ブックマーク / globalizer-ja.hatenablog.com (64)

  • バブル期の日本と同様、いまの中国は過大評価されていると思う - グローバル引きこもり的ブログ

    21世紀は中国が世界の中心になる、というような話は、今考えてもやはり時代遅れだと思う。 中国についてどうしても考えてしまうのは、開放政策以前の中国でなにか世界が驚くような目覚ましい達成があったのか?ということだ。 冷戦時代のソ連には、もちろんいろいろな問題があったのだが、文化であるとか学問に関していえばソ連の水準というのは西側諸国と比べてひけをとらないものだったと思う。 しかし、冷戦時代に中国文化的、あるいは学問的になにが達成されたかを考えるとき、正直なにも思い浮かばない。 冷戦時代に中国でなにが起きていたのか僕は何も知らないのだが(そして、それはとても興味深いテーマだと思うが)、当時の中国はというと、ただただ人々の生活水準を向上させることで精一杯な国、という感じがする。 もちろん、冷戦下の中国はソ連のように搾取できる衛星国を持たなかったし、何百年前にも及ぶヨーロッパ文明の伝統があったわ

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  • 年齢について - グローバル引きこもり的ブログ

    最近テレビをみるようになったという話は以前にもしたけれども、テレビを見るようになってまず思ったのは若者がやったら出てくるなあ、ということだ。 まあ、僕も生まれて40年くらい生きているわけだから、人口動態を考えに入れなければ世の中の半分は僕よりも年が下なわけで、テレビで若者が目立つのは当たり前のことといえる。 これは少しわかりにくい表現かもしれないが、僕は今まで子供だったり若者だったことがない。 もちろん、僕も10代20代だったことはあるけれども、ただ年齢が10代20代だったから形式的に子供だったり若者ということになっていただけで、実質的には子供でも若者でもなかったと思う。 かといって、大人として生きていたわけではもちろんない。 思うに、昔から僕は大人でもなければ子供でもないような状態で生きてきたし、大人の視点とも子供の視点とも異なる観点から物事を見てきたと思う。 まあ、病人の人生というもの

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  • 羽生結弦のオリンピック連覇 - グローバル引きこもり的ブログ

    正直言って驚いた。 何が驚いたかといって、羽生結弦のオリンピック連覇だ。 羽生がオリンピック三カ月前になって右足に大怪我をしたあと、強気の発言が伝わってくる度に、いくら何でも連覇は厳しいんではないか?と誰もが思ったと思う。 ところが、ショートプログラムは三カ月前に松葉杖をついていたのが信じられないような神懸かった滑りで、それまでの強気発言というのは単に客観的な事実だったのか、と始めてわかった。 そして、今日行われたフリーでは、ミスはあったもののやはり神懸かった滑りで、結局羽生は平昌でも金メダリストになったのだ。 僕は羽生が「絶対王者」といわれていることは知っていたが、いままで何で羽生が絶対王者といわれているのか知らなかった。 しかし、今回のオリンピックで他の選手の滑りとくらべて見ると、あらゆる面でスケーティングの精度がまるで違う。 ジャンプの正確さはもちろん、ステップなどもまったく無駄な動

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  • ヨーロッパやアメリカでは選手は自分のためにプレーしているという妄想 - グローバル引きこもり的ブログ

    オリンピックなどのビックイベントがあると、いつも、日人選手は自分のためにプレーするべき!国のためにスポーツをしているのではない!みたいなことをいう連中が出てくる。 まるで、ヨーロッパやアメリカでは代表選手が自分のためだけにプレーしているような言い方だ。 しかし、オリンピックやサッカーワールドカップなどで国を代表して戦う選手で自分のためだけにスポーツをする選手なんて世界のどこを探しても存在しないだろう。 僕は英語を勉強していたとき(まあ今でも勉強しているけれども)、たまにiPlayerをつかってBBCのラジオ番組を聞いていた。 それで、いつのワールドカップだかが開催されたときも5Liveなどを聞いていたのだが、ワールドカップが終わった後ある番組で、街で代表選手をみたら何というか?と言うお題でリスナーからメッセージを募集しているのをたまたま聞いたことがある。 最優秀に採用されたメッセージは、

