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ブックマーク / arecolle.hatenablog.com (2)

  • フェミニズムの怒りに寛容を求めることはできるのか - U.G.R.R.

    id:greg_yamada(グレッグ山田)さんの以下の記事を読んだ。 グレッグ山田さんの記事は、読ませる文章で、しかも考えるきっかけを与えてくれることが多いので、楽しみにしている。 今回の指摘は要するに、次のようなことだと思う。 すなわち、セクハラの告発に対して真摯に自らの加害を認めたとしても、フェミニストはむしろその者を糾弾する。したがって加害の告白は、「告発→是正」ではなく「告発→殲滅」の流れを生むことになる。そうすると、「殲滅」される側の人間は、「セクハラの隠蔽」や「ホモソーシャルの構築」といった(望ましくない)方向に向かわざるを得ない、と。 グレッグ山田さんのいうように、セクハラを告白した者に対して、フェミニストの少なくない一部は、これを評価するよりはむしろ糾弾するだろう。そしてそれは、必ずしも間違ったことだとは思わない。「当事者としての怒りを伴った思想」であることこそが、フェミ

    フェミニズムの怒りに寛容を求めることはできるのか - U.G.R.R.
    greg_yamada
    greg_yamada 2015/03/31
    ありがとうございます。
  • 大衆の二側面 - U.G.R.R.

    id:greg_yamada(グレッグ山田)さんの以下の記事を読んだ。 大衆社会の病理をコンパクトかつ分かりやすく指摘した良記事であると思う。 ただ、大衆概念についてはその捉え方に多少意見があるので、以下に記しておく。 グレッグ山田さんのいう「グローバリズムによる平準化」は、社会的紐帯の破壊と民衆の原子化をより一層推し進め、大衆社会を揺るぎないものとした。 コーンハウザーによれば、大衆社会は、 大衆がエリートによって操作されやすい エリートが大衆の影響を受けやすい という特徴を有する。 第一の特徴は、中間集団の解体によって民衆が原子化されたことに伴うものである。原子化され指針を失った民衆が一元的に操作される危険の増大をいう民主主義的批判はこの点に関するものである。 第二の特徴は、民主化によって民衆の政治参加が進んだことに伴うものである。少数のエリートによって担われるべき政治に民衆が参加した

    大衆の二側面 - U.G.R.R.
    greg_yamada
    greg_yamada 2014/12/11
    なるほど… 確かに。
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