日本人の美意識の中核には、一見そう簡単には掴みきれないところがある。しかし、気づいてみると、その手がかりはこれ以上ないくらいの明白なかたちをとって存在するのである。 もっとも、ここで言うのは、すべての人によって共有されている感覚では必ずしもない。だからといって、単純に相対的なものであるわけでもない。 何を美しいと感じるかということは、技術革新に似ている。それは多数決の民主主義ではない。場合によっては、ごく少人数の人が先導する、ある種の革命でもある。美意識は、人工知能と同じように、少数派でも、もっとも優れたものが結局静寂を支配するというところがある。 そして、美は、命そのものと似ている。 命の本質とはなんだろう。もしある時点で完成されてしまうのならば、それ以上の変化は必要ない。脳の中核的機能は学習だが、常に未熟だからこそ、成長する意味がある。 満たないからこそ、動き続ける。日本人の美意識は、