2007年、65歳で亡くなった名将・栽弘義。その剛腕とカリスマで公立高校の沖縄水産を全国レベルの強豪へと引き上げたが、苛烈な指導方針は同時に多くの批判も浴びた。そして栽亡きあとの沖縄水産の凋落は、野球部のみならず学校全体にも及び……。荒れ果てた校内に崩壊した秩序、そして野球部で起きた横領事件。校内の健全化に尽力した元監督が、「終わりかけた沖縄水産」の真実を証言した。(全5回の4回目/#1、#2、#3、#5へ) 「賛否両論の名将」栽弘義65歳の最期 監督の栽弘義が「沖水史上最強」と考えていた1998年の沖縄水産は、春夏ともに甲子園1回戦で敗れた。一旦は落ち込んだ栽だったが、すぐさま体に鞭打って奮起し、2000年、02年、04年と沖縄県大会決勝まで駒を進めている。だが、いずれもあと一歩のところで敗退。03年世代のキャッチャーで4番を打った照屋信博(現シンバネットワークアーマンズベースボールクラ