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  • 学校のための教育 - グローバル引きこもり的ブログ

    いま行われている教育の何が問題であるかというと、それがテストのための教育であるということだと思う。別の言い方をすれば、学習の結果がテストによって測定できるようなものばかりが教えられ、テストによって測定できないものは教えられない。 この教育の問題点は、教えられている内容のレベルが低くなることだ。このようなテスト中心の教育だと、教育の内容が学問上のアイディアを理解することよりも問題を解くための技術を習得することに重点が置かれるようになる。そして、技術というのはだれでも習得できなければならないわけなので、教えることができる内容は当然限定される。 高校の数学などはいい例だ。あれは要するに、この範囲内で問題を作ったら高校生が解けるはず、というような範囲で教えられる内容が決まっているのである。しかし、それでは高校数学の内容が全国の受験生が投じるエネルギーに見合うほどの価値があるかというと、そんな価値は

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  • 最強の菓子の食べ方 - グローバル引きこもり的ブログ

    以前、テレビを見ていたら体重が百キロほどもある引きこもりの女がでていた。 どんな番組だったかは思い出せない。多分、ダイエット企画かそんな感じの番組だったのだろう。その女がなんで引きこもったのかも、その番組の顛末がどうなったのかも忘れた。しかし、その体重100キロの女の菓子のい方は憶えている。 その女は引きこもってひたすら菓子をべる生活をした結果体重が百キロまで増加したのだということだったが、その女の菓子のい方にはなるほどなあ、と思う工夫?があった。その工夫とはどのようなものかというと、菓子をうときは甘い菓子と塩辛い菓子を交互にうというものだ。甘い菓子にあきたら塩辛い菓子を、塩辛い菓子にあきたら甘い菓子をうようにすれば、いつまでも飽きることなく菓子をべ続ける事ができるというのだ。 この間スーパーに行ったとき、ふとこの話を思い出して、ためしに僕も同じ菓子のい方をしてみようと思っ

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  • 一億円と百万人のフォロワーではどちらが価値があるか? - グローバル引きこもり的ブログ

    お金2.0」というに、SNSの百万人のフォロワーと一億円のどちらが価値があるか?という問題があるらしい。 これはなかなか答える人がどのような人間であるがが問われる質問だと思う。というのは、僕が思うに、世の中には一億円よりも百万人のフォロワーのほうが価値がある人と、百万人のフォロワーよりも一億円のほうが価値がある人がいるからだ。 模範的に答えれば、(特にこれからの世の中では)一億円なんかよりも百万人にフォロワーのほうが価値がある、と言うことになるだろう。 たとえば、なにか世の中ででかいことをやりたいならば、百万人のフォロワーのかわりに目先の一億円を取るなんて全くの論外である。百万人のフォロワーがいるのと一億円もっているのでは、どう考えてもフォロワーが百万人いたほうがでかいことができる。自分のメッセージや行動が小国の人口と同じだけの人数に伝わる。これはすごいことだ。 一億円あったからといっ

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  • はてなからカネ目当てのブロガーがいなくなって思うこと - グローバル引きこもり的ブログ

    最近、はてなでカネ目当てのブロガーをあまり見かけなくなった。いや、いまでもはてなにはカネ目当てのブロガーなんていくらでもいるんだろうけれども、めっきり影が薄くなったと思う。ついこの間までPVがPVが、と大騒ぎしていたのが嘘のようだ。 そういうブロガーの多くはWordpressに移転してしまった。はてなはカスタマイズが云々、はてな民が云々などともっともらしいことをいうが、口実だろう。単にWordpressのほうがカネになりそうだからWordpressに移転しただけで、はてなでブログをやってもうかるならばはてなに留まっているだろう。 はてなのアクセスが落ちているということは至る所で聞く。コンテンツ的に検索に強いブログならば半減、検索をあまり考えていない普通の雑記ブログだとアクセスが十分の一になった、というような話を日常的に見かける。 検索エンジンの検索結果は相変わらずのひどさだから、いったい今

