1950年代から1960年代にかけて、各地の選挙に出馬して奇怪なパフォーマンスを繰り広げた右翼活動家である。個人的な信念によって選挙に出馬しているように見えたが、実際は政界の大物から資金の提供を受け、革新陣営に対する選挙妨害を目的とした政治ゴロであった。 鹿児島県[注 1]出身。幼時に墨田区に転居し、旧制東京市立第二中学校に進学。不良仲間のボス格となる。中学卒業後に陸軍士官学校への進学を希望するも色覚異常で断念し官立無線電信講習所へ進学、学徒動員で海軍に従軍し終戦を迎える。終戦直後に旧制東京商科大学(現・一橋大学)に進学するも、一年で中退し参議院主事(守衛)として就職。更に鳩山一郎の書生を経て院外団活動に身を投じ、夏堀源三郎・油井賢太郎の秘書を務めた。 被選挙権を得るや、居住していた台東区の区長選を皮切りに、各地の首長選・衆議院議員総選挙・参議院議員通常選挙・東京都議会議員選挙と、選挙の種