「移動の足は電車が基本。昼飯は立ち食いの素うどんに卵を落とすかどうかで悩む。あの人は金銭に関しては極端な『ドケチ』だったけど、自分の財産にはまったく頓着せず、寸暇を惜しんで仕事だけに全精力を注いでいた」 徳田虎雄を長く支えた元側近は語る。 虎雄の赤信号嫌いは有名で、全国の病院職員が虎雄の運転手をするたび、赤信号で止まろうとすると、後ろから「行け」と頭を殴られたという。 「私も何度も殴られたり、蹴られたりして、頭から血を流したこともあります」と地方病院幹部。 「身内が死にそうなときはお前も信号を無視するだろう。俺を待っている人が全国にいる。だから止まっている暇はない」と虎雄は言ったという。 医療を受けられず死んでいく人をなくすため、全国200の病院を造りたいと虎雄は語っていた。その大義のために必要なら、法を犯すことも辞すべきでないと説いていた。 「法律やルールに自分を合わせるのではなく、自分