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ブックマーク / gazoo.com (32)

  • いすゞ・フローリアン・・・圧倒的な存在感!グリルが立派なクルマ特集

    クルマの個性は顔に出る! 今回はフロントまわりに印象的な形のグリルを据えた、国内外の個性派モデルをピックアップ。週替わりで紹介します。 1967年秋に発売されたミドルクラスのサルーン。1966年の東京モーターショーに出展されたプロトタイプがいすゞ117を名乗っていたことからも明らかなように、117クーペとシャシーを共用している。 当時の日では珍しい6ライトのサイドウィンドウや異形ヘッドライトを持つボディーは、カロッツェリア・ギアのデザイン。ボディーサイズは既存の1.5リッター級よりひとまわり大きく、前席ベンチシートとコラムシフトの仕様は乗車定員6人だった。当初のエンジンは1.6リッターOHVだったが、1969年にSOHCに換装。翌1970年のマイナーチェンジの際に1.8リッターSOHCを積んだ1800が追加され、以後はこちらが主流となった。 デビューから10年を経た1977年のマイナーチ

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    gui1 2020/07/28
  • 輸入車の統計を発表しているJAIAの試乗会にはどんな人が参加しているの?

    この時期よく話題に上がるJAIA(ジャイア)の試乗会。このJAIAって何かご存知ですか? Japan Automobile Importers Associationの略称で、正式名称は日自動車輸入組合といいます。自動車の輸入が自由化された1965年(昭和40年)に、非営利法人として設立されました。いったいどんな業務を行っているのか、JAIAが行っている輸入車試乗会とはどんなものなのか? そして、参加する人はどんな人たちなのかについてリポートしてみたいと思います。 JAIAを構成しているのは、主に海外の自動車メーカーと直接、輸入契約を結んでいる輸入業者(インポーター)です。オフィシャルウェブサイトによると「輸入車市場の健全な発展のために、諸統計の作成、共同展示事業、技術情報の提供などの事業を行っている組合」とのこと。JAIAになってから53年経ちますが、前身の輸入自動車協会が設立されたの

    輸入車の統計を発表しているJAIAの試乗会にはどんな人が参加しているの?
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    gui1 2019/07/06
  • 日野生まれ、日野育ちのオーナーが溺愛する、1965年式日野コンテッサ1300 クーペ(PD300型)

    日野自動車株式会社(以下、日野自動車)といえば、バスやトラックをはじめとする商用車を製造・販売しているイメージが強いだろう。人によっては、日野のクルマに直接触れる機会は少ないかもしれない。しかし、リリー・フランキーが「トントントントン、ヒノノニトン」とリズミカルに口ずさんでいるCMも、実は日野・デュトロ(2トン車)だったりする。そして、日頃利用している路線バスが日野であったり、今夜の卓に並ぶであろう材も、ひょっとしたら日野のトラックが運んだものかもしれない。商用車というと縁遠いイメージを持たれるかもしれないが、実は、案外身近な存在のように思えてくる。 そんな日野自動車が、かつて乗用車の製造・販売を手掛けていたことを知っているのは、ある程度、年を重ねた人たちではないだろうか。しかも、美しいフォルムを身に纏ったクルマが確かに存在していたのだ!今回は、日野自動車が世に送り出したクルマを溺愛す

    日野生まれ、日野育ちのオーナーが溺愛する、1965年式日野コンテッサ1300 クーペ(PD300型)
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    gui1 2019/06/08
  • 意のままに操るクルマと暮らせる喜び。いすゞ・ベレット 1800GT(PR95型)

    「旧車」というと、どのようなイメージがあるだろうか? 壊れる、維持費が掛かる、部品の確保に苦労する…等々。思い浮かべるキーワードはネガティブなものになりがちかもしれない。 しかし、休日の早朝には、旧車特有の排気音を轟かせて走り去る姿を見掛けることも少なくない。真冬の氷点下の朝でも、目覚まし時計に頼ることなく目が覚めて、お気に入りの道を目指して走る。おそらく、多くのオーナーにとってかけがえのない時間なのだろう。その反面、旧車との生活に憧れつつも、さまざまな事情でなかなか購入に踏み切れない人がいるかもしれない。今回は、そんな人にこそ、何らかの刺激になってくれることを願って、取材を試みた。 「このクルマは1973年式いすゞ・ベレット 1800GTです。所有して3年経ちました。現在、私は51歳になるんですが、このクルマの前はいすゞ・117クーペに乗っていたんです。いずれも、私が子どもの頃に眺めてい

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    gui1 2019/06/07
  • 事故多発交差点ワースト10を発表! 全国の事故“常連”交差点はどこ?

    損害保険協会は毎年「全国交通事故多発交差点マップ」を発表しています。先日、平成28年のマップとともに、過去8年間のデータを分析した資料が一般公開されました。全国で事故件数がもっとも多かった交差点はどこなのか。昨年のワースト10や常連となっている交差点とともに、事故の傾向と対策についてお伺いしました。 お話いただいたのは、一般社団法人 日損害保険協会 業務企画部 防災・安全グループの宇佐美真帆さんです。

    事故多発交差点ワースト10を発表! 全国の事故“常連”交差点はどこ?
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    gui1 2019/05/10
  • 28歳、板金のプロが自らの手で甦らせた愛車は1993年式日産 サニートラック ロング デラックス | トヨタ自動車のクルマ情報サイト‐GAZOO

