京都から鎌倉に、文官の藤原俊兼が下ってきます。この俊兼は、頼朝の右筆(文書の代筆などを担当する)を務めたのですが、いつも雅な服を何重にも着て贅沢をしていた。それに対して、ある日、頼朝が怒りを爆発させます。俊兼の着物の袖を切り取って、「鎌倉の武士たちは、お前と違ってみな学問はない。しかし、質実剛健をわかっていて、倹約を心がけている。そして、たくさんの家来を養っているのだ。いざ戦になったら私のために一人でも多くの家来を連れてやってこようとしているぞ。お前も彼らを見習うべきだ」と説教をした。 質実剛健は鎌倉武士の美徳といわれています。しかし、このエピソードは単なる倹約のすすめではありません。お金をためることが目的ではなく、それを家来を養うことに使え、すなわち少しでも多くの兵力を持つべきだ、と頼朝は言っているのです。そこからは兵士の数こそが正義であり権力の源泉である、という鎌倉武士の冷徹な認識がう
![(5ページ目)「庭に生首を絶やさず置いておけ」たまたま通りがかった人を弓で射る…自らすすんで“殺生”に手を染めていた“鎌倉武士”の独特過ぎる死生観とは | 文春オンライン](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/128836164a58517717ea9d22f5502eb07c9c9999/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fbunshun.jp%2Fmwimgs%2Ff%2F4%2F1200wm%2Fimg_f403cce51972a314be7ef55720a910d797387.jpg)