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  • フリック入力と役に立つ勉強 - グローバル引きこもり的ブログ

    去年の年末から、ブログをスマートフォンを使って書いている。 SIMフリーのスマートフォンは2年前から持っていた。しかし、フリック入力が使えないとスマートフォンなど単なるWifiが使えるカメラのようなもので、ほとんど使っていなかった。はじめはQWERTY配列や手書き入力でスマートフォンを使おうと思ったが、当然使い物にならずにそのままになっていたのである。 そもそもにして、僕はスマートフォンを大して重要なものとも思っていなかった。キーボードからの入力に慣れている僕からするとフリック入力を使って文字を入力するなんてものすごい非効率に見えた。スマートフォンは画面も小さいし、こんな面倒なことをするくらいなら家でPCを使うからいいか、と思っていた。 しかし、思うところがあって今は文章は全てフリック入力で入力している。ブログもすべてスマートフォンで書くようになった。というか、スマートフォンを使う時間が増

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  • ブロガーとして生きるということ - グローバル引きこもり的ブログ

    それにしても、ブロガーとして生きるということはたいへんだ。 僕もこのブログをはじめて結構になるが、昔よりかは楽になったとはいえ、今でも大変だ。まず文章を書くのが大変だし、とにかく時間がかかる。文章を書くのは早い人は早いが、僕は文章を書くのが遅いので朝にブログのエントリーを一書くと当に半日が終わった気分になる。というか、だいたいブログのエントリーを一書くと疲れて寝てしまうので、当に半日が終ってしまう。ブログのエントリーというのはあっという間に読み終わるのでブログなんて簡単に書けると思うけれども、実際に自分でやってみるとかなりたいへんだ。 それでジャンジャンとアクセスが見込める一万文字くらいの長文エントリーができあがるかというとそんなことはない。せいぜい1,500文字とかそんな程度だ。しかも、僕のブログで具体的な情報ではなくアイディアとか思考を書いているので検索エンジンからの受けはとて

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  • 自動調理家電によって日本の料理のレベルは向上すると思う - グローバル引きこもり的ブログ

    一部で評判の電気調理鍋だが、これは日い物全体のレベルをかなり向上させる可能性があると思う。 なぜかというと、僕が思うに料理のレベルというのは料理を作る人間の舌のレベルとイコールだと思うのだ。つまり、まずいものをまずいと感じない人は料理が下手で、まずいものをまずいと感じる人は料理がうまくなると思う。 まずいものをまずいと感じる人は、失敗料理を作ってもどこで間違ったのがすぐに分かるし、そもそもまずい料理なんていたくないから料理の腕がある程度の水準を下回ることがない。 ところが、まずいものをまずいと感じない人は、どんなまずい料理を作っても何がまずいのか分からないのだから料理を改善しようがない。だから一生まずい物を作って周りに迷惑をかけることになる。 では、人の味覚がどのようにして決まるのかというと、それは子供の頃になにをったかで決まるとおもう。 子供の頃にまともな味のものをべていれば

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  • 受動的なネットユーザーと能動的なネットユーザー - グローバル引きこもり的ブログ

    最近、CSで英語の放送を見る時間を取るようにしている。ちょっと日語のテレビを見る時間が多くなりすぎた。 僕は英語の勉強を初めてからずっとテレビというとスカイパーフェクトTVでBBCかCNNを見るだけだったのだが、半年ほど前から地上波のテレビ番組を見るようになった。初めは録画したものを見るだけだったが、そのうちテレビのチャンネルを回して面白そうなものも見るようになった。 それで思ったのは、よくネットなどで言われている、ネットでの情報はテレビの情報よりも質が高い、というのはまったくのデマなんじゃないか、ということだ。ネットにあるコンテンツの方がテレビのコンテンツより質が高いとはどうしても思えないのだ。 どう考えてもよくできたテレビ番組を一時間みるほうがだらだらと一時間ネットをするより有意義だと思う。それは当たり前の話で、テレビ番組を一時間作るのにはとんでもないカネがかかるのだ。なんのカネもか

