=加州毎日新聞は1931年から1992年までロサンジェルスで発行された日系新聞です= + 日本と米国とのあいだにいわゆる貿易摩擦というものが生じたのは一九六〇年代後半のことだ。“戦後”経済の復興に努めてきた日本が最初に米国と衝突したのは繊維の分野においてだった。<日米繊維摩擦>と名づけられた。 六九年、次期大統領選挙での再選を狙うニクソン大統領が、当時米国繊維市場を脅かしていた日本を標的に、摩擦を政治問題化することに成功、共和党の人気取りに利用した、という見方が残っている。 その頃、日本側では、佐藤栄作首相が“一九七〇年安保”問題を乗り切るためにも、日米間の話し合いによる沖縄返還を実現する必要に迫られていた。“返還を実現した人物として政治史に名を残したい”という首相個人の欲望も強かったと言われている。 日米繊維摩擦は結局、輸出総量を日本が調整することで収束した。だが、その後、米国の繊維業界