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ブックマーク / crow-henmi.hatenadiary.org (7)

  • 劇エヴァ昔語り、そして現在 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

  • 碇シンジよすこやかによみがえれ――経験不可能性と決断主義の克服についての試論―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    前置き 以下のエントリは宇野常寛「ゼロ年代の想像力」に対するカウンターパート的なものであり、ひとつのサブカル偽史としてのゼロ想を補完しつつ現代の問題について考えるものといっておく。 文 ロスジェネ世代の精神的風潮として、大きな物語の衰退と社会の分子化による主体の孤独化と無力化――「連帯を求めて孤立を恐れず」から「孤立を恐れて連帯を求めず」への変化があったといえるだろう。 それはいわゆる碇シンジ問題――「なにをしても傷つく/傷つけるなら、なにもしないほうがいい」というひきこもり的心性と「なにをしても、結局事物の質性にはアクセスできず、自己のアイデンティティを保全することすら困難である」という経験不可能性の具現化である。 そこで思い起こされるのが宇野常寛の「碇シンジでは夜神月を止められない」――経験不可能性を受け入れたひきこもりは決断主義者にアプローチできない――という言葉である。だが、実

    碇シンジよすこやかによみがえれ――経験不可能性と決断主義の克服についての試論―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
  • サバルタンとしての加藤智大 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)

    今日は1日中ついったしていた。明日は外で遊ぼう。 加藤智大はサバルタンである。なぜならば、彼は社会から疎外され、ネットからも疎外され、自身の主体性からも疎外されている存在だからだ。 加藤が社会的にもネット的にも疎外されていたことについては、既に多くの語りが存在する。では、自身の主体性からも疎外されていた、というのはどういうことか。それは加藤の供述書に見られる決定的な類型性から読み取り得る。 加藤は自己がいかに社会に疎外され、ネットにおいても疎外されていたか、そしてそれはなぜなのかを語るが、そこに読み取れるのは類型的な――極一般的にネットで流布されている非モテ言説のテンプレートでしかない。そこからは白昼衆人環視の中で大量殺人を起す動機を読み取ることができない。もしそこから動機を読み取れるというのなら、非モテ言説を述べるbloggerのほとんどは大量殺人者予備軍であることになるが、もちろん、そ

    サバルタンとしての加藤智大 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)
  • ガンダム00初見感想 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)

    天気が悪いので普通に積読を崩したりHoI2をプレイしたりガンダム00見たりとヲタライフを満喫。 少年漫画雑誌の衰退はまずもって少年層の衰退と関わりがあるのだろうけど、それとは別に読み手がメタテキストを読むのになれすぎてしまったこともあるのではないかとかメモ。「フラグ」などという概念が平気で語られるこのご時世において、定型的展開というのはすでにしてパロディの文脈でしか機能しない。お約束通りの展開は倦怠をもたらす。予定調和を遅延させるためのエキサイトメントの延長がさらなる効率逓減をもたらす。結果としてどんどん退屈になっていく。その退屈さに至る道を歩みつつ、なお退屈でないものを作ろうとする努力と、その成果は素晴らしいものがある、というのもまた事実なんだけど。 とりあえず1〜2話を見た。以下にメモ。 概論 複雑なアニメであり、矛盾を抱えている。平和をもたらすための武力行使という矛盾と独善を背負うソ

    ガンダム00初見感想 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)
  • BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - 日々雑感070716

    久しぶりにTRPGのプレイができて少しうれしかった。 それはそうとして。 なんかエロゲ沢村にもラノベ村にもサブカル批評村にも入れないアウトサイダーだなあ、と思う。いやエロゲ沢村の住人ではあるんだけど、蝙蝠やってるわけじゃないのだけど、なんつーか、その、どこにおいても必要条件を満たしてないなあ、という気分が。ぼくのいる場所とか立場とかは、そこいらにとても近いのだけど、実は全然地続きじゃないんじゃないかな。こういう風に感じ始めるとblogを書くのが億劫になる。悪口とか荒らしはあまり気にならないんですけどね。 まあ、結局は、己の孤独を愛せ、ということになるのだろうし、そうでなければ届く範囲に電波を送り続けるしかないんだろうけど。 それはそうとして。 知り合いで、なんでも中途半端にこなせる人がいる。プログラムコードもシナリオも絵も書ける。でもどれも中途半端でしかない。ここまでなら「ハイハイどうでも

    BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - 日々雑感070716
  • BLUE ON BLUE(XPD SIDE) 決断主義云々の続き(メモ)

    およそすべての決断主義についての論議においては「いかなる決断も過程の変化はもたらしても結果の変化をもたらさない」つまり「人間は何をやっても死ぬ」という観点を無視して話を進めてはならない。それは安易な物語への回帰でしかないからだ。とはいえ、そうした「物語=過程としての生」が「質=いずれ来るべき死」より優先されるのが人間の生だという面もあるのでまああれだけど、スターリンの最後の言葉のように、生とは「nonsense」なのだから、それを踏まえたうえでの悲劇的な喜劇として生の物語は描かれるべきであり、コードギアスとか「ぼくらの」とかはそれに対して(成功しているかどうかは別にして)意識的な部類だと思う。 それとも「俺は永遠に生きるぞ」とか考えてる? 「世に永遠に生きるものなし」ってダニー・エルフマンもバラライカさんもいってましたけど。 くどく繰り返していうと、エヴァが終わった、なんてのは妄想で、か

    BLUE ON BLUE(XPD SIDE) 決断主義云々の続き(メモ)
  • 2006-06-12

    今日は病院へ。胃カメラ呑む予約をするためだけに3時間も待たされたのにはさすがに辟易した。土曜日に呑みに行く予定。格的に麻酔をかけて呑む奴なので、呑むこと自体には問題はないのだけど、その後1日使い物にならなくなるのは少し困ると思った。 運命についての認識論的解釈を展開しているうちに訳がわからなくなったのだけど、それに対する示唆として、メルロ=ポンティの英文テキストを提示され、嬉しいような困ったような気分になった。英文に酷く弱い僕とはいえど、なんとか読み下せたのだけど(フランス語なら完全にアウトだった)いまひとつ誤解している可能性があって怖い。ただまあある程度の示唆は得られたので、それで良しとしておこう。 補給戦―何が勝敗を決定するのか (中公文庫BIBLIO) 作者: マーチン・ファンクレフェルト,Martin van Creveld,佐藤佐三郎出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2

    2006-06-12
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