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  • 引きこもりなのに英語の勉強をしないなんて勿体なさすぎる - グローバル引きこもり的ブログ

    はてなブックマークのタイムラインを眺めていると、ときどき引きこもりの話題が上がってくる。ぜんぶ悲惨な感じの話である。 引きこもり関係の状況が悲惨なのは、社会の引きこもりに対する認識と対処法が根的に間違っているからなのだが、引きこもりの話を聞くたびに勿体ないなあ、と思う。引きこもっているならば時間は死ぬほどあるのだから英語でも勉強すればいいと思うのだ。 もちろん、もしひきこもり英語を勉強したとしても、確実に社会復帰ができるということにはならないだろう。ひきこもりというのは勉強するだけで終わってしまう、というのは事実だし、「英語というのは実務能力と組み合わせないと意味がないんだよ。今まで何をしてきたの?」と偉そうに説教されるのが関の山かもしれない。 それでも、僕はひきこもり英語を勉強した方がいいと思っている。なぜかというと、英語の勉強は健康にいいからだ。 英語ができると、精神的に楽である

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  • 新春初売りをしている家電量販店で気になったもの - グローバル引きこもり的ブログ

    新年ということで家電量販店の初売りを見物しに行った。 特に買いたいものがあるわけでもないし、買いたいものがあったところでカネがない。値段を見ても特に驚くような値段になっている商品があるわけでもなかった。 しかし、久々に家電量販店の店内をまじめに見て回ったこともあって、いろいろ勉強になったし、世の中の進歩を改めて感じた。ここで個人的に気になった商品を紹介したいと思う。 有機ELテレビ 初め有機ELテレビが販売されたときは、まあこういう高価なテレビを買う人もいるのだろうなあ、何だかんだでプライベートではテレビの前で過ごす時間が一番長い人が多いんだろうし、とまるで人ごとだったが、技術の進歩は有機ELテレビの世界も例外ではなかった。 ついこの間まで50万ぐらいだとおもっていたら、もう30万。まるで、あっという間に分裂する放射性物質の半減期のようである。パナのTH55EZ950が339,800円、東

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  • エントリーのタイトルでこの一年を振り返る - グローバル引きこもり的ブログ

    今年もいろいろな事があったような気がするけれども、一年と言うと長いようでもあり短いようでもあり、いまいちつかみどころがない。そこで、今年の書いたブログのエントリーのタイトルを一覧にして、今年はどんな年だったかをふりかえってみようと思う。 2017年の抱負 英語が分かると正月が楽にすごせる 金持ちとケチ 収入が増えてもカネを使う力が増えるわけではない 久しぶりにタクシーに乗って感動 ブログのアクセス記録を見てるヒマがあれば記事を書いた方が良かったかな まとまっていない時間の重要性 自然体でないブログは消えやすい 英語教育の諸悪の根源 オバマの退任演説を見た 激安スキーツアーと資主義の困難 一度にいろいろな事に意欲をもちたい ブログをやっていて実感するブログの威力 Twitterはいますぐ有料で過去ログを読めるようにしろ Twitterの過去ログの読み方を教えてもらった! 一日のPVが一日だ

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  • CSは正しい - グローバル引きこもり的ブログ

    プロ野球で2017年度のポストシーズンの話題は、なんといっても広島がCSで敗退したことだろう。 去年、日シリーズで日ハムファイターズ相手に二連勝したあと四連敗した広島だったが、今年は一勝したあと四連敗だったというのから去年よりもなお悪い。 まあ、去年は「大谷君」がメジャーに挑戦する前の有終の美、という意味合いもあって、やっぱりこれだけのスターは有終の美を飾ることになっているのかな、と感心する人も多かったと思うが、今年こそは!と意気込んでいた広島ファンにとってはまさに悲鳴を上げたくなる(Crymax)ポストシーズンだったのではないか。 さて、CSというのは当然リーグ優勝したチームが敗退する可能性もあるわけで、それが実際に起こったのが今年だったが、広島がDeNAに負けたことを受けて、やっぱりCSはおかしい!という意見が聞かれた。 せっかく10ゲーム差をつけて優勝したのに三位のチームが日

