中井房五郎は実業家の十文字大元(1867年 - 1924年)の難病を治療して快癒させた。十文字大元は中井房五郎(文盲)が治療術を体操化したのもを画伯に記録させた。その31動作(大正5年)が現在でも使用されている。そして十文字大元はこの体操を自彊術と命名。 十文字大元は家族、知り合いで体操を実践。更に経営していた金門商会(従業員400人余)の寄宿舎生にも毎晩行っていた。大正7年構内に道場をたて、体操料10銭を払って就業中でも行い、体操料の支払額が毎月1千円かかったと記録されている。約2年間続けてその効果を確認されている。 十文字大元は後藤新平伯爵に頼み拓殖大学内に自彊術会を発足。その後東京帝国大学、早稲田大学等と普及を行う。大正6年文部次官の設営で発表会が行われ、政府、軍隊、体育専門関係者約200人からの好評を得た。 日本国民が当時6千万人の時代に3百万人の自彊術同人会を組織。開設費用は十文