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ブックマーク / call-of-history.com (23)

  • イギリスのアンダークラスとは何か、その形成過程について | Call of History ー歴史の呼び声ー

    伊藤大一(2003)「ブレア政権による若年雇用政策の展開 若年失業者をめぐる国際的な議論との関連で」、同じく伊藤大一(2003)「イギリスにおける「アンダークラス」の形成 ブレア政権における雇用政策の背景」において、英国のアンダークラスとは何か、についてMacDonald.R.(1997)の説を以下の通り紹介している。 『「アンダークラス」とは、「社会的、経済的変化――特に脱工業化(de-industrialisation)――や、文化的行動諸パターンを通して、一般に正規に雇用された労働者階級や社会から、構造的に分化され、文化的に区別されるようになった階級構造の底辺に位置付く人々の社会グループないしは階級であり、かつ現在では、固定的に福祉給付に頼り、ほぼ永続的によち貧しい諸条件や地域の中で、生活するように限定された社会グループないしは階級のことである」』 統計上の失業者であると同時に、就業

    イギリスのアンダークラスとは何か、その形成過程について | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 「神聖ローマ帝国 1495‐1806 (ヨーロッパ史入門)」ピーター・H・ ウィルスン 著

    「神聖ローマ帝国」は実に茫洋としている。ヴォルテールが評した有名な「神聖でもなければ、ローマ的でもなく、そもそも帝国でもない」という言葉の強い印象もあって、とらえどころがないイメージをさらに強くする。欧州史を調べていても、そのときどきの神聖ローマ帝国にまつわる様々な事件については理解できても、なんとなく「神聖ローマ帝国」そのものについてはあまり理解できているとはいえない。 それはドイツの研究史でも同様なようで、どうしてもプロイセン中心史観が長く歴史学の主流であったため、神聖ローマ帝国の時代を断片的な支配力と政治権力の分散によって国家統一を遅らせた停滞の時代という捉え方がされがちだった。戦後、このような捉え方は大きく見直されて実証的な研究が進んだが、それでも神聖ローマ帝国について十分に研究されてきたとは言えないようだ。しかし、現時点で明らかになっている「神聖ローマ帝国」とは何だったのか?

    「神聖ローマ帝国 1495‐1806 (ヨーロッパ史入門)」ピーター・H・ ウィルスン 著
  • 「アンネの日記」真贋論争~偽書説が科学的検証を経て否定されるまで

    「アンネの日記」が何者かの手によって都内図書館で多数破られているというニュースが次々と報じられている(2014年2月)。サイモン・ヴィーゼンタール・センターによる批判を皮切りに海外メディアでも報じられて、国際問題の様相すら呈しつつある。 この事件については当局の適正な捜査を見守るだけだが、これを切っ掛けにふと「アンネの日記」を色々と検索してみると、未だにアンネの日記偽書説がインターネットに広がっているようだ。え?今更?としか思えないのだが、結論から言うと「アンネの日記」は1981年にオランダ国立戦時資料研究所とオランダ国立法科学研究所による科学的調査の上でアンネ・フランクが書いたものと確定している。この件、日ではwikipediaに軽く触れられている程度で、インターネット上にはテキストが見当たらないので、これを詳説したオランダ国立戦時資料研究所編「アンネの日記 研究版」(絶版)をもとに改

    「アンネの日記」真贋論争~偽書説が科学的検証を経て否定されるまで