    1台のクルマを買うとき、多くの場合は何らかのドラマがあるように思う。 最初のステップは、雑誌やインターネットを駆使して気になるクルマの情報収集だろうか。そのうち実車を眺めてみたくなり、真夜中に自動車販売店のショールームの前で腕を組みながら、自分がオーナーになったときのシーンを想像したりするのかもしれない。 やがて、寝ても覚めても、気になるクルマのことが頭から離れられなくなっているはずだ。そうなると、あとはもうタイミングと勢いと縁だろう。それが1点モノのクルマであればなおさらだ。 今回のオーナーも「予算が届く範囲でいいから、いつか旧車を自分の愛車にしたい」と願っていた矢先に、今の愛車との思わぬご縁があったそうだ。そこで、さっそく話を伺ってみた。 「このクルマは1993年式日産・サニートラック ロング デラックス(以下、サニトラ)です。手に入れてから間もなく2年になります。以前から旧車が欲しか

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    gui1 2019/02/14
  • トヨタ・キャバリエ…一代限りとなったクルマ | トヨタ自動車のクルマ情報サイト‐GAZOO

    今回は、光る個性があるにも関わらずモデルチェンジされなかった車種や、目的をもって市場に投入されながらもその後開発が継続されなかった、“一代限りのクルマ”を取り上げます。 トヨタのキャバリエは、日からの輸出過多による日米自動車摩擦の緩和を図るべく誕生したモデル。右ハンドル化やウインカーレバーの移設など、日市場に適合すべくアレンジした米国GMのシボレー・キャバリエをトヨタが輸入販売したもので、1996年に発売された。 アメリカ生まれとはいうものの、そのボディーサイズはトヨタの当時のラインナップではカムリ/ビスタに近いもので、4ドアセダン(全長×全幅×全高=4595×1735×1395mm)と2ドアクーペ(同4600×1740×1355mm)の2タイプが用意された。エンジンはともに、2.4リッター直4 DOHCエンジン(150ps/6000rpm、22.1kgm/4400rpm)が採用されて

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    gui1 2018/11/09
  • 多摩川スピードウェイ――自動車競走の時代 (1936年)

    初の格的な自動車レースは、1964年の第1回日グランプリとされている。前年にできたばかりの鈴鹿サーキットで開催され、20万人以上の観客を集めた。サーキットの開設は、田宗一郎の強い思いによって実現した。彼は「俺はレースをやるところが欲しいんだ。クルマはレースをやらなくては良くならない」と話し、安全に高速走行ができるサーキットを作ることがメーカーの義務だと考えていた。 田は若い頃からサーキットの重要性を知っていた。アート商会で働いていた時にレーシングマシンの製作に携わり、1923年にはライディングメカニックとして優勝に貢献している。日でようやく自動車レースが行われるようになった時期だった。1907年には、イギリスのブルックランズGPレースでフィアットに乗る大倉喜七郎が2位に入賞する快挙を成し遂げているが、日国内にレース文化が浸透するには長い時間を要した。 日人初のレーシングド

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    gui1 2018/10/22
  • 【技術革新の足跡】サスペンション形式――速くて快適なクルマを求めて(1931年)

    メルセデス・ベンツ170馬車を改造して製作されたダイムラー初の四輪車当時主流だった板バネ式のリジッドアクスル・サスペンション。写真はメルセデス・ベンツ28/95hpのもの 1926年にダイムラーとベンツが合併し、世界最古の自動車メーカーが合同するという強力な体制が発足した。技術部長はフェルディナント・ポルシェ博士で、次々に先進的なモデルを作り出していく。SSやSSKはパワフルなエンジンと低く構えたスポーティーなシャシーを持ち、ヨーロッパ各地のレースで輝かしい成績を残した。 それに比べると、ポルシェ博士が去った後の1931年に発表されたメルセデス・ベンツ170は、地味な印象である。直列6気筒のサイドバルブエンジンは1692ccという控えめなもので、出力は32馬力だった。ごく生真面目なサルーンで、デザイン的にも斬新さや華麗さを認めることは困難だ。それでも、メルセデス・ベンツ170は、自動車史に

    【技術革新の足跡】サスペンション形式――速くて快適なクルマを求めて(1931年)
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    gui1 2017/04/07
  • ミニ四駆は既婚者にオススメ!? Kindle版「月刊ミニヨン技術」編集長ミニインタビュー | 編集部特選記事 | GAZOO.com

    あのメーカーの創始者はハイブリッド車の発明者?! クルマ界に大きな貢献をしたフェルディナント・ポルシェ博士 20世紀最高の自動車設計者に認定されたフェルディナント・ポルシェ博士。ドイツのスポーツカーメーカー「ポルシェ」の創設者です。しかし、ポルシェ博士の功績は、スポーツカー開発に留まりません。今回は、そんなポルシェ博士の生涯と功績をご紹介します。

  • SAIと藤まつり (和歌山:みやまの里の藤まつり)

    誠に勝手ながら、GAZOOで提供しておりますブログサービス「GAZOOブログ」は、2019年11月15日(金)をもちましてサービスの提供を終了いたしました。 ご利用いただいていた皆様には、「gooブログ」への移行をお願いしておりましたが、サービスの移行完了に伴い、移行ツールの提供も終了しております。皆様にはサービス開始以来、長きにわたりご愛顧いただき、誠にありがとうございました。 なお、移行時より開始いたしました「GAZOOコミュニティ」では、「gooブログ」と連動したサービスの提供を行っております。 ハッシュタグ「#GAZOO」を付けて「gooブログ」に投稿していただくことにより、GAZOOサイトへ掲載をさせていただきます。 移行していただいた方はもちろん、新たにブログをはじめてみたい方は、ぜひとも「gooブログ」ならびに「GAZOOコミュニティ」をご利用いただけますと幸いです。

    SAIと藤まつり (和歌山:みやまの里の藤まつり)
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    gui1 2013/12/22
    ここか?
  • スズキ・X-90 | ちょっと懐かしい迷車たち (1995年~) | 名車館 | GAZOO.com