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  • 「上野千鶴子の「慰安婦」論——日本フェミニストによる相対主義の暴力」を受けての議論

    2015年11月30日に当会が開催した読書会では、李杏理氏(近現代史)による報告「上野千鶴子の「慰安婦」論——日フェミニストによる相対主義の暴力」に続いて参加者による意見交換が行われた。主な議論を紹介する(以下、敬称略)。 1. 韓国のナショナリズム・運動批判について 韓国でも上野千鶴子が朴裕河受け入れの土壌を作った? 李杏理が上野千鶴子による「慰安婦」論の特徴と朴裕河『帝国の慰安婦』に共通する点を挙げたのを受けて両者の関係に関する議論が行われた。韓国では、上野千鶴子の『ナショナリズムとジェンダー』が、日で新版が出た2012年からそう間をおかない2014年に韓国語にも訳され、刊行されている。上野の著作にはナショナリズム批判が入っているから韓国でも日でもフェミニストに受け入れられる要素があり、それがある種、朴裕河をも受け入れる土壌になっているのではないか、という問題提起がなされた。ナシ

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    haruhiwai18 2016/01/07
    "上野は…国際的なフェミニズム運動の連帯の歴史を捨象したまま 「フェミニズムはナショナリズムを超えられるか」という議論を韓国だけを議題にして行い"  →某すき家は福祉と組む程度には 人を見る目のない人(konami
  • 日本フェミニストによる相対主義の暴力

    2015年11月30日、当会では上野千鶴子氏による「慰安婦」論について李杏理が報告した(「日フェミニストによる相対主義の暴力」)。 「朴裕河氏の起訴に対する抗議声明」(2015年11月26日)には、上野千鶴子、加納実紀代、加藤千香子、千田有紀、竹内栄美子ら(敬称略;以下同様)フェミニストも賛同人に名を連ねている。 この声明で言及されている朴裕河『帝国の慰安婦』の問題点は、すでに当会で議論してきた。 とくに上野千鶴子は、以前から朴裕河『和解のために』(平凡社、2006年)あとがきや新聞での評論を通じて朴裕河の議論を積極的に評価してきた。 なぜ、日フェミニストが朴裕河を擁護するのか。フェミニストによる相対主義・脱ナショナリズムにもとづく「慰安婦」論の陥穽を論じたい。 上野千鶴子による「慰安婦」論の特徴は次の3点に要約できる。それは、朴裕河『帝国の慰安婦』に共通する特徴である。 ①「慰安婦

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    haruhiwai18 2015/12/15
    "金富子が指摘しているように朝鮮人「慰安婦」に未成年や「処女」が多かったのは事実であり…「少女」の被害者像は事実を反映してい" →検証が杜撰な本を褒めちゃって、愈々引っ込みがつかなくなった人の例(こなみ
  • 『帝国の慰安婦』における日本免罪論について

    『帝国の慰安婦』を特徴づけているのは「日に対し『法的責任』を問いたくても、その根拠となる『法』自体が存在しない」(319ページ)という認識である。この認識は書の各所で繰り返されている。「〔慰安婦の〕需要を生み出した日という国家の行為は、批判はできても『法的責任』を問うのは難しい」(46ページ)、「強姦や暴行とは異なるシステムだった『慰安』を犯罪視するのは、少なくとも法的には不可能である」(172ページ)、「日国家に責任があるとすれば、〔人身売買を〕公的には禁止しながら実質的には(個別に解放したケースがあっても)黙認した(といっても、すべて人身売買であるわけではないので、その責任も人身売買された者に関してのことに限られるだろうし、軍上層部がそうしたケースもあることを認知していたかどうかの確認も必要だろう)ことにある」(180ページ)、「『慰安』というシステムが、根的には女性の人権に

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    haruhiwai18 2015/04/23
    "「法的責任」を考えるにあたって刑法(〈犯罪〉)しか考慮に入れていない""刑法の中でも略取誘拐の罪や強姦罪などしか考慮に入れていない""民法 715 条 2 項により不法行為責任" →あの本、死角だらけやなw
  • 秦郁彦『慰安婦と戦場の性』読書会報告

