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ブックマーク / nov1975.hatenablog.com (56)

  • エイベックスのJASRAC離脱は業界闘争よりもJASRAC対利用者の問題に発展するか - novtan別館

    久々に大きな動きがありましたね。 音楽最大手の一角、エイベックス・グループ・ホールディングスが同協会に任せていた約10万曲の管理を系列会社に移す手続きを始めた。 エイベックスがJASRAC離脱 音楽著作権、独占に風穴 :日経済新聞 これのポイントはここ。 一方、JASRACは約300万もの楽曲をそろえており、依然として放送局などが音楽を利用しやすくしている。同協会は全国の飲店やカラオケ店から使用料を徴収する強力な営業基盤も持っており、著作権者にとっても委託を続ける利点がある。 このJASRACによる音楽を利用する営業店からの使用料の徴収は現在ほぼ100%「包括契約」で行われている。これは実際色々な問題を起こしていて、例えば「JASRACに委託していないオリジナル曲」しか使わないと明言したとしても「JASRAC管理の曲」を使って営業できる「可能性」があるだけJASRACがやってきて契約を

    エイベックスのJASRAC離脱は業界闘争よりもJASRAC対利用者の問題に発展するか - novtan別館
  • 「批判をするなら代案を出せ」はいつ適用可能なのか - novtan別館

    「批判をするなら代案を出せ」は面倒な人への対処ツールにすぎないのでルールのように扱わないほうがいい – The First Penguin ここで話されている事自体にはあまり建設的な感じを受けないんだけど、いずれにせよ、批判をするなら代案を、というのは代案を出すなら批判を受け入れよう、という風に捉えられてしまうと泥沼な話だし、あまり言いたくないワードではありますな。 よく、代案は現状維持であるということをいう人もいるけど、それもケース・バイ・ケースで、改善提案とか代替策に対しての批判は「それ、今の方がマシ」で代案となりうるだろうけど、新しいビジネスを考えている時にこれはダメという批判は代案がいらないんじゃなくて、そもそも代案がなければ話が始まらない。代案がいらないのは「何もしない」が十分に選択肢として成立している時だけかもしれないな。 であれば、いつ何時たりとも「批判をするなら代案を出せ」

    「批判をするなら代案を出せ」はいつ適用可能なのか - novtan別館
  • 「正しい答え」が正しくないこととロジックの大事さについて - novtan別館

    ググる先生が教えてくれるのは答えだけである、という僕の知っている真実については考慮不足のところがあった。もともとこの言葉は答えに至る思考であるとか、答えが答えである理由であるとか、そういった部分のほうが大事であることを戒める言葉であるけれども、答えは答えだけでは正しくないのみならず、問いかけに対する答えが正しくても目的に対しては正しくないことはあるのだ、ということがもっと大事だった。 ネットで薬の知識を頭に詰め込んで来院される患者さんには、この、『自分が知っていること』と『自分が知っていると思っていること』の区別がついていないタイプがかなりいるようにみえます。自分がネットで仕入れた知識をありがたがるあまり、どこまでネットに載っていなくて、どこまで自分が知らないのかには無自覚な人が大半ではないでしょうか。 ネットで薬を調べまくる患者さんも、自分が何を知らないのかまでは知らない - シロクマ

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  • ヨーゲンvs安田で起こったことと匿名性の有り様について - novtan別館

    匿名問題ブロガーだったからね。言及はしておこうかと思う。 安田浩一氏の「ヨーゲン」記事に見る正義の暴走について : 人類応援ブログ この記事をどう見るか。僕は別にこの件を正義の暴走とは見ていない。これは私刑でもヘイトスピーチでもないと思っている。いわゆる、ネットの暴走問題というのは、相手のパーソナリティーではなく、プライバシーを暴くことだ。もっとも、今回の件がプライバシーの域に触れているという見解はあるだろう。僕はボーダーラインと見ている。 ヘイトスピーチだろうがなかろうが、ウェブであろうがなかろうが、社会に対して(それは他者に対して、というのとだいたい同義だ)何か働きかけをすることは繋がりができることではあり、真の匿名性はありえないし、一方である程度の壁を意識した活動もできる。全ては、人間関係に基づくリスクに依存していて、大過なく過ごす人の大半は、深い恨みを買うことなく日々を過ごしている

