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2012年11月2日のブックマーク (5件)

  • RSSの時代は終わった!?自分の好みを分析して配信してくれる「Gunosy」が超便利! | TRAVELING

    Web上の情報収集はどのようにしていますか? 自分の気になったワードの検索 RSSに登録 はてなブックマークを見たり、Twitterのリンク見たり… 色々あると思いますがあなたがSNSを使っているのであれば、このサービスをオススメします! 「Gunosy(グノシー)」 Twitter、Facebook、はてなブックマーク。登録したSNSアカウントを独自のアルゴリズムで分析し、自分の興味のあるニュースを提示してくれるキュレーションサービスです! そんなGunosyをご紹介!! 使えば使うほど賢くなる! Gunosyは独自のアルゴリズムで分析しています。 すなわち、使えば使うほど自分のSNSアカウントについて勉強してもっともっと自分に合った情報をお届けしてくれるんです! それは、いわゆるめちゃRTされていたりはてぶがついている「バズってる」記事だけではありません。基準は「自分」です。 自分が全

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  • 「良かれと思って」の罪深さ

    「良かれと思って」の罪深さ (03/01/31) 親は子に言う、「お前のために良かれと思って言っているのだ」と。 は夫に言う、「あなたのために良かれと思ってこうしたのだ」と。 教師は生徒に言う、「おまえたちのために良かれと思って先生はこれをするのだ」と。 人が誰かのためを思って何かをすること、それ自体は美しい行為である。相手のことを考え、こうすればきっと良い結果が返ってくるだろうと思えばこそ、人は「良かれと思って」と口にするのだ。そして、現実に人にとっても良い結果となるならば、言われた時には理解できなかった人も「ああ確かにあの時『良かれと思って』言ってくれたのはその通りだった。有難かった」としみじみ振り返ることができるだろう。お互いにとってこれほど幸いなことはない。 しかし、「良かれと思って」したことが常に良い結果に結びつくとは限らない。 それは当たり前のことだ。けれど、あろう

  • 二度寝の恐怖 - これは駄目だ。

    JR西日の奈良線 六地蔵駅の営業開始が遅延した事象について:JR西日というプレスリリースが、ほのぼのとブクマを集めていますが、色々調べていくと、なんか洒落になっとらん、ということで記事を書いてみます。 まずは記事を見てみましょうか。 4 原因 六地蔵駅の社員が起床後に二度寝したためです。 なんかプレスリリースには不似合いな『二度寝』が目を引きますが、むしろ気になるのは 5 対策 指導教育を徹底し、同様の事象を二度と発生させないよう努めてまいります。 対策がこれってどうよ、というのがブクマでも指摘されています。当然ながら、日勤教育かよ、おい!というツッコミが入るところですが、たまたまだよね、JR西日も二度と事故を起こさないように頑張っているよね。と思いましたので、調べて見ることにしました。 ページをたどって行くと、見つかりました! プレスリリースからの『ご報告』一覧です。 んー。結構あ

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  • ご指定のページのアドレスは変更されているか、更新作業中です|船橋市公式ホームページ

    ご面倒をおかけいたしますが、右上の検索フォームまたは以下のいずれかの方法でご希望の情報をお探しください。 船橋市のトップページから探す 船橋市議会のページから探す 担当部署がお分かりの場合は組織一覧から探す 施設一覧から探す 例規を探す(船橋市例規集) よくある質問から探す 注意 ページの更新作業中の可能性があります 担当者がこのページの更新作業をしている場合にも、一時的にこの画面が表示されることがあります。 お手数ですが、少し時間をおいてから、再度このページを読み込みなおしてください。

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    hatayasan
    hatayasan 2012/11/02
    免職になると情報が詳しく出ちゃうのね。
  • 本の記事 : 木村と力道山の真相、18年の追究「報われた」 - 山田優 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

    ■大宅賞と新潮ドキュメント賞、W受賞の増田俊也 作家の増田俊也(としなり)が『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)で、大宅壮一ノンフィクション賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞した。今月開かれた新潮ドキュメント賞授賞式のあいさつでは、「この作品を読んで、木村政彦、力道山、そして昭和の時代を好きになったと言っていただいたことがうれしかった」と語った。 1954年12月、柔道からプロレスに転向した木村政彦は、人気の力道山と対戦する。全国の注目が集まっていた。 プロレスの試合はあらかじめ台があり、勝敗が決まっていることがある。この試合も引き分けという結果が決まっていた。だが、木村は力道山にめった打ちにされ、血を吐いて崩れ落ちる。木村はあまりの悔しさに、短刀を持って力道山の命を狙ったほどだった。 木村が亡くなった93年、マスコミがそろって「力道山に負けた男」と報道したことがきっかけ

    本の記事 : 木村と力道山の真相、18年の追究「報われた」 - 山田優 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
    hatayasan
    hatayasan 2012/11/02
    『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』大宅賞と新潮ドキュメント賞のダブル受賞。