脚本だけでも十分に表現できると思うんだけど
映画監督の是枝裕和、脚本家・坂元裕二が手がけた映画『怪物』。少年2人の親密な関係性と周囲を取り巻く人々を描いた本作は『第76回カンヌ国際映画祭』でクィア・パルム賞を日本映画として初めて受賞し、審査員長のジョン・キャメロン・ミッチェル(『ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ』など)は「この美しく構成された物語は、クィアの人々、馴染むことができない人々、あるいは世界に拒まれているすべての人々に力強い慰めを与え、そして命を救うことになる」と評した。 日本映画史、クィア映画史を専門とする久保豊は、「痛み」と「美しさ」が共在する本作の巧みな描写は、むしろ少年たちに痛みを生じさせる構造的な問題の所在を見えづらくさせると指摘する。本作は性的マイノリティの子どもたちをどう描いたのか。 2020年に早稲田大学坪内博士記念演劇博物館で開催した企画展『Inside/Out──映像文化とLGBTQ+』をキュレー
内容が左右どちらであろうと、表現の自由を尊重するのが表現の自由戦士だ(元々この呼称が揶揄である事は知っているが、敢えて自称する)。 そして表現の自由の抑圧は国や公からの物に限らず、民間からの物も有ると考えている。 だから現在の「REVOLUTION+1」の上映中止を求める人々の行動や、それに対する上映中止措置には表現の自由の侵害として反対する。 ツイッター上で幾つか見かけたので、他の表現の自由戦士にも同じ意見の者は居る様だ。 なるべく多くの表現の自由戦士が同様に考えてくれる事を望む。 勿論表現の自由戦士以外もそうだ。 例えばはてなに多く居る様な左派の人々は民間からの圧力を表現の自由の侵害だと考えない傾向が有り、非常に残念だが、 現に幾つかの映画館で「REVOLUTION+1」を上映中止にするような権力を民間の人々は持っている、結果を見れば明らかだ。 揶揄や嘲笑をするつもりは無いし答えを強制
イギリス・香港の国際共同製作映画『モンスーン』の日本版ビジュアルが解禁されたのをきっかけにSNS上で大きな議論が巻き起こっていた。 『モンスーン』のオリジナルのビジュアルは主人公の男と同性の恋愛相手がふたり写ったものだった。しかし日本版ビジュアルでは相手の姿をわざわざ消してひとりのカットとして見せていることが発端となった議論である。 これらのクリエイティブが何を狙ってどのような経緯で出来上がったのかわからない。そこにはたくさんの狙いや事情があったのだと思う。裏側を知らない僕がビジュアルそのものについてあーだこーだ論じるのはフェアじゃないと思うので言及するのは避ける。ただいずれにせよ、ここで議論となっているのは「ウォッシング」の問題だ。 「ウォッシング」とは本来の意味を書き換え、上辺を取り繕うことを言う。例えば、環境に意識の高い消費者に対して、自然にやさしいもの商品だと誇大に謳ったPR手法は
どうせ、悲しみを象徴する雨、みたいなあっさいあっさい演出意図でやってんだろ、カス!と思うようになってしまった だいたいの場合、傘ささずに雨に濡れてるキャラとかがいて、それも腹立つ リアルな話、雨に濡れるのはどんな状況だろうと嫌じゃん 悲しくても傘くらいさしますよ 葬式で傘ささずにズブ濡れになってる人間みて伝わってくるのは、痛々しい哀しさじゃなく、イタい自己憐憫だけなんだよな そんで、ホントに浅いんだ、雨!! 悲しくても晴れるし、嬉しくても雨降るじゃん そういうところで演出とか脚本みたいなのを感じさせないで欲しいんだよなあ ビミョーな薄曇りとかならまだわかる 人生のだいたいのシーンってビミョーな天気だからな 雨、雨ねえ…… まあ降らんことはないだろうけど、やっぱ降りすぎですよ だれか統計とってたりせんのかな 映画における葬式シーンの雨天率、みたいなさ 俺は、登場人物の心を語るべきは、登場人物
「狼をさがして」上映中止の経緯 この度は「#狼をさがして」上映中止のお知らせについて皆様にご迷惑ご心配おかけして誠に申し訳ございませんでした。今回の上映中止の経緯についてご報告致します。ご理解・ご了承の程、何卒宜しくお願い致しま… https://t.co/ppMCJQ3Yzg