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  • 差別と本音の危うい関係 - novtan別館

    音って「社会的正しさフィルター」を通ってない意見ってことなんだよね。 まとめよう、あつまろう - Togetter 作家とは因果な商売で、人間のアレなところをえぐりだしたりすることで収入を得たりすることもあるわけですね。まあ作家にかぎらずお笑い毒舌キャラとかもね。 でもって、その意見は当然ながら「正しいけど正しくない」ことも多いわけですよね。その状況が容認されたり売り物になったりすることが続くと正しさの感覚は麻痺していって、感情ベースの意見が言えればそれでよいってなってしまったりもするのでしょうね。 んで、こうなるわけですよ。 もはやそこにはロジックなんて成立していない。もういらないんだもんロジック。だからロジカルな反論も耳に入らなくなる。だってキャラなんだもん。こういう人には「これから起こる差別」は理解できない。今ある悲惨な現実(に見える何か)じゃないと感情を喚起しない。自分が引き起こ

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  • 価値観の多義性と命の軽さについて - novtan別館

    なんつーか衝撃を受けたんだけど 【画像集】山手線 新宿駅南口 歩道橋の上に座り込む人 飛び降り自殺か? 火を付け焼身自殺 6月29日 - NAVER まとめ この行為そのものについてじゃなくてその反応について。 「自殺するなんてサイテー」 とか。 すごい怖い。 そりゃね、自殺は良くないですよ命は大事ですよそれが近代国家のベースですよ。 でもね。それはすなわち「命を賭して何かを行う」事の価値が相対的に低下することを意味してしまっているのはなんでなんだろう。 よく、「自らを犠牲にしてまで皆を救ったことへの賞賛」が「そんなことより逃げるべきだった」という意見に塗りつぶされることがある。確かに過度な賞賛は命を犠牲にすることを強いるということへのカウンターとして必要だとは思う。でもこうやって個人の価値観というものは個人主義を装った全体主義に塗りつぶされていくのだろうかなんて感じてしまう。 これが行く

    価値観の多義性と命の軽さについて - novtan別館
  • 愛国心を差別に利用されたくないよね - novtan別館

    という国は特殊な国だと常々思う。国籍が日だろうが人種が違えば「外人」である、というのは何も日に限った話ではないにしても、言語や風習があまりに周りの国と違うという点はどうしても閉鎖的な思考を生み出しがち。でも実際のところ日人のかなりの人数が自国の歴史文化についてあまりにも知らない。僕も例外ではない。 日を愛しているという人のどのくらいが排他的な考えを持っているのかは知らないけれども、日が好きだという気持ちにもいろいろあって、決して全員が同じ思いでいるわけではないよね。だからそういう人たちが事あるごとに「我が国」的な発言をすると「その日はお前のものじゃねーよ」と思ったりもする。 「Japanese Only」は差別じゃないっていう人のロジックが全く理解できないわけではないんですよ。むしろこれが簡単に「差別」として結論づけられている方に驚いていたりする。ただよく訓練されたネット

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  • インターネットの自由はインターネットの自由によって殺され、後に残るのは既得権益という未来予想図 - novtan別館

    去年のアイスケース炎上事件からの一連の流れはウェブサービスそのものを大きな社会問題として捉えるに十分なインパクトではあった。 そして題と外れるところとして、俺がここしばらく思っているのは現状のフラットすぎる状態の揺り戻しがどこかで来るのでは、と言うこと。その揺り戻しがどんな形で現れるのかはさっぱり予想が付きませんが…… 「地獄インターネット」なるものについて - 偏読日記@はてな それこそもう何年も前から予言している話ではあるが、リテラシー依存(つまり自己責任)という錦の御旗の元に問題が起きることが想定されても利便性を取る(そしてそれを批判するとイノベーションの阻害だと言われる)ようなサービスを生み出してき続けたここ数年のウェブはついに「規制」という形でひとつの時代の終焉を迎えるんじゃないかと思う。そして、その終焉とともに既得権益(と一部の規制をモノともしない反社勢力)の勝利が確定してし

    インターネットの自由はインターネットの自由によって殺され、後に残るのは既得権益という未来予想図 - novtan別館
  • 不謹慎とアート - novtan別館

