女性が政治的主張をしたり学問的業績を上げたりすると男性の「黒幕」を名指してみせる、というのは典型的だが深刻な女性差別の手法。 / “ワールドカップ決勝に乱入したプッシー・ライオットとは? 「黒幕」のインタビューから迫る” https://t.co/NoMp2F927a
西日本を襲った歴史的な豪雨災害。今回、被害が大きくなった大きな要因に「代々の自民党政権による人災がある」と一刀両断にするのは、河川政策の専門家で日本初の流域治水条例をつくった嘉田由紀子・前滋賀県知事。倉敷市真備地区が堤防決壊で水没、死者50人の被害を出した原因についてこう話す。 「水没した真備地区はもともと、ハザードマップ(被害予測地図)で2~5mの浸水が予想された危険区域でした。『これだけ危ないですよ』という具合に、浸水リスクを住民に十分に知らせ、避難を促すワークショップを開催するなど、避難行動を“自分ごと化”することができていなかったのでは。また、行政として最も防がないといけない堤防決壊への対策、堤防補強も不十分だったのではないでしょうか」 ハザードマップが物語る浸水リスクを受け止めて対策を打たないといけなかったのだが、それが不十分であったというわけだ。諸悪の根源は、「ダム建設を最優先
ラジオ放送で流れた〝嘘〟 どうして、こうもぬけぬけと嘘がいえるのでしょう。 「オウム事件真相究明の会」の呼び掛け人のひとり(と、いうより中心人物だと思われます)の森達也という人が、やはり同会の賛同人のひとりである津田大介(肩書きは「ジャーナリスト」になっています)のラジオ番組に出演して、同会の発足の狙いなどを語ったそうです。 今週の月曜日のことでした。 J-WAVE の「JAM THE WORLD」という番組です。 http://www.j-wave.co.jp/special/program/2nd/weekday01.html#jam その録音を知人から提供してもらって、聞いてみました。 本当にびっくりしました! 津田大介が「麻原裁判が一審で終わったのは、弁護側の法廷戦術が原因でないのか」「弁護人が裁判所から控訴趣意書を求められたのに締め切りまでに出さなかったため一審で終了せざるを得な
押し入れの整理をしていたら、気になっていた本が見つかって、それに関連した話を書こうということなのだが、自分で言うのもオカシイと思うが、今回はニギヤカシの気の抜けた記事である。 以下は、小林よしのり氏の長年の盟友とも言える、文化人の呉智英氏が「慰安婦」問題に関連して書いた文章からの抜粋。 慰安婦は基本的に娼婦である。本質において、現在のいわゆるフーゾク嬢などと変わらない。交戦国、敵国であった支那(「支那」は世界共通語であって差別語ではない。日本人に限って「支那」を禁ずることこそが差別である)やオランダ他の女性は別として、選挙権・被選挙権も順次認められていった同じ大日本帝国臣民たる朝鮮人の女性を性奴隷として強制連行するなどということは考えにくい。事実、そのような証拠は何一つない。 とはいうものの、現代とは圧倒的にちがう貧困と不十分な教育、そして同一国内における格差(内地と朝鮮地域)の上に、甘言
いちさか・たろう氏=1966年、兵庫県芦屋市生まれ。大正大文学部史学科卒。現在、萩博物館特別学芸員、至誠館大特任教授、防府天満宮歴史館顧問。著書に『明治維新とは何だったのか』『フカサクを観よ』『語り継がれた西郷どん』など。テレビ出演、講演も多い。 東京の靖国神社は、戊辰戦争の戦没者の霊を祀るために創建された。その源流のひとつが楠木正成を祀る「楠公祭」にあると、私は考えている。 正成は河内国赤坂の武将で、後醍醐天皇のもとに馳せ参じ、鎌倉幕府打倒、建武の新政(中興)に功を立てた。しかし建武3(1336)年、叛旗を翻した足利尊氏と摂津国湊川で戦って敗れ、「七生滅賊」を誓い自決する。7回生まれ変わってでも、賊を滅ぼすという凄まじい決意だ。 軍記物語『太平記』では正成を「弓矢を取って名を得たるもの」として、その名将ぶりを絶賛する。だが、足利や徳川といった武家政権にとって正成は、不都合な存在でもあった
讃岐力 差別を越えて<1> 事件があった利根川の渡し場付近に立つ市川正廣=千葉県野田市 石井雍大 喜岡淳 「現在もなお部落差別が存在する」。ネットによる差別の深刻化を背景に、こう明記した部落差別解消推進法が施行され、1年が過ぎました。県内でもなお、被差別部落を忌避する言動にふれることがあります。讃岐力の第10弾は「差別を越えて」。部落問題に向き合ってきた人たちの姿を伝えます。 ◆ ◆ 1923年9月1日に起きた関東大震災。朝鮮人による放火や略奪を伝えるデマが乱れ飛び、恐怖にかられた自警団らが多くの虐殺事件を引き起こした。中央防災会議の報告書は、震災の死者10万5千人のうち、1〜数%を殺害によるものと推計する。 犠牲者には日本人も含まれていた。5日後の6日、千葉県北部の福田村(現野田市)で、薬売りの一行15人のうち、幼児や妊婦を含む9人が殺され、遺体は利根川に投げ込まれた。香川県三豊郡(
日本において、セクハラはいつ頃から認識され、社会のなかでどう捉えられてきたのだろうか。女性の生き方についての著作が多いエッセイストの酒井順子さんが、100年分の雑誌をもとに読み解く。(取材・文:篠藤ゆり/撮影:木村直軌/Yahoo!ニュース 特集編集部) 日本で初めてのセクハラ訴訟が起こされたのは、1989年である。福岡市内の出版社に勤務していた31歳の女性社員が退職後、上司だった37歳の男性編集長と元勤務先の会社を相手に起こした民事裁判だ。裁判は注目を集め、「セクシャル・ハラスメント」が同年の新語・流行語大賞で新語部門・金賞に選ばれる。1992年、原告女性が勝訴し、編集長と会社は165万円の支払いを命じられた。 「流行語になったことで、『それ、セクハラですよ』と言える空気が生まれたのだと思います。とはいえまだ、『昔はみんなやっていた』『大したことじゃない』という感覚の人が多く、真剣には捉
野党が共同で災害支援を優先しましょうと提案したにもかかわらず、拒否して不要不急のカジノ法案やら議員定数6増法案審議を優先したのは自民党はじめ与党なんですが、何を寝惚けたことを言ってんですかねこの御仁は。 https://t.co/JNiKRY7LtO
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