「ああ、そういや、おれ、あんたの親父さんには悪いかもしれんけど、最近、水俣病の本、まあ小説なんだけども、読んどるんですよ」 と、おれ。 「ま」 と、声に出したか出さないか、キッとくちびるを結んで眉を吊り上げる母。息子だからこそわかる程度の変化ではある。それゆえ、母が怒りに似たなにかを溜め込んだな、というのが一目でわかる。彼女は怒りや鬱憤、憎悪、不愉快をいったんは溜め込むタイプの人間だ。そして、溜め込んだそれが膨れ上がって大爆発させるかというとそうでもなく、小規模のベントを続けたり、せいぜい小規模の爆発を起こすくらいだ。 おれは母と子の雑談のにやけ顔のまま、内心も少しほくそ笑んで、「お、やっぱりそこはタブーか」などと思う。目の前にいるのが母ではなく興味深い昭和史を語ってくれる、生きた本みたいに見える。おれにはあまり人間味がない。 が、しかしだ。それがおれの想像以上にセンシティブな問題であると