平安京遷都前後の794年、南海トラフで巨大な地震が発生したことを示唆する歴史書の記述を岡山大大学院社会文化科学研究科の今津勝紀准教授(日本古代史)が見つけ、17日発表した。当時から約100年周期で南海地震が起こっていた可能性が高く、今津准教授は「南海地震の発生周期を推定する1つの指標となる」としている。 南海地震は1605年以降、約100年周期で発生している。だが、それ以前は詳細な記録が残っておらず、平安時代前後は684年と887年に発生し、203年の間隔が空いているとされてきた。 今津准教授は歴史書「日本紀略」の中で、794(延暦13)年7月(旧暦)、長岡宮や京阪神地域の役所や民家が揺れ、死者が出たことを示唆する記述を発見した。ほかの歴史書にも、同年に連続して地震が起きたとする記述があったという。 この2年後には四国を一周する南海道海岸部の道路が廃止されており、今津准教授は「南海地震と関
岡山大大学院社会文化科学研究科の今津勝紀准教授(日本古代史)が17日、794年の平安京遷都直前にこれまで確認されていない南海地震が起きていた可能性があると発表した。平安時代後期に編集された歴史書「日本紀略」などを読み解き、大きな地震の発生を見つけた。古代の南海地震についてはこれまで、684年と887年に発生したことが確認されている。 古代日本の正史にあたる「日本後紀」などを抜粋・編集した「日本紀略」に、794年7月10日(旧暦)に「宮中并(なら)びに京畿官舎及び人家震う。或(ある)いは震死する者あり」と記されている。今津准教授によると、「宮中」は長岡京、「京畿」は現在の京阪神地域を指しているという。「震死」は地震が原因で人が亡くなったことを示しているとされる。 「地」という文字がなく、この記述は地震とは考えられていなかったという。今津准教授の研究で、同時代の他の歴史書に794年に地震が頻発
中部電力浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)を南海トラフの巨大地震で最大21メートルの津波が襲うとした内閣府の検討会の想定について、中部電力は16日、従来の対策で「安全を確保できる」との影響評価をまとめ、経済産業省原子力安全・保安院に報告した。 今回は、全原子炉が停止して燃料が冷えている現状で、東京電力福島第一原発事故を踏まえた高さ15メートルの津波対策でも、21メートルの津波に対応できるのか調べた。今後は内閣府から詳細なデータを入手して原子炉が動いている場合も評価し、年末に完工する海抜18メートルの防波壁のかさ上げも検討する。 報告によると、原子炉が停止した状態で、高さ21メートルの津波が襲った場合、冷却機能を失って燃料棒が水面に露出するまでに最短約6日の余裕があると試算。それまでに海抜25メートルの高台に置いた12台の可搬式ポンプで注水できるとした。
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