前回わたしは、個別的な個人ではなく、顔のない属性としての「おばさん」――ここでの定義は、生産労働という自分の責任所属フィールドを持たず、ご町内とか親類内とか狭い世間の中での身内の噂ばかりに興じている人で、もっぱら専業主婦、という意味――を一方的に嫌悪的に書いた。 しかし、そういった「おばさん」も、たとえば山田さんちのお母さんとか、鈴木さんのちの奥さんとか、そういう個々別の顔でみたときは、ぜんぜん悪い人間ではなかったりする。 そんなことはわかっているのである。 しかしそれが、山田さんちのお母さんとか、鈴木さんのちの奥さんとかいう個々別の顔ではなく、集団属性としての「おばさん」として、二人以上集まると(四人以上になるともう手に負えない)、感情的好悪で、その場にいない身内の人の噂話で盛り上がって止まらず、その価値観でこっちが裁断されてしまうから手に負えないのだ。 しかし、人間を個別に見ず、たとえ