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  • 戦時医学の実態-旧満洲医科大学の研究- - 磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

    『戦時医学の実態-旧満洲医科大学の研究-』 末永恵子・講演/ 軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会・編/ 樹花舎2005年 ここでも、ずいぶんひどいことが行われたようです。 731部隊とも関わります……。 書について。下「」引用。 「書は二○○五年七月二三日、軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会が主催した人骨発見一六周年集会「戦時医学の実態--旧満州医科大学の研究」における末永恵子さんの講演に加筆・訂正を施したものです。」 医学犯罪の歴史を医学生に教える……。下「」引用。 「わたしは現在福島県立医科大学という医科大学でいわゆる一般教養科目の歴史と生命倫理を担当しています。私の研究の出発点は江戸時代の思想史でしたけれど、授業では歴史なら時代やテーマは何をやってもいいので、医学生にぜひ知ってほしいことを取り上げたいと思い、十五年戦争期の医学の問題を講義するようになりました。

    戦時医学の実態-旧満洲医科大学の研究- - 磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]
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    haruhiwai18 2020/09/28
    "生体実験をした愛新覚羅憲均という清朝の王家の出身""満州国軍衛生部の最高位につきました。戦後戦犯としての供述書には、自身の部下に抗日軍の患者を使って生体実験をすることを命じ…" →生体実験の例
  • 天皇の軍隊と南京事件-もうひとつの日中戦争史- - 磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

    『天皇の軍隊と南京事件-もうひとつの日中戦争史-』 吉田裕・著/青木書店1986年 帯に書かれてあります。下「」引用。 「日軍はなぜ、あの想像を絶する戦争犯罪=南京大虐殺事件をおこしたのか? 戦争記録・戦史、外交・裁判資料、戦記・日記・回想なと膨大な資史料を渉猟して、上海攻略・追激戦・南京占領戦の実態を精細に辿り、〈皇軍〉の戦争観、軍指令官の無策や教唆を介して、兵士の敵愾心が、中国軍民に対する残虐行為へと暴走する過程を描く注目の戦争史研究!」 旧軍人グループ(旧陸軍将校の親睦組織・偕行社)の動向。雑誌『偕行』1984年~1985年。下「」引用。 「ただ、この連載で興味深いことは、連載の過程で編集者の意図に反して、捕虜などの虐殺を裏づける証言や記録がかなり出てきたことである。このため、連載終了後の『偕行』一九八五年三月号は、編集部名で「証言による南京戦史〈その総括的考察〉」を、いささか唐突

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    haruhiwai18 2020/03/13
    "そもそも、戦闘詳報という軍の公的な文書報告のなかに捕虜の射殺が公然と記載されていること自体、その行為に何の罪の意識も感じていないことを端的に物語るものといわなければならないだろう。" →ここ重要。
  • 広島巡礼 亀沢深雪 - 磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

    『広島巡礼』 亀沢深雪・作/新地書房1984年 被爆体験をお持ちの亀沢深雪さんの小説です。 『広島巡礼』『流灯』『長崎望郷』『遠い道』 が収録されています。 ぼくも母からきいたことがあるのですが、 このにも書かれていました。 『小説を読むヤツは不良』。 時代によって価値観もかわるものですね。 広島巡礼のなかで碑について書かれています。下「」引用。 「碑には、『殉国学徒之碑』という麗麗しい辞句が刻まれている。『殉国』、なんと白白しく映ることか。そんな美句で飾られても、どうにもなりはしない。死ほどむなしいものはない。どんなに飾っても、死は死で、決してそれからいのちなど芽ばえはしない。わたしはただ額ずくだけで、言葉もなかった。」 妹さんが亡くなられている遺族の方の言葉を 誰も否定できないだろうと思う。 灯籠流し昔はなかったと書かれてありました。 盆灯籠というのはあったそうですが、 灯籠流しはな

