この歳になるまで私は、まさか自分から進んで『万葉集』や『平家物語』などの古典に興味をもつことになるとは思いもしなかった。高校時代に学んだ古文は、私にとって、英語よりももっと訳のわからない苦痛をもたらしたトラウマ的な体験であり、憧れや懐かしさなどを感じたことは一度もないからだ。 しかし、振り返ってみると、私は二〇代の頃まで、哲学書や近現代の小説を読んでもよく理解できないことのほうが多く、だからこそかえって、「訳のわからない暗号文を解読したい」という動機に駆られて読書を重ねてきたのではないかと思う。アグネス・スメドレーが子供の頃から「手さぐりのようにして」、「ほとんど一行もわからない」ような本にまで挑戦したというエピソードは、私にはとても共感できる。 最近私がにわかに古典を読みたいと思うようになったのも、その延長かもしれない。 ただ、その伏線として以前から引っかかっていたことがある。小林秀雄が