2014年12月20日のブックマーク (1件)

  • 追悼・大森昭男~「三木鶏郎の弟子が三木雛郎?それならば…」と三木卵郎を名乗った大瀧詠一

    大瀧詠一が自らを三木卵郎と名乗っていたのは1977年にサイダー・シリーズを柱とするCMソングでまとめた異色のアルバム、『ナイアガラCMスペシャルVol.1』を出した時のライナーノーツだった。 三木鶏郎の門下生だったことがあるクレージー・キャッツの桜井センリが、三木雛郎と名乗っていたことを知った大瀧は「鶏」と「雛」が来たら、次は「卵」だろうと自分でペンネームに使ったのである。 前例のないところでCMソングを雛形から作り上げた三木鶏郎の後を継いで、70年代の新しいCMソングを生み出そうと自覚していた大瀧には、戦後の焼け野原に風刺と笑いの冗談音楽という花を咲かせた偉大な先輩への敬愛と、その後継者だというひそかな自負を持っていたに違いない。 戦後復興を果たした1950年代から60年代の日では、まずラジオで民間放送が始まって新しいメディアとなり、それに続いてテレビ放送が一挙に家庭に普及していった。

    追悼・大森昭男~「三木鶏郎の弟子が三木雛郎?それならば…」と三木卵郎を名乗った大瀧詠一
    gosan503
    gosan503 2014/12/20
    三木鶏郎の実弟で、ダンディーな司会者として名を馳せたのが三木鮎郎でした。「ハナ肇とクレイジー・キャッツ」に参加前の桜井センリは、三木雛郎の芸名でした。