☆総目次 に戻る☆ ☆三国志 考察 目次 に戻る 初平四(193)年、曹操は、父の曹嵩(ソウスウ)が徐州牧の陶謙の部下に殺されたことをきっかけに、徐州を攻めます。そこで、悪名高い徐州の軍民の大虐殺を行います。この徐州攻めの中で、曹操は各地で男女合わせ数十万人規模の住民を殺戮し、更に犬や鶏まで残らず殺したため、泗水の流れが堰き止められるほどであったといいます。 これは、父が殺されたことの陶謙への復讐とされますが、なんかおかしいですね。曹操が陶謙に恨みを持つのは、まあ分かりますがそれを何の関係もない徐州の民に向けるのは意味が分かりません。 そして、こうした虐殺を起こすほどまでに陶謙に恨みを曹操は持っているはずなのに、例えば陶謙の子供たちを探し出して殺したとか、陶謙の墓をあばいて遺骸を晒したとかいう中国の歴史で親族を殺された人が相手に恨みを持って復讐するときに、よくやるエピソードを聞かないので

