4月16日には「市民大学講座」のことを少し調べました。市民大学という名の会は昔も今もあちこちにあり、だれもが自由に出席できる教養講座のような形をとるのが普通ですが、かつて岡先生は「市民大学講座」というものを提唱して熱心に講義を行ったことがあります。はじまりはいつころなのか、また、いかなる出来事をもって始まりとみなすのが適切なのかというところに問題があるのですが、事実関係を追っていくと、昭和43年の夏、「心情圏」という月刊誌の9月号に市民大学講座の「開講案内」が掲載されるとともに、学生が募集されました。そこには岡先生の「提唱の言葉」も出ていて、「顧問」という肩書きがつけられています。「心情圏」というのは原理研究会の機関誌です。 昭和43年というと戦後の日本の学生運動が最後の盛り上がりを見せた時期で、大学封鎖が行われたり、学生のデモ隊と機動隊が衝突したり、連日めちゃくちゃな出来事が続いていまし