    アートという言葉が無敵の免罪符になった時、アートは死ぬのだ。 モーツァルトは不謹慎な存在だったけど、残したものは芸術そのものだ。たとえそれがホルン奏者をいじめる意図で書かれた曲であっても。 遺されたものがアートでなければ、なんであろうか。ゴミだ。 不謹慎がアート足りうるのはそこにアーティストが打ち破らなければいけない価値観があるからこそである。 しかし、価値観を打ち砕くのがアートなのではない。その価値観が打ち砕かれるべきものであることを衝撃とともに鑑賞者に叩きこむのがアートだろう。 その点でいうと、「福島第一原発麻雀化計画」(この名称も人類補完計画のパロディの出来損ないを感じさせる)はアートではなくせいぜいブラックユーモアのたぐいであり、かつ面白くない。面白くないブラックユーモアなどゴミというのも上等な話で害虫だとすら言える。 企業の不見識を嗤うために他の人間を不愉快にさせるという時点で皮

    不謹慎とアート - novtan別館
    gutihaki
    gutihaki 2014/01/02
    「企業の不見識を嗤うために他の人間を不愉快にさせるという時点で皮肉のターゲッティングに失敗している。」
  • ブラックユーモアってのは全方位な攻撃性を持ったらダメだよね - novtan別館

    ユーモアたらんとしないブラックユーモアってユーモアじゃなくて単なる攻撃なわけで(当たり前か。 実物みないとなんとも言えない部分はあるけどさ、少なくともこのTweetはこれのダメなところを象徴しているようにみえるね。 「原発事故を起こすことで寄付金を集め勝利」 もうこういう処理の仕方がいかんと思う。仮に僕がこの手のをやるならもうどうにもならなくなったときに一発大逆転の手段として原発事故(麻雀であれば他プレイヤーの3万点以上の持ち点を強制的に徴収するとか)を用意する、くらいのがそれっぽさだと思うんだよね。原発事故を「起こすのが目的」って実際にそれが起きて苦労している現場の人にとってはジョークに全くならないじゃない。 何かを傷つけることはわかってやっているんだろうからさ、せめてその対象が適切になるような方向付けくらいはすべきなんじゃないかと思うんだよね。

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  • 正義というのもおこがましいけどなんかこう線を引きたくなるレベルについて - novtan別館

    はてなブログの方で生涯一はてなブロガー宣言的なエントリを書いてしまったので分を果たそう。 使い分けに悩んで雑多に書いてきたけどあっちはいい話、こっちはアレなことを中心に書くことにしようかなー。 最近目につくようになってきたはてなブログの某サイト。個人的にはクソオブクソサイトとして認定したので見に行くこともないんだけど、そのサイトを巡ってバトル…じゃないな…バトってよ…議論…でもないな…感想の投げ合い?…が行われたので眺めてみる。 http://dshocker.hatenablog.com/entry/2013/12/15/182430 http://tm2501.hatenablog.com/entry/2013/12/16/130510 ネットでウソをまき散らすなら責任を持て - あざなえるなわのごとし http://dshocker.hatenablog.com/entry/201

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  • ブクマカーのリテラシーのレベル感が最近怖い感じだがこれはお仕事ブクマのせいかもしれないと思い直した - novtan別館

    まずはこれを見てくれ ツバを飲み込むのさえ辛い「イガイガした喉の痛み」を少しでも和らげる方法 | Linomy[リノミー] よく訓練されたはてなブクマカーであれば即座に「ニセ科学」「宣伝乙」「メディア名乗る資格ねーぞクソが」と罵倒が並ぶレベルであります。しかしながら、実際のブクマコメントの半数くらいは違う。 はてなブックマーク - ツバを飲み込むのさえ辛い「イガイガした喉の痛み」を少しでも和らげる方法 | Linomy[リノミー] 「やってみよう」「初めて知った」「良い情報」「喉の痛み」とポジティブ評価やお役立ちネタ認定的なコメントが並ぶ。 TopHatenarによると、購読者0である。そりゃそうだ。RSSないもんな…しかし、月一万ブクマをたたき出している。 一昔前と違うのは、この手のは大量の無言ブクマと訓練されたブクマカーの罵倒あるいは罵倒タグしかなかったのに最近はコメント率が異常に高い