    2015年3月31日に当会が開催した、秦郁彦『慰安婦と戦場の性』についての読書会では、宋連玉氏(朝鮮近現代史, ジェンダー史研究)による報告に続いて参加者による意見交換が行われた。主な意見や議論を主題別に紹介する(以下、敬称略)。 1. 日の「慰安婦」制度と「国家」の関わり 安倍首相が3月27日の『ワシントン・ポスト』紙で、「慰安婦」制度について「人身売買」という表現を使った直後でもあり、また前回の読書会で扱った朴裕河『帝国の慰安婦』でもテーマになった「業者」の問題が書でも課題となることから、この日の議論でも、日の「慰安婦」制度における軍及び業者との関係、および「慰安婦」制度と公娼制との関係についての議論が行われた。 書での著者の主張は、「慰安婦」制度というのは、国家が許可し、業者がやっている、そして国家がやっていることは常に正しい、というものである。だが、そもそも公娼制度も、警察

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    haruhiwai18 2015/04/18
    "左派がひどい話ばかり言ってきたのではないかと、朴の本を待望するリベラルの右振れが起きているということであり、それ自体、深刻な問題だというコメントも" →人は大体易い方に流れる、という案件(こなみ
  • 『帝国の慰安婦』における「性奴隷」概念について

    稿では『帝国の慰安婦』における「性奴隷」概念をめぐる議論の多岐にわたる問題点をとりあげることにする。いうまでもなく、日軍「慰安所」制度が「性奴隷制」であったという被害者支援団体、研究者、および国際社会の評価こそ日の右派がもっとも否認しようとしているものの一つであり、この点に関する『帝国の慰安婦』の議論を検討することは同書が日の言論空間でもつ意味を問うことにもつながる。 1. 「性奴隷」概念の誤解・曲解 まず驚かされるのは、日軍「慰安所」制度を論じるうえで重要な意味をもつことになる「奴隷」の定義(「自由と権利を奪われ他人の所有の客体となる者」)をなんと韓国語版ウィキペディアから引用していることである(143ページ)。大学生がレポート課題においてウィキペディアに依拠することすら多くの大学教員によって問題視されているというのに、研究者が執筆し、「クォリティ・ペーパー」と目される新聞社の

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    haruhiwai18 2015/04/10
    "まず驚かされるのは、日本軍「慰安所」制度を論じるうえで重要な意味をもつことになる「奴隷」の定義…をなんと韓国語版ウィキペディアから引用していることである" →最初からクライマックス!w
  • 書評:秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(宋連玉)

    書評 秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮選書、1999) 宋 連玉 Song,Younok はじめに 『慰安婦と戦場の性』は、著者の秦郁彦氏によると「第二次大戦期のアジアばかりでなく、古代から現代に至るタテ軸と洋の東西にわたるヨコ軸を交差させての「慰安婦百科全書」をめざした」ものらしいが、慰安婦問題が日韓の政治・外交の懸案事項となっているおかげも被って16年たった今でも版を重ねている。 帯文や表紙、あとがきといった目につきやすいところに踊るのは、この問題に関心を寄せる人々のイメージを操るような派手なキャッチコピーである。1999年版の表紙カバーには「慰安婦問題は嫌煙権論争に似ている。知的アプローチよりも情緒論、政治的思惑が先行して過熱気味の論争は今も続く」とあり、あとがきには、慰安婦問題が「突如として内外の耳目を衝動する大トピックに浮上した理由」として「この疑問に答える材料を私は持ち合わせて

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    haruhiwai18 2015/04/10
    "統計が見当たらないのに、民族比率や帰還率をどうやって弾き出した""証言に対する秦氏のバイアスが顕著に表れるのは「慰安婦」と対極にある憲兵のそれ…" →今後増補版が出て、もっと酷くなる予定(マテヤコラ
  • 「慰安所」の設置目的に関する『帝国の慰安婦』の主張について

    アジア・太平洋戦争において日軍が「慰安所」を設置した理由については、(1)多発していた占領地での強姦を防止して占領統治を円滑に進めるため、(2)戦力低下の原因となる性病の蔓延を防止するため、(3)将兵が占領地の売春施設を利用することで軍事機密が漏洩することを防ぐため、(4)兵士の不満をガス抜きし士気を維持するため、が通説となっている。一定の史料的根拠があるうえに軍人の発想についての説明として無理のないもので、日軍「慰安婦」問題否認派からもまず異議が唱えられることはない。特に(1)などは「慰安所」制度の正当化のために引き合いに出されるくらいである。 しかし『帝国の慰安婦』はこの通説に挑戦している。「性病防止などが慰安所を作った第一の理由に考えられているが、それはむしろ付随的な理由と考えられる」(31ページ)とか、「おそらく、軍慰安所の第一の目的、あるいは意識されずとも機能してしまった部分