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  • 「歴史戦」と英語 - グローバル引きこもり的ブログ

    サンフランシスコでの出来事に影響されたのか、政府はニューヨークやカリフォルニアなどで行われている反日プロパガンダに対抗するために日政府の立場をより強く世界に発信していくという方針であるらしい。 今の保守派が行っている歴史認識に関する議論は正直、稚拙としか言いようがないもので、こんなものなら何もしない方がはるかにマシなのではないかと個人的には思うのだが、それにしても不思議なのは、「歴史戦」の重要性が強調される一方で英語教育のトレンドが相も変わらぬ会話重視だということだ。 英会話を重視するということは、文法を軽視するということである。そして、文法を軽視するということは要するに、英語は通じさえすればいいから文法的に間違いだらけの無茶苦茶な英語を話しても何の問題もない、という立場をとるということを意味する。 しかし、たとえ意味が通じたとしても、正式な英語と無茶苦茶な英語では聞き手が受ける印象は全

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  • 日本人の英語は幼稚だから問題なんだと思う - グローバル引きこもり的ブログ

    人の英語への関心にもかかわらず、日人が英語が苦手というのは言うまでもなく、誰でも知っていることだろう。 教育の話でも、いつも話題になるのはどうやって日人の駄目な英語を改善するかということだ。 まあ、これまで見当違いなことばかりいっていたのに新しくそのような議論をしたところでまともな英語教育に関する意見が出てくるはずもないが、とにかく日人の英語熱だけは相変わらずのようである。 それで、日人が英語教育の話をするのを聞いていて問題だと思うのは、どうも日人は英語が下手だというのは英語を流暢に話せないことだと考えているらしいということだ。 実際に日人が英語教育の話をしているのを聞くと、それはいかに日人が英語を流暢に話せるようにするか、というものばかりである。 しかし、僕が思うに、日人の英語で問題なのは英語が流暢でないことではなく、日人が書いたり話したりする英語が幼稚であることだ

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  • 言論の自由と比べたらヘイトスピーチなんてどうでもいい - グローバル引きこもり的ブログ

    最近「ヘイトスピーチを許すな」などと言って言論の自由を規制しようとする動きが至るところでみられるが、これは社会にとってきわめて危険な傾向である。 なぜ「ヘイトスピーチ」を規制するのが危険なのかというと、大抵の「差別」にはそれなりの理由があることが多いからだ。 左翼は差別がなぜ存在するのかを問うことは絶対にないが、差別というものは何の根拠もないものであることはあまりなく、実際になんらかの危険であったり、被害があったりするのが普通である。 もし左翼がほのめかすように「弱者」が100パーセント善良ならば話は簡単である。しかし残念なことに、真実というものは万人がハッピーになれるようなものであることはほとんどない。基的に、真実というものは不都合なものであると言っていい。 それなのに、もしマイノリティーに不都合な指摘をしただけで「ヘイト」だとか「差別」ということになるならば、何が真実なのか全く分から

  • ベーシックインカムは国民に対する投資と考えるべきだ - グローバル引きこもり的ブログ

    ガーディアンでベーシックインカム関連の記事を読んだ。 今、フィンランドでは2,000人を対象に全く条件なしで、一月に一人あたり500ユーロを銀行口座に入金するというプロジェクトが行われているということで、ガーディアンのライターがフィンランドに取材に行って書いた記事である。 www.theguardian.com 記事は今まで生活保護でくらしてきた男性を取り上げている。記事によるとこの男性はベーシックインカムによる収入が得られるようになってから以前よりも熱心に働くようになったのだという。 実はこの男性が国から受け取るカネは実は以前とは変わらないらしいが(だからベーシックインカムへの支持が広まっているのだが)それなのになぜ以前よりも熱心に働くようになったのかというと(正直男性が何をしているのかこの記事からはよく分からないのだが)とにかく生活保護とは違ってカネの使い道が制限されていないため意欲的