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    haruhiwai18 2017/11/08
    "被爆者が被爆者の苦悩を訴えることが、どうして売り物になるのか、訊きたい。そんなものが売り物になるなら、わたしはもっとましな暮らしをしている。" →阿呆な熱湯浴に聞かせるべき言葉(こなみかん
  • 教科書に書かれなかった戦争Part 17 100冊が語る「慰安所」・男のホンネ- - 磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

    『教科書に書かれなかった戦争Part 17 100冊が語る「慰安所」・男のホンネ-アジア全域に「慰安所」があった-』 高崎隆治・編著/梨の木舎1994年 「兵士や軍属たちの従軍記の中から慰安所についての記録を収録し解説や註をつける。あまり語られることのなかった戦場の真実を、当時書かれた記録からそのまま引用し、明らかにする。」 「まえがき」に書かれてあります。下「」引用。 「-略-従軍慰安婦の存在はすでに戦時下の従軍記にはっきり記されている。戦時下に書かれているのなら、特別な規制もない戦後の従軍記にそれがないわけではないのだが、その数は予想外に少ないというのが実感である。なぜそうなのか理由は考えるまでもないことであろう。つまり、南京事件がそうであるように、従軍慰安婦の問題も、かかわった兵士や軍属たちにとっては、できればふれないでおきたい問題であるからだ。「皇軍」が「聖戦」に、慰安婦を引き連れ

    教科書に書かれなかった戦争Part 17 100冊が語る「慰安所」・男のホンネ- - 磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]
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    haruhiwai18 2016/01/02
    "1943(昭和18)年""日本が宣伝下手であるという事実が、日本人がアドミットする唯一の弱味である。""我らから見れば、日本人ほど自家宣伝する国民は他にない。" →昔から自己宣伝だけは上手だった模様w
  • 原発ジプシー 「原発=科学」の虚妄を剥ぐ体験ドキュメント - 磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

    『原発ジプシー 「原発=科学」の虚妄を剥ぐ体験ドキュメント』 堀江邦夫・著/現代書館1979年第3刷 1979年は今では昔ですね。古いですね。 まだ鱧男が青春していたころですよ。 表紙にこう書かれてあります。下「」引用。 「私がそこで体験したものは放射能に蝕まれ「被ばく者」となって吐き出される棄民労働のすべてだった」 最初、著者は美浜発電所で働く。 しかし、関西電力の社員ではなく、下請けの下請けです。 この美浜発電書は死傷者を出す事故を起こしましたね。 史上最悪11人死傷 美浜原発3号機 安全教育の場でも、もう「事故隠し」をにおわせることを、 教えられていた。 安全教育は、二○分ほどで終了したという。 関西電力の社員も原発にはよりつかなかったようだ。 大手マスコミで伝えるイメージでは、 原発はほとんどオートメーションで、パネル・ルームだけで 仕事が全部できているように伝えられますね。 と

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    haruhiwai18 2014/11/26
    "関西電力の社員とは食堂を使う時間も違うようにされていた。仲良くされてはこまるからだろう。""この原発の稼働率40%と働く人たちも話している。…信頼できるのでは" →分断統治と原発労働。
  • いま明かす戦後秘史 上 - 磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

    『いま明かす戦後秘史 上』 桜田武、鹿内信隆・著/サンケイ出版1983年 対談集である。鹿内信隆は産経新聞の社主。 終戦の日と飛行機。下「」引用。 「櫻田 そうそう。そのときに朝、泉岳寺から都電の停留所へ降りましたところが、近所の店からラジオで「今日の正午に重大放送があります」というんですね。-略-一時ぐらいで会社に着いたんですよ。そうしたところが、いままでないものだと諦めていた戦闘機やもっと大きい飛行機が、ブンブンと海の方向へ向かって飛んでいくでしょう。これは、どういうことだと思って……。もう戦争に負けちまって駄目だと思うのに案外、日の飛行機が海へ向かって出て行きましたね。」 終戦時、鹿内は陸軍から帰り、電波兵器を日電子工業でつくっていたという。 女郎屋で詔勅を聞いたという鹿内。工場の寮は元女郎屋だったという。 マニラの寄宿舎で将校。下「」引用。 「鹿内 -略-その女子大生が日の将

