円形の道路が以前無線電信所であったことを伝えてくれる 行田団地や行田公園を含む地区が円形の道路で囲まれているのは、昔この場所に海軍の無線基地があった名残です。 無線電信所が設置されたのは大正4年。真中に高さ約200メートルの主塔、周囲に高さ60メートルの副塔が18本立ち並ぶ大規模なもので、性能は当時世界でもトップクラスでした。まだ市になる前の船橋が「日本の口」として初めて世界地図に載ることにもなったそうです。 無線塔は、大正天皇とウィルソン米大統領の祝電交換や、関東大震災時の通信手段としても活躍しましたが、ここで歴史的に最も有名な電文は「ニイタカヤマノボレ1208」です。これは、真珠湾攻撃の実行を告げる暗号で、昭和16年12月2日午後5時30分に発せられました。 その後、無線塔は昭和46年に解体され、今では行田公園に記念碑が残るだけとなっています。 (写真1枚目)終戦後、米軍から返還される