旧東海道「平塚宿」を歩く 平塚は小田原北条氏が城郭を築いたところから発達した町で、最盛期には、2千人の人口と75軒の旅籠屋を抱えた宿である。 平塚宿と隣宿の大磯宿との距離は約3km(27町)で、東海道の宿場のなかでも愛知県の御油から赤坂間に次ぐ短い距離とされるが、平塚宿は、中原御殿・陣屋との連絡基地としての必要性からの設置と思われる。(東海道五十三次の宿場間の平均距離9.3km) ●相模川・馬入の渡し 川の巾は約120m(70間)あり、渡し舟3艘のほか、平田船2艘、お召船1艘があり、1690(元禄3)年当時の渡し賃はひとり10文と云われている。船で往来する「馬入の渡し」は現在の馬入橋とほぼ同じ所にあったと云われている。 現在の馬入橋は1980(昭和55)年(1980)完成で、全長563mある。 1923(大正12)年に発生した関東大震災で馬入橋が崩壊したが、当時の軍隊が僅か16日で修復した
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