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    haruhiwai18 2014/08/06
    "慰安所の開設""「鹿内…それにどこの女がいいとか悪いとか…“待ち時間”が、将校は何分、下士官は何分、兵は何分……といったことまで決めなければならない(笑) …」" →有名な奴でござるhttp://bit.ly/1vathu1
  • かえれビキニへ 原水爆禁止運動の原点を考える - 磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

    『かえれビキニへ 原水爆禁止運動の原点を考える』 三宅泰雄・著/水曜社1984年 原水爆禁止運動は生活や生命にかかわることなので、起きた運動ですね。それをイデオロギーの問題にすりかえてしまった人たちがいるとボクも思います……。 帯に書かれてあります。下「」引用。 「名著として定評のある岩波新書『死の灰と闘う科学者』を大幅に増補・改訂した上、新しく原水爆禁止運動の30年について書き下ろし、つけ加えた。 今日の原水爆禁止運動に鋭く問題を提起。」 世界平和協議会というのがあるという。下「」引用。 「国外でも、日の原水爆禁止署名運動に呼応して、世界平和協議会が「原子戦争準備反対の訴え」(ウィーン・アピール)を出し、全世界で実に六億人にのぼる署名を得ました。」 第五福竜丸の医師団。下「」引用。 「三月一七日、東京大学医学部の中泉正徳(まさのり)教授、筧弘毅(こうき)講師(放射線科)、三好和夫(内科

    かえれビキニへ 原水爆禁止運動の原点を考える - 磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]
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    haruhiwai18 2014/03/02
    "中谷宇吉郎""船も即刻買いとってしまえば 日米おたがいによいのではないか…、水爆の秘密はもれ、よろこぶのはソ連だけだ、というのがその文の趣旨" →"第五福竜丸"に関して。/人工雪の作者のもう一つの顔。
  • イアンフとよばれた戦場の少女 - 磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

    『イアンフとよばれた戦場の少女』 川田文子・著/高文研2005年 帯に書かれてあります。下「」引用。 「-略-沖縄に残された元「慰安婦」ペ・ホンギさんを追った名著『赤瓦の家』取材以来28年、一貫してこの問題を追い続けた著者による「慰安婦」問題の集大成。豊富な写真と文で日軍性暴力被害者たちの人間像に迫る!」 赤瓦の家-朝鮮から来た従軍慰安婦- 父は日軍将校。表紙は母(ドリス・スマンポーさん)に抱かれたエディさん……。下「」引用。 「エディさんの父親はカナガワという日軍将校。エディさんはカナガワに会いたいと語り、ドリス・スマンポーさんは逢いたくないときっぴり否定した。」 「沖縄に残された「慰安婦」被害者」 ポンギさんとのことが書かれてあった……。 暴力「拒否すれば帳場にも兵隊にも殴られる」 イレズミを入れられた元「慰安婦」……。下「」引用。 「左腕に彫られた「金子」の刺青は慰安所の源氏名

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    haruhiwai18 2014/01/23
    "遺族が生存中に実際に受け取ったとみなされる扶助料の総額""東条英機は一億円五○○○万円、…松井石根は一憶二○○○万円、…畑俊六も一億二○○○万円" →靖国にいる全英霊が泣いたw/命が超絶不平等案件。
  • 教科書に書かれなかった戦争Part 12 大陸の花嫁-「満州」に送られた女たち- - 磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

