司馬遼太郎『韓(から)のくに紀行』を読んでいて、「あ!」と思ったことがある。 豊臣秀吉の「朝鮮ノ役」=壬辰倭乱(イムジンウェラン)のとき、兵三千人をひきいる日本の武将が朝鮮側に降伏し、朝鮮側の将としてその後、武功をたてたということが、『慕夏堂記(モハダンギ)』(正確には『慕夏堂文集』)という朝鮮の古い漢文に記されており、しかもその子孫たちが今も「降倭(こうわ)の村」に残っているというのである。 私が「あ!」と思ったのは、「沙也可」(サイェガ、サヤカ)というその武将の名に、どこか見覚え(聞き覚え?)があるような気がしたからである。司馬氏は、「沙也可とは日本名を朝鮮漢字に音(おん)だけうつしたものだが、サヤカなどという日本名はちょっとありそうにない」ので、「サエカに似る名なら、たとえばサエモンと考えるとどうだろう」と言っている。「可は筆記する場合に門とよくまちがう」ので、もとは「沙也門」(サイ