統計ほど恐ろしいものはない。厚生労働省のことを言っているのではない。重大事だが、政府や官庁が統計をごまかすのはいまにはじまったことではない。しょせん権力とはその程度のものだ。 統計をとるためには対象を分類しなければならない。その意味を突き詰めて考えたのがミシェル・フーコーだったと、重田園江は言う(『統治の抗争史』勁草書房)。人口統計が、他の生き物の中にあって「ヒトという種」でしかなかった僕たちを「人類」に仕立て上げたと言うのである。人類に下位分類を施せば、人口統計は差別を生み出す装置となる。白人、黒人、アジア人などなどである。 しかし、こうした統計が国の施策を決定することも事実だ。岩田正美『現代の貧困』(ちくま新書)は、筋金入りの近代国家だった(最近はどうも怪しい)イギリスが、早くから貧困を数値化して救貧院などの福祉施設を充実させてきたと指摘している。その様子はディケンズ『オリバー・ツイス