ホテル予約は公式サイトが安い時代に 旅行サイト経由の予約が7割に達した今、ホテルが独自路線を歩み出した! オンラインホテル予約の市場規模は世界で20兆円。ウェブ経由での予約は国内7割、米国5割にまで達した。そして今、ホテル業界と旅行サイトの関係に異変が生じている。
これらは、アウディのニューモデル「Q2」をプロモーションするために作られたもの。既存のユーザーよりも若い層をターゲットとし、これまでとは違った発想とデザインで仕立てたのが、新しいコンパクトSUVのQ2なのだ。「#型破る」は、そんなQ2をイメージしてアウディが考え出した造語だという。 去る4月下旬、東京で開かれた発表会にはQ2のエクステリア・デザインを担当したマティアス・フィンク氏が登場し、そのデザインとQ2の世界観について語ってくれた。果たして、新しいQ2は、いまでまのアウディとなにが違うのか? それとも違わないのか? フィンクが語った言葉からQ2の実像を探ってみたい。 アウディの新鋭デザイナーは36歳 「幼い頃は田舎の農場で暮らしていました。外で遊んでいるばかりで、魚を捕って楽しんだりする、そんな子供でした」 フィンクが自分の幼少期について語った。 「もちろん当時の私は、この世界に自動車
世界に誇る日本発のスニーカーブランド、オニツカタイガー。ファッショナブルなシューズに加えて、もうひとつ注目されるのが洋服のコレクションだ。デザインを担当するのはイタリア人のアンドレア・ポンピリオ。彼はプラダやサンローランなど、数々のラグジュアリーブランドに在籍したファッションデザイナーである。 1970年代のプレッピーを下敷きに、新素材やストリートウェアの要素などでひねりを加えたスタイルが印象的。オーバーサイズに仕上げたセーターやカレッジカーディガンを、ボタンダウンシャツ、チェスターフィールドコートなどに合わせたルックスが展開した。 さらに、ウォッシュ加工のジーンズなども発表された。モダンとクラシックを調和させた斬新なスタイルが、オニツカタイガーの特徴である。 インスピレーション源となる1970年代のプレッピースタイルについて、ポンピリオはこう語った。 「デザイナーは頭でなく、ハートで仕事
「執行役」は比較的最近耳にするようになった肩書きだが、これはれっきとした役員である。「取締役」も当然ながら会社法上の役員である。しかし両者を兼ねる肩書きのように見える「執行役員」は身分としては単なる従業員に過ぎない。会社法上は何の意味も権限もない無価値な言葉である。 付与する立場からすれば、こんなにお気軽な肩書きはないのでガンガン乱発できる。何しろ筆者の会社にも一人いるくらいである。ある程度の規模の会社になると、至るところに所在なさそうな執行役員がウロウロする光景を目にすることになるだろう。 帰宅して「今度の人事で執行役員になったよ」と奥さんに報告すれば赤飯を炊いてくれるかもしれないし、それはそれでめでたいことなのかもしれないが、「役員」という言葉の響きの良さに最後まで幻惑され続けることになるはずだ。執行役員の大半は、その上に控えているであろう取締役になることはなく、関連会社へ転籍するか、
ヨウジ・ヤマモトのパリの拠点はセーヌ右岸の下町、サンマルタン通りの155番地にある。といわれても困るだろうから、ちょっとだけ雰囲気を伝えると、すぐ近くには、いまだアヴァンギャルド建築のかがやきを失わないレンゾ・ピアノとリチャード・ロジャーズの共同の設計によるポンピドゥ・センターがあり、若者の街、マレ地区やデモの定番集合場所である共和国広場なんかも、目と鼻の先だ。人種も国籍も職業も雑多な人々が当たりまえに行き交うのがパリだけれど、このへんはそういう雑多ぶりがさらに凝縮されたかんじのする、その意味では普段着のパリ中の普段着のパリだ。 むかしながらの小さなカフェやビストロが入り混じるなかに”ビオ”を謳う(オーガニックな食品類を使ってますよ、という意味だ)店やスシ弁当のテイクアウト・デリなどの新傾向の店もあったりするのは、”普段着”の現在進行形だけれど、そんな連なりの隙間に小商いの衣料品店や地元ブ
ホットな話題が見える! 『GQ JAPAN』2017年5月号のGQ Partyは、創業80周年を機に東京ミッドタウン店をリニューアルしたヴァレクストラのパーティをレポート。 文・斎藤 景 イタリアのレザーブランド、ヴァレクストラが創業80周年を機に東京ミッドタウン店をリニューアル。カクテルパーティには本国ミラノよりCEOサラ・フェレロ氏も来場し、多数のセレブリティがお祝いに駆けつけた。新しい店内は堆積岩とファブリックを組み合わせたコントラスティブな空間で、ブランドのタイムレスな美学を表現。洗練された新しいホームにミニマルなコレクションが揃う。着物をファブリックとして使用した日本限定のアイコンバッグ「ISIDE」も注目の的に。
海外のネット上でのニッポンガイドを見ると、“What is a Japanese Love Hotel?”というような言葉がいたるところに溢れている。そこには昭和につくられたラブホテルの写真がよく用いられ、理解不能な内装はとびきりキャッチーなようだ。なぜ昭和のラブホテルはそこまでユニークなのだろう?『ラブホテル・コレクション』の著者で、業界事情に詳しい映画監督の村上賢司氏に聴いた。 「昭和らしい個性的なホテルは、1970年代に生まれています。当時誰がラブホテルをつくっていたかといえば、田舎のお金持ちのおじさんだったりするんです。オーナーの性的妄想がそのまま巨大化してカタチとなったのがラブホテル。例えば昔行った料亭の記憶だったり、外国のポルノで見たイヤらしい空間だったり、噂に聞いたインドの建物など。昭和のラブホテルの面白さは、その時代に人々が何に憧れ何に欲情していたのかをダイレクトに見られる
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