アメリカで人種差別撲滅のための「Black Lives Matter」運動が続く中、映画『風と共に去りぬ』がストリーミングサービス「HBO Max」の配信ラインナップから削除されたことが話題を呼んでいる。 映画史に残る不朽の名作が問題視された理由は、「奴隷制を肯定的に描いたり」「南部戦争以前の南部を賛美したり」しているからだと言われている。 「問題と思われるシーンがあるなら、そこを削除すればいいのでは」という意見も聞いた。しかし、それでは問題は解決しない。 “不朽の名作”はなぜ削除されたのか? 今、どうしてこの映画が問題視されるのか。それを語る前に、背景をクリアにしておきたい。まず、配信中止を決めたのはワーナーメディアのストリーミングサービスHBO Maxのみで、アメリカで『風と共に去りぬ』が見られなくなったわけではない。また、HBO Maxの措置は、あくまで一時的なものである。 次に、ワ
自宅で自死する長男と、それを見つけて記憶喪失になる母親――。冒頭、そんなシーンから始まる映画「鈴木家の嘘(うそ)」。2018年公開のこの映画は、脚本も手がけた野尻克己監督(45)が、約20年前に兄を自死でなくした原体験をもとにした作品だ。WHOがこのほど、映画、テレビ制作者向けに、「自殺シーンの描写を避ける」などの12項目を含む「自殺予防の指針」を策定したが、遺族として、映画監督としてどう受け止めたのかを聞いた。 大学を出て映画の仕事をして、色々な作品に関わり、いよいよ自分で作品を手がけようとした時に、自分が描けるものとは何だろうと考えました。ずっと、家族の話は撮りたいと思っていて、すると、多くの人は経験したことがないであろう兄の自死のことが思い浮かびました。一度はやめようと思い、ある時、兄の近況を聞かれて、「兄は交通事故で死んだ」と思わずうそをついてしまいました。 自殺する人は日本だけで
第25回KAWASAKIしんゆり映画祭2019が慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー「主戦場」の上映を見送った件を受け、若松プロダクションが同映画祭で上映予定だった製作・配給作品「止められるか、俺たちを」「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」の出品取り止めを発表。「止められるか、俺たちを」の監督である白石和彌、脚本を手がけた井上淳一が本日10月29日に東京・シナリオ会館で記者会見を開いた。 NPO法人のKAWASAKIアーツが主催し、事務局を運営するしんゆり映画祭は、ボランティアを含む市民スタッフが企画・運営の中心を担う市民映像祭。共催には予算1300万円のうちおよそ600万円を負担する川崎市のほか、川崎市アートセンター(川崎市文化財団グループ)、川崎市教育委員会、日本映画大学、一般財団法人の川崎新都心街づくり財団、昭和音楽大学が名を連ねており、2019年で25回目の開催を迎えた。「主
【2月5日追記】 以下、はてぶにて指摘がありました。 .@jishin_dema 「WHOが喫煙映画を成人指定しろと勧告したのは誤訳であるというのは誤解である」は不正確かなぁ。WHO広報で喫煙映画のレイティングを勧告してるけど、成人指定(18才未満禁止)の勧告はしていない。確かに喫煙映画のadult rating推奨が報告書にある。 — ありふれたレン廃 (@lenhai) 2016, 2月 4 拝読してとても納得したので、以下、大まかなところを青字にて訂正いたします。後尾に記事の再考察をのっけます。 先日、こんな記事がありました。 headlines.yahoo.co.jp WHOが、喫煙シーンのある映画を、「成人向け」に指定すべきだという勧告を、各国に送ったというものです。 それに対して、ちょっとバズっているツイートにこんなものがあります。 WHOの勧告「喫煙映像があるのは成人映画」は
レーティング機関へのイヤガラセ映画「ペンキを乾かす(原題:Paint Drying)」がイギリスで無事「全年齢向け」レーティングを取得 映画の内容を審査し年齢制限を加えるにはその映画を最初から最後まで全部見なければなりません。これを利用してレーティング機関にイヤガラセを行うためのイギリス映画「ペンキを乾かす(原題:Paint Drying)」の審査が無事終わり、「全年齢向け」レーティングを取得しました。 イギリスでは全英映像等級審査機構(BBFC)のレーティングを受けた作品でなければ、公共の場所での上映や販売を行うことはできません。 しかし、審査申請のために101ポンド50ペンス(約1万8千円)、上映時間1分につき7ポンド9ペンス(約1200円)が必要です。審査料は一般的な90分の映画では約17万円ほどにもなり、これでは規模の小さな自主制作映画の公開は難しくなります。 イギリスの映画製作者
