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批判に関するh108のブックマーク (3)

  • 悪い奴らは来なかった - レジデント初期研修用資料

    病棟で3年過ごした昔、上司の書いた処方箋を見て、「こうすればもっといいのに」なんて批評家気取りができるようになった頃、島に飛ばされた。邪魔な上司の指示が入らない、「こうすれば」を自分の責任で行える機会がいよいよ巡ってきて、それをやろうとして、手が動かなかった。 決断のお話。 実戦は怖い 島への派遣が決まったとき、粋がって英語ばかり持ち込んだ。世界的に権威のある教科書だから、信頼性なら完璧なのに、いざそれを使おうとして、それを翻訳するのが自分であることに思い至って、そのがいきなり信用できないものに変わった。普段は馬鹿にして、ろくに読みもしなかった日語の「今日の治療指針」がありがたくて、それに頼ってようやく病棟を回すことができた。 畳の「へり」なら転ばず歩けるのに、それが地上10m の高さに置かれたそのとたん、足がすくんで動けなくなる。模範解答を知っていることと、実際に決断ができること

    h108
    h108 2011/04/26
    何にでも有りうる話だな……。
  • 物を作る能力と物を見る能力は似て非なるものではないか

    「どこそこの店の料理は出汁が塩辛すぎて不味かった」「そのイラストは首と頭の部分が立体的にずれているから頭が飛び出て変に感じる」「ピアノが若干先走りすぎてたかな。もう少しゆっくり弾いてくれた方が心地よかったと思う」……ネットでは今日も至る所で創作・演奏・作品・その他もろもろについてあれやこれやと批評を書く人が後を絶たない。そして、同じように、その批評に納得が出来ない人が反論として 「そう思うならお前がもっと美味いものを作れよ」「偉そうに言いますが、じゃあ、あなたはもっと上手に描けるわけですね。絵をアップしてみてくださいよ」「嫉妬乙。おまえの演奏よりも1000%向こうの方が上手いから」……と、批評の内容に対して反論するのではなく、「その作品を創る技術が無いものがそもそも批評をするな」という、意見の封じ込めをしようとする人も後をたたない。 確かに一見正しく見える意見なのだが、最近どうにも違和感を

    物を作る能力と物を見る能力は似て非なるものではないか
    h108
    h108 2009/08/23
    問題はそこじゃなく、不特定多数を不愉快にするであろう発言をしてもいいのか、と言うことじゃないかな。批評もまた作品になるという事を、批評する側はもっと理解するべきだよ。誰かに見られるのだから。
  • 不愉快な思いをブログにぶつける前に。あるいはブログ炎上防止の方法 Harmonia!!

    若い人で、特にブログを始めたばかりの方などにありがちだと思うのですが、誰かの悪口を怒りのままブログに書いてしまうことがあると思います。もしかしたら、そこそこ年齢が高くても陥るかもしれません。 例えば、誰かの痛い批判。耳が痛い批判ではなく、何の根拠も無い批判は、作品を発表し続ける限り、あるいは活発に活動し続ける限り遭遇します。クレーマーの数やアンチの数は知名度に比例します。有名になればなるほど理不尽な批判に晒され、時には直接手紙や電子メールが届くと思います。 デールカーネギーの著書、道は開けるのなかに面白い方法があります。今回はそれを現代風にちょっとアレンジしてご紹介します。 書かないのはむしろ心の毒 まず、不愉快な思いをしたり、反論し、罵倒したい相手が居る場合、とにかくそれは一度書きましょう。書かないでいるのは心の毒です。書きましょう。思い切って書きましょう。 毒を吐く場所は、オフラインで

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