    『教科書に書かれなかった戦争Part 12 大陸の花嫁-「満州」に送られた女たち-』 陳野守正・著/梨の木舎1992年 美名に弱い日人……。下「」引用。 「日人は美名に弱い。国策、五族協和、王道楽土、東洋平和のため、お国のため、拓け満蒙……こうした美名に当時の女性たちはこころ沸き立つ思いだったという。」 これには、作家も戦争協力していた……。 --ニュースで知った大陸の花嫁。 「生活の貧しさ」から抜け出したかったという……。 勤奉隊……。下「」引用。 「満州建設勤労奉仕隊(以下勤奉隊)の発足は、一九三九年(昭和14)文部省が高等専門学校以上の学生を満州、中国に派遣し、開発研究や建設奉仕にあたらせることにはじまる。その後農業学校隊を試験的に参加させた。 勤奉隊は開拓生産班、開拓応援作業班、米穀増産班などに分かれていた。建前は「勤労を通じて満州国家の真義を理解させる」ものであったが、音は

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    haruhiwai18 2014/01/11
    "名は集団自決でも客観的に見ると、子どもや母親たちが、男たちに銃で撃たれ…""「…日本軍の慰安婦たちがいて、私たちに代わってソ連兵のところへ行って…。慰安婦の中には朝鮮人、台湾人、中国人も…」" →証言。
  • 反原発の思想史-冷戦からフクシマへ- 筑摩選書 0034 - 磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

    『反原発の思想史-冷戦からフクシマへ- 筑摩選書 0034』 〓(*糸ヘンに圭=(読み=すが)秀実・著/ 筑摩書房2012年 表紙の裏に書かれてありました。下「」引用。 「日の反原発運動は、毛沢東理論の「誤読」による近代科学批判が大きな転機となった。それが「1968年」を媒介にニューエイジ・サイエンスやエコロジーと結びつき、工作舎や「宝島文化」を背景にしたサブカルチャーの浸透によって次第に大衆的な基盤をもつようになったのである。複雑に交差する反核運動や「原子力の平和利用」などの論点から戦後の思想と運動を俯瞰し、「後退りしながら未来へ進む」道筋を考える。」 「長崎の鐘」何をいいたいのか意味不明……。下「」引用。 「今でもナツメロ番組で歌われることのあるサトウハチロー作詞の歌謡曲「長崎の鐘」には、原爆を投下される記述がない。」 中国派除名。下「」引用。 「しかし、中国文化大革命が発動される

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    haruhiwai18 2012/07/04
    "『ヒロシマ・ノート』の大江でさえ、『核時代の想像力』(一九七○年)では、原子力の平和利用にもろ手をあげて賛意を表明""岡本太郎は、原子力エネルギーを美学的に称揚する美術家" →『反原発の思想史』。
  • チェルノブイリから広島へ - 磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

    岩波ジュニア新書251『チェルノブイリから広島へ』 広河隆一・著/岩波書店1995年 このはジュニアと銘打ってありますが、 どうか大人の方も読んでいただきたい。 世の中のシステムがどうなっているか、 理解できると思います。 このはぜひ読んでいただきたい一冊です。 チェルノブイリ事故の被害の調査を、 1990年から91年、国連のIAEA(国際原子力機関)は、国際諮問委員会(IAC)に調査させ、その結果を91年5月に発表した。 このことは、他のでも書かれていることですね。 この調査が現地の実情とちがう。 この発表はチェルノブイリ事故の後遺症は終わったのだという印象を与えた。 日の権威として【重松逸造】がこの調査をしたわけですが、 この方の今までされてきたことも書かれてあります。 どうしてこのようなデータを作り出すことができたかも 書かれてあります。 大手マスコミはほとんど伝えていません

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    haruhiwai18 2012/04/30
    "【重松逸造】""重松逸造】対広島の学者の対立も起きます"あらゆる公害問題においての政府・企業の利益になる決定に、重松氏が責任者となっているのが分かります" →今年(2012年)に亡くなった重松逸造氏について。
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