ハンス・フランクはひざまずき、傍らの神父に十字を切ってくれるよう願った。そして、微笑みを浮かべながら歩き出した。彼の人生の終着点となる絞首台へ向かって。 1939年からドイツ占領下のポーランド総督府総督としてユダヤ人虐殺を進めたフランクは、ニュルンベルク裁判で「戦争犯罪」と「人道に対する罪」に対する有罪で死刑判決を受けた。今では当たり前の存在にも感じる「人道に対する罪」はこの裁判で初めて導入され、国際法の一部となった。ニュルンベルク裁判は、「現代の国際刑事裁判制度が具現化した瞬間」ともいわれ、戦前と戦後を分かつ価値転換の画期となった。ニュルンベルク以前には、一国の指導者たちを国際裁判にかけることなどありえなかったのだ。 「人道に対する罪」という言葉は、国家による文民に対しての残虐行為に対処するために、国際法教授であるハーシュ・ラウターパクトによって提案されたものである。ラウターパクトは国家