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    haruhiwai18 2015/04/03
    "相対化の作業はやはり実証的に行われねばならないはず""根拠もなく通説を否定して 軍が若い女性を動員する動機を持っていたことを隠蔽することは到底許容できる方法ではない" →例の人の本業の出来が、私、気にな(ry
  • 朴裕河『帝国の慰安婦』読書会報告(2)

    (承前) 3. 韓国版との異同 一部の参加者からは韓国語版との異同についても指摘があった。例えば韓国語版では「挺身隊」に関する記述を行う際に日語版ウィキペディアに依拠していること、韓国版では日の支援者について否定的な記述がなされているが、日語版では変えられていることなどである。さらに、日語版では弁明的とも思える加筆が多数あり、それが先に述べたような論旨のつかみにくさに拍車をかけている、という指摘もあった。 4. 「慰安婦」問題の解決に関する著者の主張について 書は「日韓併合=合法」、「日韓条約で解決済み」という前提に立っているが、もしそういう前提に立つなら国民基金がなぜ必要だったか、さらなる「解決」がなぜいま必要なのかが、理解できなくなってしまうのではないか、との指摘もあった。書を読んだ日人がさらなる「謝罪」の必要性を感じるか、疑問である、とも。 また「慰安婦」問題を日韓の文

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    haruhiwai18 2015/03/23
    "特徴として、「業者」の責任を強調していることがある。しかし著者は韓国の「親日派」の責任追及には批判的だったのであり、主張が首尾一貫していないのではないか" →「問題点の総合商社」レベル!w
  • 『帝国の慰安婦』における証言者の“水増し”について

    『帝国の慰安婦』の特徴の一つは、1973年に刊行された千田夏光氏の『“声なき女”八万人の告発−−従軍慰安婦』(双葉社。講談社文庫のタイトルは『従軍慰安婦』。以下それぞれ双葉版、文庫版と表記)を高く評価し、また大きく依拠している点にある。例えば朴裕河氏は「そしてこのような千田の視点は、その後に出たどの研究よりも、『慰安婦』の質を正確に突いたものだった」(25ページ)とし、「千田のが朝鮮人慰安婦の悲劇に対して贖罪意識を持ちながらも、それなりに慰安婦の全体像を描けたのは、彼がそのような時代的な拘束から自由だったからだろう」(26ページ)としている。「そのような時代的な拘束」とは、彼女によれば、「慰安婦」問題の発生以降「慰安婦」についての発言が「発話者自身が拠って立つ現実政治の姿勢表明になったこと」を指す。このことを踏まえて、次の一節をお読みいただきたい。 千田のには一九七〇年代初め、今から

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    haruhiwai18 2015/03/22
    "数少ない証言も『帝国の慰安婦』のテーゼをむしろ反駁するような内容""『帝国の慰安婦』…信じて同書を読んだ読者はその信頼を裏切られていると言わざるを得ない" →実証系の文学研究者にも失礼なレベル。
  • 朴裕河『帝国の慰安婦』読書会報告(1)

    15年2月17日に当会が開催した、朴裕河『帝国の慰安婦』についての読書会では、金富子氏(植民地朝鮮ジェンダー研究)による報告に続いて参加者による意見交換が行なわれた。主な意見を主題ごとに再構成し、2回に分けて紹介する。また、当日は『帝国の慰安婦』の内容以外に同書が受容される日の文脈(金富子氏の報告でも問題にされている)についても参加者の関心が集まった。この点については過去の記事「日軍「慰安婦」問題の現在と『帝国の慰安婦』」をご参照いただきたい。 1. 方法論上の問題と先行研究の軽視 著者の朴裕河氏は『帝国の慰安婦』において「『朝鮮人慰安婦として声をあげた女性たちの声にひたすら耳を澄ませること」を目指したとしており、自分が紹介する「声」が支援運動によって隠蔽されてきたとしている。日において『帝国の慰安婦』が好意的に受けいれられている理由の一つもそのような「声」が新鮮なものと思われたから

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    haruhiwai18 2015/03/21
    "名乗り出た韓国人「慰安婦」の証言の多くを支援団体が編纂した証言集に依拠していながら、支援団体がそうした「声」を隠蔽したとするのはフェアではないのではないか?" →この本、珍プレーの連続やなw
  • ソウル地裁『帝国の慰安婦』書籍の出版等禁止及び接近禁止の仮処分決定

