「大東亜戦争」と呼ばれた、アジア・太平洋戦争から六十余年――。極東国際軍事裁判の判決や戦犯の処遇をめぐっていまだ世論は定まっていない。そんななかで、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって逮捕・起訴されたA・BC級戦犯の他に、唯一「Q級戦犯」として起訴された日本人がいる。歴史のひだに埋もれてしまった「Q級戦犯」こと東条英畿(1884〜1948?)の生涯に迫る。【虚構新聞戦後史取材班】 ●生い立ち 東条英畿は1884年(明治17年)7月31日、東京市麹町区に生まれる。奇しくも後のA級戦犯・東条英機と同姓同名、誕生日まで同じという偶然が彼の人生を左右することになるが、このような数奇な運命をたどることを東条本人をはじめ日本人の誰一人として予想しなかったであろう。 英畿は番町小学校、四谷小学校、学習院初等科(1回落第)、青山小学校を経て1897年、東京府立城北尋常中学校(現・都立戸山高等