2007年3月20日のブックマーク (5件)

  • パシフィックオーディオ、ヘッドフォンケーブル「Mobius 2」

    米ZU製の交換用ヘッドフォンケーブルで、従来モデルにゼンハイザー製ヘッドフォンユーザーからの声を反映させながら、価格は据え置きとした製品。独自技術「B3/g」を採用し、柔軟性や軽さ、強度を向上。線材はシルバー合金を使用する。 また、新開発のアルミニウム端子と、圧迫焼結浸透を施した銅ピンにより、音質改善を図った。ケーブルとピンはcold-forgeシステム(低温鍛造)で無ハンダ接続している。ヘッドフォンプラグはNeutrik製。 ノイズ対策として、被膜には内部炭素繊維、リードアウトシェルを採用。接合部にはエポキシ樹脂を使用し、接着性や耐熱性、電気絶縁性の向上を図っている。同社は音質について「従来の自然なパフォーマンスを継承し、滑らかさとしなやかさを実現した」という。なお、エージングに必要な時間は約200時間としている。 □パシフィックオーディオのホームページ http://www.

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    harupiyo 2007/03/20
    ゼンハイザーHD650用
  • ITmedia エンタープライズ:第3回 話題騒然! 「言語内DSL」の概念とRake【前編】 (1/2)

    第3回 話題騒然! 「言語内DSL」の概念とRake【前編】:Ruby on Rails究極指南(1/2 ページ) 近年、特定の領域に存在する問題の解決に特化してデザインされたコンピュータ言語「DSL」が注目を集めている。稿では、RubyとDSLの関係について解説していく。Railsによって注目を浴びたRakeを取り上げて、DSLの概念やRakeの特徴、その使い方などを説明する。 RubyとDSLの関係 近ごろ、DSLという考え方が注目を集めています。DSLとは、特定の領域(ドメイン)に存在する問題の解決に特化してデザインされたコンピュータ言語のことを指します。 DSLの考え方*は新しいものではありません。例えば、awkは「テキストをフィルタリングする」という問題を解くことに特化したDSLと考えられます。そのほか、自分で特定の問題を解くためにミニ言語を設計・実装された経験のある方もいるで

    ITmedia エンタープライズ:第3回 話題騒然! 「言語内DSL」の概念とRake【前編】 (1/2)
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    harupiyo 2007/03/20
  • 元麻布春男の週刊PCホットライン - 50万円超の漆塗りキーボード「HHKB HG JAPAN」を試す

    2006年10月に発表されたある製品は、その例を見ない価格で話題となった。PFUが発表した「HappyHacking Keyboard Professional HG」と「HappyHacking Keyboard Professional HG JAPAN」がその製品だ。 もともと「HappyHacking Keyboard」(HHKB)は、キーレイアウトと打鍵感にこだわりを持つユーザー向けに製品化されたキーボード。10年前に製品化されたオリジナルモデル(PD-KB01)の価格も3万円近かった。その後、低価格な「Lite」も製品ラインナップに加えられたが、上位モデルは数万円の価格設定がなされており、2006年3月に発表された上位モデルの最新版である「HappyHacking Keyboard Professional2」(PD-KB400)も、その実売価格は2万円台の半ばとなっている。5

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    harupiyo 2007/03/20
    50万円超の漆塗りキーボード「HHKB HG JAPAN」を試す
  • 牛次郎 - Wikipedia

    牛 次郎(ぎゅう じろう、1940年5月19日 - )は、日漫画原作者・僧侶・小説家・作曲家・建築家。東京市浅草区出身。 長女は住職の牛込覚演[1]、息子はアニメーターイラストレーターの志条ユキマサ。 来歴・人物[編集] 生い立ち[編集] 東京市浅草区(現在の東京都台東区)生まれ。名、牛込 記(うしごめ き)。 日海軍の特務機関に勤める父と霊媒師の母の間に生まれ、父は「渡辺」の姓を名乗っていたものの自身を含む家族は職務上母の旧姓の牛込を名乗り[2][3]、東京大空襲を生き延び終戦後は通学のかたわら新聞配達や鉄工所に勤務し生計を立てる[4]。中学卒業後は東京都立上野高等学校に入学するも学費が払えず中退し学徒援護会の紹介で工事作業員[5]、喫茶店員を務める[6]。やがて不良となり暴力団と行動をともにしつつその後熱海に滞在するようになり[7]、売春街のバーテンダー[8]、レストランのコ

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    harupiyo 2007/03/20
  • たこ八郎 - Wikipedia

    高校卒業後上京し、様々な職を転々とした後、笹崎ボクシングジムに入門[1]。左目の障害を隠し、視力表を丸暗記してプロテストに合格[3]、1960年9月、プロボクサーとしてデビューした。同ジム同期にはファイティング原田がいた[2]。 1962年、第13代日フライ級チャンピオンとなった。髪型を河童のように刈り込んだことから「河童の清作」[2]の愛称で呼ばれた。 左眼が見えないハンデを相手に悟られないように、相手のパンチをかわさず打たれ続け、さらに挑発的な言葉を相手に投げかけ、相手が打ち疲れ戦意を喪失した後に反撃してラッシュをかけるファイトスタイルを用いた。この戦術は、漫画『あしたのジョー』の主人公、矢吹丈のモデルになったとも言われている[3]。原田は「どんなに打たれても倒れず、耳元で『効いてない効いてない』とささやき続けた。対戦相手にとってはそれが当に怖かった」と語っている。しかし、受けた頭

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    harupiyo 2007/03/20
    たこ八郎とあしたのジョー