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  • 正義の限度 - novtan別館

    昨日の記事はどうもちょっと誤解を招いてしまったようですね。「捏造した制作会社はクソ。テレビ局は再発防止に力を注ぐべき。だからといって局や社長に対して厳正な処分を求めるのはやりすぎ」と言いたかったんだけどね。騒ぎすぎな部分にフォーカスしたから伝わらなかったのかも。ちなみに最後の「それこそ政府がメディアをコントロールする契機になりかねない。」は皮肉気味の言葉です。 解説しなきゃならんのは下手だからだな… さて、久々に言及されたのでちょっとそれについて考えてみようと思う。 まず、前置きとして。 僕はあの『ゲーセン少女』に対して、参考リンク(3)のように当時は考えていたのですが、いまは「やっぱり、フィクションはフィクションであると、なんらかの形で明示するべきだ」と思っています。 あのときは、「実話だと信じた人たちをバカにするような風潮」に過剰に反発していました。ごめんなさい。 『ほこ×たて』不適切

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  • 「ほこ×たて」結果捏造事件の騒ぎすぎな現状について - novtan別館

    あれだ、実話風作り話を骨の髄まで憎んでこの世から消滅させようとするような話でネット言論と親和性が高いって話だな。 第1に実際のVTRの制作に携わっていたのはテレビ体ではなく、制作会社だということだ。第2に「ねつ造」が過去の回にさかのぼって疑われること。第3に、どちらも高視聴率を誇る人気番組である点。第4に、広い意味では娯楽番組といえるジャンルだが、『あるある』が健康や品に関する情報、『ほこたて』が日企業の底力や魅力に関する情報を紹介するという、教養番組としての実質を伴う番組である点だ。 フジテレビ「ほこ×たて」のヤラセ 「以前からあった」なら“社長辞任” “民放連除名”も(水島宏明) - 個人 - Yahoo!ニュース 教養番組www たしかにね、あるあるは「健康」とかそういうテーマでやっているわけですよ。そこで嘘八百がまかり通っていたら場合によっては健康被害が出かねないわけですよ

    「ほこ×たて」結果捏造事件の騒ぎすぎな現状について - novtan別館
    gutihaki
    gutihaki 2013/10/25
    「程度の問題を超えた絶対正義って危ういよね。」
  • はてな村の空気というもの - novtan別館

    一次は存在が疑われたものの綿密な調査を行った結果として存在すること自体はほぼ確実とされているはてな村。 小話書こうと思ったけどめんどくさくなった… ええと、この話。 1.マジレスすることのインセンティブを低下する環境がコミュニティ内に既に形成されており、相対的にネタ化するインセンティブが高まっている。 2.しかし、ネタ化に走るとメタ視点で一網打尽にされて「維新値大低下」する未来がまっている。 こういう記事にブクマがつくことは期待しない - 情報の海の漂流者 今回の件って大雨の日に制限速度オーバーを公言、というあたりが実質的な問題?ウォチャーがウォチ対象になるという話かな。で、その対象が隠然たる力を持っていることから皆が及び腰になるという… でもさ、例えばはてブであれば、村の力が及ぶ範囲なんて大した部分ではなくて、ホッテントリになっちゃえば村のことなんか知らない別のウォチャーが存分にDISり

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  • ヘイトスピーチ禁止は表現の自由にとってどれほどの問題なのか - novtan別館

    非常に残念な話ではあるけれども、表現の「自由」は留保付きの自由である。まあ全ての自由がそうなんだけどね。もちろん、それは権力側から見た一面でしか無い。何をどう禁止しようが、信念を貫いて表現を行うというのは古来から繰り返されてきた表現者と為政者の戦いである。一方で、そういう部分とはかけ離れた政治的主張において、表現の自由を盾にとりヘイトスピーチをする、というのは表現の自由に対する冒涜であり、ズルであると思うんですよね。 とはいえ、表現の自由というのは権力を告発するために確保されているものである、という面もありますからめんどくさい。 芸術の分野、社会秩序の分野、民主政治の分野それぞれにおいて保証されるべき表現の自由というのは細かく階層化されるべきものなんだけれども、実際にはどれがどれであるかということを区別することは難しい。包括的な考え方で言うとまとめて規制せざるを得ない部分はあって、それが各