北野武監督の最新作『アウトレイジ ビヨンド』が、10月6日(土)に全国公開される。とても衝撃的な、そして非常に重みのある一作だ。ベネチア国際映画祭でも、受賞こそ逃したものの、現地のイタリア人からは「最高傑作」という声もあったという。以下のインタビューで北野武監督自身が語る通り、バイオレンスエンターテイメント映画の文法自体を更新し、新しい時代の表現方法を開拓するような一作。そして明らかに、震災以降の日本の社会のムード、そして世界各地で様々な社会の綻びが明らかになっている今の時代の空気と呼応しあうような作品になっている。 「巨大暴力団同士の熾烈な抗争を舞台に、悪人同士の壮絶な権力争いを描いたバイオレンスエンターテイメント映画」という本作。映画を観終わった後に強く印象に残るのは、ひたすら繰り返される暴力と死のあり様だ。前作ではオリジナリティーのある「痛み」の描写が評判を集めたが、それとも違う、ピ
ヘイズ・コード(英語: Hays Code、the Breen Code、Production Code)は、かつてアメリカ合衆国の映画界で導入されていた自主規制条項である[1]。アメリカ映画製作配給業者協会によって1934年から実施され、名目上は1968年まで存続した[1]。映画史上、この条項が実施される以前のハリウッド映画(英語版)をプレコード(pre-code)時代の映画と呼ぶことがある[2]。 しばしば誤解されるような検閲制度ではなく、一部の映画を不道徳だとして非難する団体などに対抗してハリウッド作品の上映を保証するため、業界側が自主的に導入したガイドラインである[2]。後述するように、条項ではさまざまな描写が「禁止」とされたが、そうした描写を含む作品が条項の導入で全く作られなくなったわけではない[2]。 内容[編集] この制度は、いくつかの禁止事項と注意事項によって構成されている
『ザ・コーヴ』の東京での上映が7月3日からシアター・イメージフォーラムで公開されることが決まった。 思い返せばアップリンクにも配給の依頼が来た。それは東京国際映画祭で上映される数ヶ月前の事だった。多分デイビッドさんという外国人がやって来て、配給をしてくれないかという話だった。どうも話をしているとプロのセールス・エージェントではなく、映画の製作関係者のようである。突然やって来たわけではなくそれまでにメールのやり取りがあった上でだった。 事前に映画の情報を得ていたが、まだ作品自体を見ていないので、その内容について、映画がイルカ漁反対なのか、水銀汚染の海洋汚染の問題の映画なのか、食文化に関する映画のなのかを知りたいと話したが、明確な答えは得られなかった。さらに僕は個人的にはクジラを食べる事に反対ではないし、それでも配給してもいいのですかとも聞いた。それにも答えはなかった。とにかく映画を観てからで
主権回復を目指す会が、12日(土)13:00に映画「ザ・コーヴ」を上映する横浜ニューテアトルに、上映阻止行動予告をした件(詳しくはこちら)で、鈴木邦男氏(一水会顧問・作家)、などが、同日同時刻に横浜ニューテアトルに駆けつける予定であることがわかった。 また、これまでのポートサイドステーションの報道を受けて、主権回復を目指す会への対抗アクションを起こしたいという声も周囲から聞こえ始めている。 客商売である映画館を狙った、主権回復を目指す会の卑劣な脅迫行為は許しがたいものである。 だが、何とかここで冷静な対話の場をもてないものか、と考えてしまう。 ポートサイドステーションでは、当日、現場から生中継を行うことを決定した。 Free TV Show from Ustream 横浜市民放送局も、現場から生中継をすることを決定した。 Streaming live video by Ust
2008年6月23日初版、創出版から発行された新書サイズの一冊。ドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』をめぐり、様々な映像関係者、報道関係者、知識人が文章を寄せている。 作品への様々な攻撃から自主規制まではもちろん、映画内容の評価、映画配給形態への批判まで、幅広い議論が手堅くまとまっている。 別媒体で発表された情報や指摘が半分をしめており、問題を熱心に追っていた者にとって新味は少ないかもしれないが*1、一読には値すると思うし再読にも耐える。薄い小冊子なので、以下に書いた紹介を読まずとも、興味があれば実際に目を通してほしい。 まず興味深いのが、上映自粛に至った経緯への多角的な指摘。様々な映画人が経験から上映自粛に至った経緯を検証しており、それぞれ単独でも面白いのに、読み合わせることで表現することの困難さや対処法が立体的に描き出される。 最初に、月刊誌『創』編集長の篠田博之が、自粛の経
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