八木 孝(やぎ たかし、1940年9月16日- )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手。現役時代のポジションは投手、外野手。 広島東洋カープで、2010年シーズン前から2014年シーズン終了時まで監督を務めた、野村謙二郎の叔父に当たる。 大分県立佐伯鶴城高等学校では、1958年に夏の甲子園県予選準々決勝に進出するも、大分上野丘高等学校に惜敗した。卒業後は、明治大学へ進学。東京六大学野球リーグでは、1961年春季リーグにて優勝を果たす。投手としてリーグ通算51試合に登板し、11勝9敗、104奪三振、防御率1.63という成績を残した。大学同期に後藤晃吾、辻佳紀、一枝修平、別部捷夫、松本雄作(4年中退、国鉄)がいる。オーバースローからシュート、カーブを武器とした。 大学卒業後、1963年に広島カープへ入団。だが、登板機会にはあまり恵まれず、3年目の1965年より外野手に転向した。しかし、打者とし