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  • 「反」差別という言葉がすべてを台無しにしているような気がする - novtan別館

    差別をしませんよ、という表明は素晴らしいし、世の中そうあるべきと主張することも素晴らしいことだと思う。それでもなお、なんかちょっと奥歯に物が挟まっちゃうよなあ的なもどかしさを感じるのは、その運動が他の何かを排除するように見受けられる行動をしばしば取るからなんだよね。 一番問題なのは、何かに対する「対立姿勢」を明確に取るようなことがある場合。しばき隊の悪いところの典型がそれで、結局のところ自分の思想と相容れない相手と闘争しているだけの当事者を無視した自称知的階級のお遊び(ただし真剣である)に見えてしまうところなんだろうなあと。 それを象徴しているのが何かにつけ「反」という文字がついて回ること。これは反原発と脱原発って話の時にも思ったことだけど、反って結局オレはそれが気に入らないという以上の何物でもなく、価値観の否定にほかならず、寛容や他者の需要ともっとも遠いところに存在する思想の表出であって

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  • 「何を言ったか」を毎回評価できるほど僕らの人生は長くない - novtan別館

    一周回ってここに来た、という感じもするけど、ネット(における情報伝達)の有り様というのはネット黎明期と今この時点でもだいぶ異なるんじゃないかと思う。 重要なのはかつて「メディアや権威によって封じ込められていた発言」というのは消え去り(つまり、公開だけならだれでもできるようになり)、その代わりクソみたいな情報もフィルタリングさらずに溢れ出ている、という現状。そういう場において、「何を言ったかが重要」なんていうのはのんき極まりないと思ったりもする。 私たちは「誰が言ったか」に影響されやすい生き物だ。発言の内容にきちんと向き合うのではなく、発言者の人となりを気にしがちだ。権威的な人物の言葉であれば安心するし、そうでなければ耳をかさない。 ネットでは「誰が言ったか」よりも「何を言ったか」/匿名主義の信条 - デマこい! ここ3年ほど(それが意味するのは何かわかっていると思うけど)で僕が痛感したのは

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  • 「中国人にもいい人がいる」を認めたくない人 - novtan別館

    「にも」ってのは失礼ですね。すみません。 人間の心性ってのは教育によって形作られる点が多々あるという意味ではある程度国によってバイアスがかかるのは仕方がないと思うけど、単に個としての人間を見た時にその人が善行を行うか否かはそういった属性的な側面とも多少違った行動原理によるものではないかと思うんですよね。非常に曖昧な話ですが。 で、そういう話はおいといて、「子供を助けた中国人は実はチベット人だった」みたいなデマをどうしても言わなきゃいけないような心理は属性そのものを敵として憎んでいる人が現実と折り合うため、つまり認知的不協和を解消するためにそういうふうなことを行ってしまうんですよね。 でも、それって例えば「悪い日人」がいたらどうするのか。まあ、いますけど。そしたらきっと「在日」とか「サヨク」とかいって自分の属性と違うことを強調するんだろうなあ。なんかあるとすぐ在日を持ち出す人ってのはつまり

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  • 皮肉と差別の分水嶺とは - novtan別館

    まー答えの出しづらい話ではあるけどね。ちょっと違和感があったので僕の所見を述べておきたい。 ここで、被曝者への「悪意」を持っているのは実はフランス人ではない、ということが露わになる。この問題の問題性はそこにある。 被曝者を「3腕の怪物」と見ている人について - OAF 何度か表明してきたことではあるけど、僕は福島の当事者ではないけれども、いわゆる原爆被爆者2世(正確には被爆者と2世の子供だが)としての人生を歩んできている。無論、僕の年代において(生まれるまではやはり不安がられてはいたようだけど)、そのことが原因で差別を受けたことはなかったし、それが原因の病気にかかっているわけでもないけれどもね。 だから、放射能を浴びる=ミュータントになる的なステレオタイプ(アメコミか?)による皮肉は事実と異なるという点であまりに醜悪だと思うし、皮肉と言って免責されるわけではない。現に、イスラムを侮辱する

    皮肉と差別の分水嶺とは - novtan別館