    ソウル東部地方裁判所が2月17日、『帝国の慰安婦』が被害者の名誉を毀損しているとして出版停止を求めた裁判において、「著書内容のうち34カ所を削除しなければ出版、販売、配布、広告などをできない」と一部訴えを認めた仮処分決定文が、「東アジアの永遠平和のために」とのブログサイトにて、原告の申請目録などを除いた、ほぼ全文が掲載されております。 朴裕河氏の支持者たちは「禁書処分」、「言論弾圧」などと主張しておりますが、仮処分決定文を読むと、原告が削除を要求していた53箇所のうち、被害者の名誉毀損に関わる34箇所のみに限定されています。また「慰安婦」被害者への接近禁止の請求を却下するなど、原告の主張の一部しか認めていません。決定については原告側、被告側それぞれに主張があるでしょうが、決して「表現の自由」をむやみに制限した決定ではありません。 決定文では、「慰安婦」に関する研究の蓄積を無視した同書内の記

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    haruhiwai18 2015/03/04
    "被害者である「原告の名誉を毀損したとしても」優先される「日本軍慰安婦問題の解決策」…との主張""朴裕河氏が目指す「解決策」には、被害者の名誉回復が含まれていないのか" →原告を"生贄"にしようとする被告。
  • 金富子氏報告「朴裕河『帝国の慰安婦』への疑問」

    15年2月17日に当会が開催した、朴裕河『帝国の慰安婦』についての読書会は、金富子氏(植民地朝鮮ジェンダー研究)による報告(「朴裕河『帝国の慰安婦』への疑問」)から始まった。 同氏の報告は、朴裕河氏が、朝鮮人「慰安婦」は「帝国の慰安婦」であり、朝鮮人「慰安婦」を日人「慰安婦」に限りなく近い存在として描いていることに疑問を呈した。朴氏は、植民地期朝鮮や朝鮮人「慰安婦」への事実関係に関する研究の蓄積をふまえずに、多くの事実誤認をしていることを指摘した。以下はその例である。 一点目は、朴氏の記述には、植民地朝鮮での「挺身隊」に関する歴史的事実への混同や誤解があるにもかかわらず、「挺身隊と慰安婦の混同」を「植民地の<嘘>」等と決めつけたことである。二点目は、被害女性の証言等を恣意的に選別することで朝鮮人「慰安婦」の大部分が「少女」であった事実を否定し、さらに「性奴隷」を記憶の問題にすり替えること

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    haruhiwai18 2015/02/25
    "最大の問題は、日本軍より朝鮮人業者の責任が重いとしたことであり、「慰安婦」制度を立案・管理・統制した日本軍の責任を軽視・解除しようとしたことだ、とした" →文学(俗情)との結託!w
  • 日本軍「慰安婦」問題の現在と『帝国の慰安婦』

    まるでデジャ・ビュを見ているように、かつてと同じ事態が繰り返されている。右派が声高に「慰安所」制度に対する日軍・日政府の責任を否認し被害者への二次加害を繰り広げている最中に、一般には「右派」とは認識されていないメディア、言論人が一冊のを激賞している。 「朴がやろうとしたのは、慰安婦たちひとりひとりの、様々な、異なった声に耳をかたむけることだった。そこで、朴が聞きとった物語は、わたしたちがいままで聞いたことがないものだったのだ。」 (高橋源一郎、『朝日新聞』、14年11月27日) 「このは、「慰安婦」を論じたあらゆるものの中で、もっとも優れた、かつ、もっとも深刻な内容のものです。これから、「慰安婦」について書こうとするなら、朴さんのこのを無視することは不可能でしょう。そして、ぼくの知る限り、このだけが、絶望的に見える日韓の和解の可能性を示唆しています。」 (高橋源一郎、Twitt

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    haruhiwai18 2015/02/19
    "浮かび上がってくるのは、アジア女性基金を肯定的に再評価させる路線であり、そのためにアジア女性基金を批判してきた支援者たちをスケープゴートにすることが目論まれているのでは" →中立()狙いのご商売!w
  • 熊谷奈緒子『慰安婦問題』についての補足:「冷静な議論」とは?

