつの間にやらSF研のドアを叩いていたという、そういう人間である。 なお、見事に青背ばかりが並ぶわけだが、実は20世紀SFをオススメされたり、SFマガジン2000年2月号をオススメされたりすることも当然あった、と書いておく。ただ、残念なことに、アンソロはSF入門に極めて便利な一方で、僕自身がオススメされた時の記憶があまり残っていないので今回は避けることにした。 ※追記 これだけは書いておかなければ誤解を生むと思いましたので書きます。今の京大SF研と違って教養主義的である、というコメントがありましたが、
住んでいる町の図書館・隣の市の図書館・近所の大学図書館と利用者カードを3枚も持っているような人間なので図書館にはよく行くのですけど、館内で何を借りようか物色している際、時折強烈に湧き上がる感情があります。 それは、「世界にはこれほど多くの『本』がある」ということへの深い絶望。 この世にはこれほどに沢山の本があり、そして俺がいま居るこの図書館にあるものすらその表面を掠めるだけであること。更にこれから先の未来にも無数の「本」が世に生まれ、これまでと同じように「図書館」に収められていくということ。 そして、俺がこれからの一生を全て読書に費やしてもせいぜいが町の図書館の蔵書を全て読破する程度が限界で 、この膨大な「本」の世界のほんの上澄みにしか触れられないという事。 これらの気持ちがない交ぜになり、目の前に横たわる書棚とそこに並ぶ本たちの圧倒的な存在感に本当に押しつぶされそうな気持ちになることがあ
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