54年という短命な生涯ながら、全8作品の劇映画を世に送り出し、今なお多くの映画人や芸術家に影響を与え続ける、旧ソ連の映画作家アンドレイ・タルコフスキー。 1962年に長編1作目『僕の村は戦場だった』を監督し、ヴェネチア国際映画祭でサン・マルコ金獅子賞等を受賞。1967年にロシアの伝説的な画家を描いた『アンドレイ・ルブリョフ』を完成させるが、歴史解釈をめぐってソ連当局の激しい批判を受け、5年間の上映禁止を言い渡される。 一方で同作品は 1969年のカンヌ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞。その後も『惑星ソラリス』『鏡』『ストーカー』と唯一無二の映像世界で批評家や観客たちを魅了し、世界的な評価を確立した。 しかしソ連国内の検閲は依然として厳しく、タルコフスキーはソ連を出国。はじめてソビエト連邦国外のイタリアで製作されたのが長編6作目となる本作。タルコフスキーは本作を3年半の歳月を費やして完
現在から約50年前、1972年11月8日に早稲田大学文学部キャンパスでひとりの若者が殺された。第一文学部2年生の川口大三郎君。文学部自治会を牛耳り、早大支配を狙う新左翼党派・革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)による凄惨なリンチが死因だった。好奇心旺盛な普通の若者だった川口君は、なぜ殺されねばならなかったのか。 川口君リンチ殺人事件に怒った早大全学の一般学生はすぐに立ちあがった。革マル派を追放して自由なキャンパスを取り戻し、民主的な自治会を作ることを目的とした「早大解放闘争」が始まり、世間の注目を集める。それは「内ゲバ」の時代を終わらせ、新しい学生運動を生み出す可能性を秘めた闘いのはずだった。しかし革マル派の「革命的暴力」の前に一般学生は敗れ去り、わずか一年でその闘争は収束する。そして皮肉にも川口君リンチ殺人事件を機に革マル派と中核派の「内ゲバ」は、社青同解放派(日本社
1960年から1980年代にかけて作品を送り出したソビエト連邦の映画監督アンドレイ・タルコフスキー作品のうち、代表的な6作品がYouTubeで無料で視聴可能になっています。 Movies directed by Andrey Tarkovsky - YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL7EqAsBxqGgjarBzACNmCNDdr0y0iFu8U 公開されているのは以下の6作品です。まずは1962年公開「僕の村は戦場だった」・ Ivan's Childhood | WAR MOVIE | directed by Andrey Tarkovsky - YouTube 1967年公開「アンドレイ・ルブリョフ」 Andrei Rublev | DRAMA | FULL MOVIE | by Andrei Tarkovsky - You
マクシム・ベレゾフスキー マクシム・ソゾントヴィチ・ベレゾフスキー(ロシア語: Максим Созонтович Березовский, ラテン文字転写: Maksym Sozontovych Berezovsky)は、ウクライナ出身のロシアの作曲家。ロシア宮廷のオペラ歌手やヴァイオリニストとしても活動した。名のラテン文字転写はMaximとすることが多い。1777年に30代で急死し、不可解な葬儀が行われたため、その死の真相をめぐって同時代から議論されてきた。 生涯についてはほとんどが不明である。生前の逸話は1840年にネストル・クコリニクによる短編小説の中で再構成され、サンクトペテルブルク・アレクサンドリン帝室劇場においてピョートル・スミルノフによって演じられた。このようなフィクションの多くの詳細は、かつては事実として受け容れられてきたが、後に不正確であると立証されている。 いくつかの
ひろゆき、成田悠輔、後藤達也…、新たな視点で経済・社会を見つめ直すビジネス動画メディア「ReHacQ」! 12月2日にチャンネル登録者50万人突破記念で行われたReHacQフェスで行われた「あつまれ!経済の森」を公開! 食道がん闘病中の山崎元さんに損をしない株式投資や働き方について語っていただきました。 出演者:山崎元(経済評論家) 後藤達也 ▼関連動画▼ この動画の前編はこちら 【後藤達也と新NISA】投資のシンプルな真実!赤裸々告白【S&P500とオルカン】 https://youtu.be/MXBsHbF603U ▼おすすめ動画▼ 【ひろゆきvs国民民主党】激論!国民民主党の存在意義はなんだ【伊藤孝恵vs西田亮介】 https://youtu.be/z6XPpsR_g2U 【成田悠輔vsビルゲイツが認めた日本人】日本で感じる生きづらさのワケ【ふるさと納税の未来】 h
MBS NEWS公式YouTubeページより 戦後の日本音楽界に現れた天才ヴァイオリニスト 渡辺茂夫 彼の劇的すぎる半生を描いたドキュメンタリーがYouTubeで話題に 戦後、10代前半にしてすい星のように日本楽壇に登場し、完璧なテクニックと気品高いな音楽性で瞬く間に聴衆を魅了した天才ヴァイオリニスト、渡辺茂夫(1941~1999)。1954年に来日した大ヴァイオリニストのハイフェッツは茂夫の演奏を聴いて感銘を受け、アメリカ留学と無試験でのジュリアード音楽院入学の労をとったほどでした。ところがアメリカ留学から2年後、16歳のときに自殺未遂をはかり、一命をとりとめたものの脳障害が残り、その後40年以上に渡って在宅療養を続けた「悲運の神童」となってしまいました。 自殺未遂のニュースは当時驚きをもって迎えられましたが、年月の経過とともに茂夫の名前は忘れかけられていました。そして。40年後の199
言語は英語になります。
今年、首都圏で卒業を迎えた小学生およそ30万人のうち、私立・国立への中学受験者数は過去最高の5万人以上だった。
3月28日、音楽家の坂本龍一が亡くなった(享年71歳)。音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」でデビューし、自身も出演した映画「戦場のメリークリスマス」(日本公開1983年)のサウンドトラック「Merry Christmas, Mr. Lawrence」をはじめ、ソロ活動に転じてからも数多くの名作映画の音楽を手掛けてきた。音楽界、映画界、そして広く芸術界に多大な影響を与えてきた稀代の表現者は何を考え、何をなしたのか。坂本龍一を最もよく知る批評家で京都芸術大学教授・ICA京都(Institute of Contemporary Arts Kyoto)所長の浅田 彰氏に話を聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト) ※2回目以降は明日以降、公開します ◎1回目:浅田彰が語る、完璧な演奏マシンから最後にヒトになった坂本龍一 ◎2回目:浅田彰が語る、あの映画のサントラが坂
リーマン・ブラザースの経営破綻ーあの時、何が起きていたのか いま、世界は新たな危機に直面している。今回のコロナショックは2008年に起きたリーマンショックの再来になるのではないかと危惧する声もある。 リーマンショックの発端は2008年9月15日、アメリカの大手証券会社リーマン・ブラザーズの経営破綻だった。その負債総額は米国史上最大の6,130億ドルに上り、世界的な金融危機の引き金となる。タイムズスクエアの本社から従業員が荷物を運び出す光景は、きっと多くの人の記憶に残っていることだろう。 あの時、渦中の社内では何が起きていたのか。そんな疑問に答えてくれるのが、今回紹介する『リーマン・ブラザーズ最後の4日間』だ。BBCが2009年に製作したこのドラマは、リーマン・ブラザーズが経営破綻を迎える直前の4日間、具体的には、2008年9月12日から15日にかけての出来事を描いている。 同様にリーマンシ
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