簑田 浩二(みのだ こうじ、1952年3月11日 - )は、広島県廿日市市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。現在はプロゴルファー(ティーチングプロ)として活動している。 攻・走・守すべてに長けたオールラウンダーとして知られ、1983年にはトリプルスリーを達成している[1][2][3]。 経歴[編集] プロ入り前[編集] 大竹高校では1969年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが呉港高に敗退、甲子園には届かなかった。卒業後の1971年に三菱重工三原へ入社し、都市対抗野球大会には補強選手としての出場を含め4度出場した[4]。1972年のドラフトでは当時、高校の先輩である広瀬叔功が主力選手として活躍していた南海ホークスから4位指名を受けるが、当時はプロ野球に興味がなく、自信もなかったことから入団を拒否。南海への入団拒否の背景には、戦力を失いたくない三菱重工三原側の慰留もあったとされる[5][6