わかりやすく書いたつもりだったのだが、昨日のエントリー「自衛隊は暴力装置ではない。タコ焼きがタコ焼き器ではないのと同じ」(参照)はあまり理解されていないようだった。これがわからないと、近代国家の意味やシビリアンコントロールの意味が理解できないことになる。それじゃ困るなと思うので、もう少し補足しておこう。 社会学的なものの考え方は慣れていない人には難しいのかもしれない。典型的な無理解として、例えば、いただいたはてなブックマークコメントにこんなのがあった(参照)。 hokusyu あたまがわるい, 暴力 詭弁w。存在自体が暴力であるという言い方は可能だが、ふつうはある力の行使のことを暴力というのであり、その暴力(乱暴な力)をふるうApparat(組織体/装置)が自衛隊や警察ってことで、日常言語でも普通に理解できる 2010/11/19 54 clicks 18 「存在が暴力」というのは文学なん
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