    書の帯には「冷静な議論のためにいま何が必要か?」という、またカバー見返しにも「冷静な議論のための視点を提供する」との謳い文句が記されている。この文言そのものは著者に帰責できるものではないだろうが、書がどのような文脈で受容されることを目指して企画されたのかをうかがうことはできる。すなわち、「慰安婦」問題を巡っては冷静でない議論が行われているという認識を前提とした文脈、である。すべてのアクターが「冷静」に議論しているという認識のもとでは「冷静な議論のために……」は謳い文句たり得ないからである。では、「冷静でない」議論をしているのは誰なのだろうか? これについては、著者自身が(少なくともそうしたアクターの一部を)明らかにしている。2014年12月30日の『朝日新聞』でのインタビューにおいて熊谷氏は「法的補償を求める韓国や日の一部団体は『道義』という言葉を「責任逃れ」と拒否するかもしれないが

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    haruhiwai18 2015/02/13
    "「解決済み」という立場をとるにしても、新たな立法措置による被害者への補償は「義務付けられてない」だけであって禁じられているわけではない""「法の支配」" →"熊谷『慰安婦問題』自体が問題だらけだぜ"案件。
  • 熊谷奈緒子『慰安婦問題』についての補足:先行研究の扱い方における不備について

    新書という媒体で出版された書は日軍「慰安婦」問題について詳しい知識を持たない、一般の読者を主な読者層として想定していると考えられるが、ならばこそ河野談話(1993年)発表以降の研究成果については幅広く目配りをして、読者に日軍「慰安所」制度についてのより正確な歴史記述を提供することが期待される。『朝日新聞』が「慰安婦」問題報道の一部を撤回したことなどをきっかけに新たにこの問題に関心を持った読者が、2014年に刊行された書で最新の知見が紹介されていることを期待するのは当然であろう。しかしながら、極めて重要な先行研究のいくつかが書では完全に無視されてしまっている。 その代表的なケースとして、永井和・京都大学教授の業績が無視されていることに由来する問題点を指摘しておきたい[i]。 日軍「慰安所」制度とドイツ軍の軍管理売春制度とを比較した箇所で、同書は秦郁彦の「日軍の慰安所関与は、輸送

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    haruhiwai18 2015/02/01
    "永井和・京都大学教授の業績が無視されていることに由来する問題点""永井説に従えば…「善意の関与」論については成立の余地がなくなるものと考えるべき" →おお、これじゃあ、卒論以下じゃねーか(こなみ
  • 熊谷奈緒子『慰安婦問題』についての補足:オーラルヒストリーとフェミニズムに関連して

    著者は、調査や研究の方法論を議論する際には、「現存する公文書のみが慰安婦制度の全体像を描けるとは考えることができない」(153)とし、それゆえに、「元慰安婦の証言」を重視する必要性を説く。さらに、公式に残された文書は、歴史学において「公文書の書き手ではなかった女性や人種、民族的に抑圧されていた人々の声によって問い直されている」とオーラルヒストリーの重要性を指摘する(153)[i]。確かに、「慰安婦」問題については、文献から歴史を調べて行こうとしても、敗戦時、文書資料が焼却されたりしてほとんど文書が残っていないことが多いことや、元「慰安婦」にされた人たちの声は公文書には載っていないために、「慰安婦」をはじめ関係者の語りが非常に重要であるという主張は、まったく正しい。 240頁ある書の大半は、「慰安婦」をめぐって、今何が起きているか、という「慰安婦問題」を扱っている。オーラルヒストリーという

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    haruhiwai18 2015/01/30
    "著者が本書で誰の発言を引用し、文献として参照しているかをみれば、「一次史料に当たらず、当事者や支援団体の声を尊重しない」という「特定の立場」に依拠しているよう" →全文、皮肉で溢れているw
  • 熊谷奈緒子『慰安婦問題』 読書会まとめ

    2014年11月10日に、研究者、ジャーナリスト、元「慰安婦」の方々の支援に関わってきた人たちらが集まり、熊谷奈緒子『慰安婦問題』(ちくま新書 2014)の読書会を行った。このは2014年6月に出版された。新書なので手にとりやすく、 また、朝日新聞の「検証」記事が8月に出たため、結果として絶妙のタイミングで出版されたこともあり、書店では平積みされており、影響力がありそうなことから第一回読書会のテーマとして書を選択した。 著者の熊谷は、「慰安婦問題を、主観的かつ表層的、一面的に捉えることなく、客観的かつ多面的に理解することの必要性を訴えたい」(22)と述べ、自らの立場は客観的であると主張している。また、このの帯には「特定の立場によらない、真の和解を目指してー冷静な議論のためにいま何が必要か?」とも書かれている。読書会参加者からも、この問題についてよく知らない人が読んだら、「中立的でよく

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    haruhiwai18 2015/01/30
    "日本政府は「法の支配を貫く」…とされ、冷静な日本と、そうではない韓国、という図式""すでにある証言さえも本書でほとんど参照していない""ここでの著者の主張は、まさに右派の論調" →すげえ、やっつけ仕事だ!w
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