Webライターの木下です。 岐阜大学地域科学部教授の竹内章郎さんの専門は、社会哲学・生命倫理・障害者論です。『「弱者」の哲学』『いのちの平等論』などの著作があり、現代社会の差別や排除の構造について哲学的な考察を行っています。今回の事件によってにわかに取り上げられることが多くなった「優生思想」について、専門家としての見解をおうかがいしました。竹内さんは、ダウン症の娘さんの父親であり、岐阜県内で共同作業所やグループホームを運営する社会福祉法人「いぶき福祉会」の設立にもかかわってこられました。 木下:今回の事件をどんな形で知って、何を感じられましたか。 竹内:事件は、早朝のテレビニュースで見ました。最初は2001年に大阪教育大学附属池田小学校で起きたような突発的な事件かなと思いましたが、衆議院議長宛の手紙に関する報道を見て、社会の底流にある優生思想を表面化させる、「いまの時代に起こるべくして、起
「軍民分離」の原則 「台湾有事」が喧伝されるなかで、南西諸島の軍事強化が急激に進みつつある。11月中旬には、沖縄本島から与那国島までを実戦場とする初の日米共同統合演習「キーン・ソード23」が展開されたが、こうした演習は明らかに南西諸島全域が戦場となることを想定したものである。 沖縄をめぐる深刻な情勢展開を踏まえつつ、筆者は本年2月1日付けの『琉球新報』に小文「崩壊した「普天間問題」の構図」を掲載した。そこで強調したことは、普天間の危険性とは何か、という問題である。つまり普天間問題とは、米軍の低空飛行や機体の墜落などの危険性を除去するために辺野古に新たな基地を建設しそこに普天間を移すという工事をめぐる問題であり、こうした危険性がなお深刻であることは間違いがない。しかし、直面するより大きな危険性とは、普天間が攻撃目標に設定されミサイル攻撃を受けるという危険性に他ならない。とすれば、切迫するこの
“荒唐無稽”の背景 岸田政権の敵基地攻撃方針に“お墨付き”を与えるための「有識者会議」が11月下旬に報告書を提出したが、肝心の敵基地攻撃論については「反撃能力の保有と増強が抑止力の維持・向上のために不可欠だ」とわずか1行書かれているだけで、なぜ「不可欠」なのかという論証は皆無である。戦後の防衛政策を大きく転換させ巨額の税金を投じる以上は、国民の理解を得るためにも丁寧で説得的な説明がそれこそ「不可欠」のはずにもかかわらず、余りにも杜撰と言う以外にない。あるいは論証不能ということであろうか。 この報告書で興味深いのは、米国による拡大抑止の信頼性の向上に加え、日米間の「共同対処能力」の強化が謳われていることである。つまり、敵基地攻撃論は日米「共同対処」の枠組みにおいて構想されているのである。この前提にあるのは、バイデン政権のように関係諸国との同盟関係を固め中国包囲網の構築に余念がない政権が米国に
ウクライナ戦争と国連「軍縮アジェンダ」 ウクライナ戦争を奇貨として日本政府は、戦後の防衛政策の大転換となる「敵基地攻撃能力」の保持に踏みだし、今後5年間で防衛費に43兆円もの巨費を投入するという防衛力整備計画を打ち上げた。しかし、こうした大軍拡の方針は、ウクライナ戦争から誤った結論を導き出したと言わざるを得ない。この戦争の歴史的な背景については無数の論争が交わされているが、概ね二つの見方に分けることができるであろう。一つは、ロシア帝国の再現を夢想するプーチンの野望の現れとする見方であり、二つは、侵略を批判しながらも米国主導の「NATOの東方拡大」がプーチンを追い込んだとする見方である。おそらく現実は、これら二つの要素が複雑に交錯して戦争が展開されているのであろう。 ただ、こうしたロシアやウクライナ問題の専門的な見地を離れて捉え直してみるならば、問題の本質を鋭く抉りだすのが、「無秩序で際限な
中国の辺境の地・華南への移民流入は、福建では4世紀から6世紀、広東では10世紀から13世紀にかけてはじまった。 そして、そこに生きる漢人たちの中で、言語、習慣の異なるいくつかのグループが生まれた。 しかし、華南の地域名から生まれたグループが多いなか、客家だけはそれらとは異なっていた。 果たして客家とは、何者なのか? 『越境の中国史 南からみた衝突と融合の三〇〇年』は、移民たちの壮絶な歴史と、彼らが築いた社会の姿を教えてくれる。移民者たちの〈フロンティア・スピリット〉を知れば、もうひとつの中国の姿が見えてくる! (※本稿は、菊池秀明『越境の中国史』一部再編集の上、紹介しています) 由緒正しい漢人の末裔!? 客家をめぐるさまざまな言説 客家は客家語を話す漢人のサブグループで、彼らの話す客家語も古代漢語の影響を残していると言われる。 客家語では自分のことを「ンガイ(我)」と呼ぶため、ベトナムでは
最近、英語圏において物理化学系の学術誌に発表されたあるエッセイを起点として、こんな専門誌を舞台に意外な、と思うほどの盛り上がりを見せた論争が起きた。それは、「キャンセルカルチャー」を巡るものなのだが、日本語圏ではこの論争についてほとんど紹介されていないようなので、今回の記事で簡単に紹介してみたい。 アンナ・クリロフ (Anna I. Krylov) が2021 年にアメリカ化学会が発行する物理化学の学術誌 The Journal of Physical Chemistry Letters に発表したエッセイ「科学を政治化することの危険 The Peril of Politicizing Science」*1は、左派的なイデオロギーが今日の科学界において検閲として働いていると指摘し、大きな評判を呼んだ。これに対して、同年フィリップ・ボール(Philip Ball)は、同誌において「科学はそも
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